8月22日

 

 朝食の前に ホテル周辺を歩いてみた。

仕事に向かう急ぎ足の人達に 「ドーブラヤ・ウートラ!」「ズドラスト・ビーチェ!」

おはようございます と言ってみたが、返してくれる人は まばらだった。

しばらく歩くと シベリア鉄道の引込み線らしきところに出た。

付近の老朽化した建物は “油絵にしたら 絵になる・・・”と唸りたいほどだった。

 

9時の出発前に エレーナが オレンジ色のノースリーブのニットに ベージュのパンツ姿で現れた。

ウラジオストック ホテル
玄関にてエレーナさん

ウラジオストック中央駅見学。

駅前広場の前には 液晶の大きな画面を付けた 近代的なビルが建っていて、

レーニン像と不似合いに 忙しく映像が変わっていた。

 中央駅は 淡いクリーム色の壁に 凹凸のあるタイル状の壁画がはめ込まれていた。

クラシックな真鍮のドアを開けると、 

天井いっぱいに モスクワと極東の様子が対比するようにフレスコ画のような絵が

描かれていた。

中央の壁にはウラジオストックのシンボル、トラをかたどった緑のタイルのオブジェがあり 

水がチョロチョロと流れていた。

塵一つない石の階段を降りていくと、シベリア鉄道のホームだった。

駅員さんが数人かたまっていたので 何をしているのかしら?と私は覗き込んだ。

真っ赤なトマトを分けていた。

“ドーブラヤ・ウートラ!”と言うと トマトを一個私にくれた。

青に赤のラインが入った ものすごく長い列車が停車していた。

町田の夫婦はもう、すでに出発して行ったのだろうか?・・・・

ウラジオストック駅
シベリア鉄道の列車
展示化されたSL
(アメリカ製)

 ホームの端には 黒々としたデコイチのような機関車も展示されていた。

昔の発車のベルなどを鳴らして遊んでいると 親子ずれが 何やら抱えて私たちのそばに来た。

 物売りだ。 バッチを一杯くっつけたカーキ色の兵隊さんの帽子を 

10歳ぐらいの男の  子供に被せた。 

Aさんの奥さんが「いくら?」 というと 1000円と答えた。

素直に奥さんは出そうとしていた。

私は横から「駄目よ! 高すぎる、2個で1000円だったら買うっていいなよ、

日本人と見て吹っかけてるよ、だめなら要らないといってみて」

結局、2個で1000円になった。 Aさんの奥さんは 1000円払ったわけで 

交渉の手伝いをした私が奥さんからいただいて 一番得をしてしまった。

 

再び広場に出ると、ピーナッツ売りのおばあさんや雑誌売りの露天商が軒を連ねていた。

路面電車の間を縫うように走る車は オンボロの日本車、しかも、・・建設・・・布団店などと

 書かれたままの車が走っている。

ここで 記念撮影をすると ロシアに来たことにはならないのでは・・・・

金角湾を見下ろす展望台や、明治の頃の旧日本人街の名残を残す本願寺跡などを見て 

空港に向かった。

ウラジオストック
レーニン広場
キンカク湾

 

空港脇のレストラン ヴェニスで昼食。 ロシアのヴェ・ニ・ス。

トイレの紙が始めて白かった。 シートペーパーまで付いていた。 昨日来、わら半紙のような、

幅もロールの量もない紙ばかりだったので 印象的。

玄関のホールには ゆったりとしたソファーがあり、 ここの方が昨夜のホテルよりも

ホテルではないのか? と思えた。

テーブルに置かれた新聞のトップ記事は 六カ国首脳会談が開催されているときだったので、 

小泉首相も端のほうに写っていた。

 

 ポルシチスープ、黒パン、たっぷりのサラダ、ハンバーグにチーズを付けて再び

オーブンで焼いたようなものなどが出た。

ドイツやイタリアのパック旅行のなさけない食事と思うと 野菜は山盛りで私は大満足。

デザートはクレープ、これがサワークリームをつけて食べるブリヌイというものだろうか、 

こじんまりとしたレストランだが 味は中々。 ビールはご当地、カムチャッカビール!!

 

 エレーナと再会を約束して 14時20分発、カムチャッカ行きのVAマークの

飛行機に再び乗った。

ウラジオストックから
カムチャッカに向けて

席が私だけ離れた。 3人がけの真ん中、両脇はロシア人だった。

 

「カムチャッカには富士山のような山が29個もあるのよ!! 温泉もあって 釣りも

こんなに大きな魚が釣れるのよ!」・・・・・・というのが 私のセールストークだった。

ここから更に3時間半、果たしてカムチャッカの天気は?・・・何と言っても オホーツク海、低気圧

の溜まり場だ。

はるばるやって来て 天気が悪かったら 皆、何とがっかりすることか・・・・

そんなことばかり 考えていた。

通路側の白っぽいブロンズのロシアの女性は 本を出して読んでいたが、

飲み物が来たりして 少し空気が和み、私の上着をちょっとつまんで 

「素敵ね!」という雰囲気の言葉を発した。

私は 「メイド イン USA!」と言って笑った。

 前回の時には 虫の被害には遭わなかったが、 ガイドブックや旅行記は一様に

虫の大群のことが書かれていたので、

虫除けネットのジャケットを購入し 早々と着込んでいた。

 

これがきっかけとなって 二人はなんと カムチャッカに到着するまで3時間余り、

話をし続けた???

そして分かったことは、 彼女はドクター、49歳で ご主人は年下、43歳の海軍さん。

ウラジオストックで二人の休暇を楽しんで カムチャッカに帰るところだった。

すでに 出来上がっていた写真を見せてもらい 一枚いただいた。

水着姿で二人がはしゃいでいるところや 食事の風景などが 撮られていて

たまにしか逢えない夫婦の 密度の濃さが伝わってきた。

 子供さんは二人、 18歳の長男はコンピューターの勉強、 12歳の妹はピアノが大好き。

 私は 昨年のピースボートでカムチャッカに立ち寄ったことや、 世界旅行のこと、

家族の話などをした???

ロシア語しか話さない彼女とどうやって会話をしていたかって?

世界旅行は世界地図を描き、寄港地を紹介し、 家族の話は でくのぼうにスカートを履かせたり

パンツを履かせたり、 数字と漫画でかなり話ができるものだ。

その上、船旅の折のロシア語講座の資料が活躍し、3時間はあっという間に過ぎた。

 

最後に ドクターは 電話番号と 部屋の見取り図を描いてくれた。

「余った部屋があるから 遊びにか、泊りにかおいで!」と言ってくれたのだろう。 

耳に手をあてて 電話をかけるジェスチャーをしてくれた。  

 

ロシアのドクターと
機内で

 機体は着陸態勢に入り、 シンセサイザーが奏でる粋な音楽が流れ出した。

窓の外を見ると、 まるで墨絵の世界。

「僕らの国のこの美しい風景を 乗客の皆さん、見ていますか?」と

機長は操縦席から言っているのでは・・・と思うぐらい ゆっくりと、ゆっくりとカムチャッカ半島を横切って行った。

白と薄墨色の雲海の中に 美しい稜線を描いた幻の山々が 濃いグレー色で気高く

アバチャ湾に迫り出していた。

・・・・・音楽と景色がこのように溶け合う時間があろうとは・・・・・

着陸前機内から見た幻想的な
カムチャッカ

 

この世のものとは思えないような光景の雲の下は 雨であった。

タラップを降りると 乗客は建物の脇にある鉄のゲートに向かった。

いきなり 外に出てしまうわけだ。 ゲートには 出迎えのカードを掲げた人達が 水溜りを避けて立っていた。

“安藤グループ“のカードを持っている人は誰?・・・・ どこ?・・・・・

出迎えの人達がまばらになってきて 不安になってきた。

けれども 飛行中 真ん中席であったことと ドクターと盛り上がってしまったこともあって 

不安が募るよりも とにかくトイレに行きたい。

 出迎えの“安藤グループ”探しは主人に任せて まずはトイレ!!!

チップのおばさんも無視をして 駆け込んだ。

戻ってくると パーシャと名乗る 青年が立っていた。

彼は“カワムラグループ”というカードを持っていた。

 どうやら 私が旅行の諸々の手配を依頼した 旅行社の専務の名前に摩り替わっているようだ。

ゲートを通るとき “カワムラグループ”のカードを目にはしていたが 

他の日本からのグループもいるんだ・・・・と思っていた。

 ガイドのパーシャは 私たちの一人に

「10人のグループではないですか?」と尋ねたそうだが 「違う」という答えがかえっていたらしい。

だから、すぐそばで ウロウロしていても それ以上私たちには近寄らなかったわけだ。

 

 

 ホッとした。

トイレに入っている内も どうやって、どこに連絡を取ったらいいのか・・・・と考えていた。

 スーツケースを受け取り、 まだ新しそうなマイクロバスに乗った。

 

雨のカムチャッカ空港
を後にカムチャッカの街へ

 雨は時折 強くなり、明日からの天候が 気になってくる。

カムチャッカまではエリツボの小さな街を抜け 約1時間かかった。 街に近づくと 

一年前の見慣れた風景になってきた。

3階、4階造りのアパート郡が密集し 異様に太いお湯のパイプが道路わきを通っていた。

そして、ここでも日本では廃車クラスの車が やはり・・・建設・・・運輸などと

書いたままで走っていた。

窓ガラスのない車は ビニールにガムテープで処置をしていた。

冬になったら どうするのだろう?

 

ホテルに着いた。

外はようやく 暗くなって、時間は21時。

このホテルは 以前はアパートだったとか、パーシャは 「ぼくのおじいさんたちは

ここに住んでいました。」と言った。

オクチャブリスカヤ ホテルの306号室、

4日間お世話になる部屋をチェック、タオルはほつれていてゴワゴワしていた。

家だったら 犬のタオルか 足拭きか・・・・ってところ。

やたら大きな冷蔵庫があるだけで 殺風景な部屋だった。 バスタブはあった。

 

遅い夕食をとるために  ホテルのレストランに 10名が集まった。

皆、口を揃えて タオルのことを言っていた。