数日前、ダブルスでの試合形式の練習中、休憩に入りベンチに腰掛けた比呂士の隣に駆け寄って来た赤い髪。
丸井ブン太は、お気に入りのグリーンアップルの香りを漂わせて、プクッとガムを膨らませる。
彼曰く、精神集中とインパクトのためにはガムは欠かせない、との事だが、単に好物なだけと言うのが正しいのかも知れない。

 「なぁなぁ、知ってる?」

お馴染みの台詞で始まるのは、面白おかしく語られる噂話。
隣で、またかよ…と苦笑する、ブン太とダブルスを組んでいるジャッカル桑原。
ブラジルとのハーフで、その超人的な持久力から「4つの肺を持つ男」との異名を持っている。
スキンヘッドの頭をかいている彼は、どうやら、すでに同じ話を聞かされているらしい。
だが比呂士は、教えてくれるというのを無碍にすることも出来ず、彼の話を聞く体勢に入った。

 「最近さぁ、夜になるとやけに救急車が走ってんじゃん?あれってさぁ、道端で急に倒れちまうのが増えてるかららしいぜぃ。
  それまでピンピンしてたのが、急に…。会社帰りとか、塾の帰りとか…大抵一人で歩いてるヤツが多いらしいんだけど…。」
 「それは…通り魔か何かでしょうか?それとも、ウィルスや悪質なテロなのでは…?」

生真面目に返事を返す比呂士に、違う違う!とケラケラ笑ったかと思うと、ブン太は急に神妙な顔つきをして詰め寄った。

 「倒れた奴等さぁ、うわ言で「化け物」とか「幽霊」とか言ってるんだって。
  きっと、そいつに襲われたんだって!」

酷く真面目な顔で言い切るブン太に、比呂士は何と言って良いかわからず、微妙な表情をする。
いつもなら茶々をいれる仁王も今日に限っては口を噤み、ジャッカルも呆れ顔で溜め息をついた。
そんな周りの反応に、ブン太は少し機嫌を損ねてしまったようだ。

 「だ、だってよぉ!入院してるほとんどの奴等が、そう言ってるんだぜぃ?
  信じるも信じないも、そうでもなきゃ、こんなの説明つかねぇだろぃ?」
 「………。」

比呂士は、極端ではないが現実主義者だ。
幽霊や化け物の類を完全に否定はしないが、素直に肯定することもない。
ブン太の話は、普段なら軽くあしらってしまうほど、明らかに非現実的なものだった。
それなのに何故か、否定の言葉を口にすることが出来ない自分に、比呂士は戸惑っていた。

心の奥がザワザワと粟立って、無意識に両腕で身体をかき抱いた比呂士を、仁王は悲痛な面持ちで見つめていた。

まほろばの記憶 1



 「行ってまいります。」

七三気味に分けられた淡い髪、細いフレームの眼鏡にきっちりと制服を着こなし、見るからに優等生らしい外見。
柳生比呂士は、いつもの様に朝練に参加するため、一般生徒の登校には少し早い時間に家を出た。
まだ人通りの少ない通学路を行く、比呂士の足取りは重い。
結局、あれからも眠ったという実感はなく、起床時間になってしまった。
ここ連日続く寝不足は、毎日ハードな練習をこなす比呂士にとって、かなりの体力を消耗させていた。

 「おはようさん、柳生。」
 「おはようございます、仁王くん。今日は、随分早いですね。」

校門を抜けコートに向かう途中、後ろから駆け寄って来たのは、比呂士のダブルスパートナーの仁王雅治。
無造作にセットした銀髪は、襟足の部分だけ長めに伸ばされて緩く結ばれている。
着崩した制服、踵を踏み潰した靴を引き摺るような歩き方。
緩く上げられた口角の傍らにある黒子は、どこか中学生らしからぬ色気を感じさせる。
正反対に見える二人だが、何故か一緒にいることが多かった。
二人がダブルスを組む前から、仁王は何かと比呂士の事を気に掛けていた。
ダブルスを組む様になったのも、もっぱら仁王の方からの働きかけが大きかったからだ。
仁王のプレイはトリッキーで予測がつかず、いつの間にか翻弄されてしまうことから「コート上の詐欺師」などという通り名がついてしまうほど。
そんな仁王が、正反対に位置するような柳生に懐いているという奇妙な行動は、最初こそからかっているのだと思われていたが、最近ではすっかり受け入れられている。
今では二人が一緒にいるのは、当然の様に扱われる始末。

 「どした?柳生…顔色が、悪かよ?具合でも、悪いがか?」
 「え?…あぁ、少し寝不足なだけですよ。」
 「寝不足?」
 「はい、ちょっと夢見が悪くて…。ご心配掛けて、すいません。」
 「夢見って…まさか、柳生……!」

一瞬、見開かれた瞳は、心もとなく歪められた。
募らせる想いを込めて、差し出そうとした震える仁王の両手は、後方から駆けてくる足音に遮られた。

 「おはようございます!ヒ…柳生先輩!…と、仁王先輩。」
 「おはようございます、赤也。今日は、遅刻しなかったようですね。」

少しきつめの癖っ毛を跳ねらせて、後方から駆けて来たのは、二人の後輩の切原赤也だった。
いつもは遅刻ギリギリで朝練に参加する赤也だが、珍しく早めに着いて見慣れた背中を見つけると、息を切らせて比呂士に飛びついた。
会話を遮られ、ついでのような扱いの後輩に、仁王は不機嫌そうに舌打をする。
そんな仁王に構わずに、赤也は普段はキツク見えるツリ気味の大きな瞳を細め、比呂士を見上げて微笑んだ。
赤也は、小さな頃から比呂士の父親の病院へ通っており、一時体調を崩して入院した事もあった。
身体の辛さと一人きりの心細さに押し潰されそうになっていた時、いつも病室を訪れて励ましてくれたのが、その病院の息子である比呂士だった。
そんな比呂士の存在は、赤也にとってとても心強いもので、それ以来、二人きりの時などは『ヒロ兄』と呼び、ホントウの兄の様に慕っていた。
その屈託のない笑顔につられて微笑んだ比呂士だったが、赤也はすぐさま表情を曇らせた。

 「ヒロ兄!どうしたんだよ!調子悪いんじゃないの?大丈夫なの?」
 「え…あの、どうしたって…寝不足なだけですよ。心配いりませんから。」

赤也は、不安に歪めた瞳のまま、比呂士にしがみ付いている。
そんなに酷い顔してるんですか?と、苦笑いする比呂士を見つめて、唇を震わせた。

 「だてに、ガキの頃から見てたわけじゃない。オレの目は、誤魔化せねえよ!」
 「そうですね…赤也とは長い付き合いですから…ですが、本当に寝不足なだけなんですよ。」
 「寝不足って…!また、ベンキョウのしすぎ?」
 「いえ、嫌な夢を見てしまったので…。」
 「ヒロ兄…夢って、どんな……。」

大きな瞳を、さらに大きく見開いて、赤也はしがみ付く両手に力を込めた。
仁王といい、赤也といい、心配してくれるのは嬉しいが、何故こんなに自分が見た『夢』に反応するのだろう?と、比呂士はいぶかしむ。


まるで、自分が覚えていない夢の内容が、二人にとって重要な意味を持つかの様に。


END

<2008.4.27>

立海メンバー in 『星のまほろば』
☆ Cast ☆
大月の同僚…丸井ブン太、ジャッカル桑原
江藤水支(大月の後輩・大学生)…仁王雅治
鮎川空見(大月の甥・小学生)…切原赤也

空見と大月は、叔父と甥の関係なので、赤也も少しでも近い関係に。
ということで、比呂士と赤也の過去は捏造です。
水支は、やけに懐いてくる、世話の焼ける後輩という関係。
けっこう、そのままでも変わりはないよう(笑)
ジャッカルとブン太は、次の登場は未定…。
まだまだ序盤でしかない…取り合えず、登場人物紹介(苦笑)

前へ次へ
戻る