人生に杭ありパート4


 人生が順調とは限らない。私も多々つまずき、傷ついた経験者である。読者の参考のために、それらの中から主だったものを記してみよう。題して、人生に杭ありパート4。


パート4

 小さい子供をかかえ、顔面神経麻痺と左耳難聴の苦しみと戦いながらも必死でがんばった。しかしとうとう力尽きる時が来た。子供が小学生に上がる頃、魔の鬱病がまた襲いかかってきた。平成7年10月であった。それまでも軽い鬱の波は何度かあったが、重症にならずに自然に治っていた。しかし今度は違っていた。経験上これは危ないとすぐわかった。パート1の時と同じ症状が出てきたからである。思い当たるふしはやはり仕事上のストレスだった。病人の私としては、普通人には大したことがないことでも、ストレスとして加わるのであった。鬱になる前に、一度休職して養生したいと会社に申し出たのだが、それもかなわずやはり無理をしていた。
 
 今度は自分から医者に行った。町のクリニックでも神経科や心療内科を掲げているところは、実質的に精神科でもあることは重々知っていたので、とりあえずバスから見えた神経科の医院に飛び込んだ。大病院では待ち時間やなんやらで、通院自体大きな負担になるのを恐れていたこともある。 病名は医者から聞く前から分かっていたので、特に驚くことはなく、どのような治療をするかに関心があった。そうするといきなり点滴治療から始まった。これは即効的に効いた。しかし副作用が強く吐き気がするのと、効果が長続きしないという欠点があった。服用の薬にも副作用があって、鬱もさることながら副作用で苦しんだ。そしてなかなか完治するには至らなかった。これを遷延性鬱病と言う。なにせ内的、外的ストレス自体が減ったわけでなかったから、治るわけがなかった。ひたすら顔面神経麻痺と左耳難聴、鬱病の3重苦+薬の副作用にさいなまれ、ただただ苦しいだけの毎日だった。そういう日々が数年以上にわたって続いたのである。身も心もすっかりボロボロになってしまっていた。白髪がめっきり増え。顔はしみだらけで、もう老人のようであった。幸い薬の副作用の方は、後にSSRI、SNRIという新しい薬が処方されたので、軽快したが。
 
 仕事の方はこの鬱病が加わり、ますます出来なくなった。有給休暇を使い果たし、毎年欠勤を繰り返していた。当然給料やボーナスにも響く。もちろん出世などは論外だった。そうなると職場での居心地は益々悪くなるのであった。しかもこういうことは悪循環になるのである。
 

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