歴史に思いをはせて

      
        初めてのドイツ旅行    (2002/8/12)


                      ツェツィーリエン・ホーフ宮殿

 8月6日と9日、例年通り、テレビの前でお祈りしました。 
今年は7月にドイツ旅行をして、ポツダム宮殿やベルリンの壁を見てきた直後だっただけに、一層感じるものがありました。 勿論、15日も手を合わせるつもりです。
 ポツダムはベルリンから車で50分ほどのところにあり、湖の広がる美しい町です。 ここの広大な森林に囲まれて立つドイツ最後の皇帝ウィルヘルムII世の皇太子夫妻の居城のツェツィーリエン・ホーフ宮殿で、1945年夏、日本に無条件降伏要求を決議したポツダム会議が開かれました。 スターリン、トルーマン、チャーチルの座った部屋を目の当たりにできて少々感動しました。 偶然の一致とはいえ私たちが訪れた日に三者会談が始まったと聞いて一層感慨深いものがありました。 2年前、東京のアメリカ大使館公邸で開かれたワシントン大学の同窓会に出席して、昭和天皇とマッカーサー司令官が会談した部屋に立てた時に感じた歴史的興奮(「アメリカ大使と握手」をご覧ください)と共通するものがありました。 
 ベルリンは、中学生の子供たちも「先生、ベルリンの壁をお土産に買ってきて」というくらいよく知っています。 今なお保存されているのはわずか50メートルほどでしたが、市内の壁のあったところには全て色レンガを敷き詰めてありました。 保存されている壁沿いのところには、かつてのヒトラーの秘密警察の取調室だったというレンガ造りの地下室が発掘展示されていました。 ヒトラーの司令部跡地はユダヤ人の墓碑を立てるのだといって工事中でした。 東西ドイツを分断した壁の象徴だったブランデンブルク門は改修工事中ということで上部の彫像以外はすっぽり覆われていましたが、くぐり抜けられるようにはなっていました。 また、東西ベルリンをつなぐ道路上に設けられた検問所、通称チャーリーポイントのあった地点に博物館があり、東ドイツ市民がベルリンの壁がなくなるまでの30数年間にどのように西ベルリンに脱出しようとしたか写真と資料で展示してありました。 また、旧東ドイツ地区の一角の住宅街で、立派な門構えの家々が数軒草ぼうぼうで放置されてありましたが、ガイドさんの説明によると、かつてロシア軍将校たちが住居として使用するためにその住人を全員殺してしまい、所有権者が全くいなくなってしまったので空家のままになっているとのことでした。 
 また、アウトバーンのパーキングエリアに立寄った際、迷彩色の服を着た若者の一団に出くわしました。 どう見ても20歳前後で、ほとんどしゃべることもなくトイレに行っていました。 ドイツは皆兵制で10ヶ月の兵役義務があるそうです。 同じ敗戦国でありながら、日本とドイツの戦後の歩みは大きく違っていることが実感できました。 ドイツは国連平和部隊だけでなく海外派兵まで行っています。 わが国は自衛隊を軍隊であると認めることさえ拒んでいます。 ところがドイツはいまだにユダヤ人虐殺に協力した人を“犯罪者”として捜索しているのに、日本では、かつての戦犯と言われた人たちを“殉国者”として石碑まで建っています。 日本の子供たちは道路を横断する際、右手をあげて渡るよう指導されていますが、ドイツでそんなことをしたらナチズム信奉者とみなされて罰金だそうです(現地ガイドの話し)。
 壁が崩壊し、東西ドイツが統一して11年経ちますが、首都ベルリ
ンにはまだまだ第二次世界大戦と戦後の冷戦関係の歴史が生々しく残っていました。 東京で、戦争の傷跡を確認できるところがあるでしょうか。 ないと思います。 日本全体で探しても、広島と長崎、それにアメリカ軍基地が密集する沖縄ぐらいでしょう。 富山の子供たちは、修学旅行でも広島に行きません。 ディズニーランドやユニバーサル・スタジオもいいでしょう。 でも子供たちが高校を卒業するまでには家族でせめて一度くらいは広島か長崎を訪問していただきたいと思います。 首相が靖国神社を訪れるよりもっともっと大事なことではないでしょうか。 そして、6日と9日と15日にはテレビの前で手を合わせていただきたいと思います。 子供たちが、特攻隊員たちの話しや手記を読んでくれればなあと願っています。 そうすれば、戦争の悲惨さ、むなしさ、今日を生きることの大切さがわかると思うのですが・・


 これを読んで父兄の方や友人たちから感想をいただきました。

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