百年戦争
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イギリスとフランスとの間に起きた百年戦争。なぜ両国は100年もの間争うことになったのでしょう?
その原因のひとつが、国王どうしの対立です。イギリスの国王エドワード3世。実は、フランスのカペー朝の血を引いていたんです。フランスでは、そのカペー朝の男子系の血筋が途絶え、新たにカペー朝の親戚筋にあたるフリップ6世が王位についていました。イギリス国王のエドワード3世は、「おいおい、それなら俺にだって王位継承権があるんじゃない?」ってことでフランスに侵入してきます。これが百年戦争の始まりです。
しかし、エドワード3世は、それだけでフランスにケンカを売ったわけではないんです。両国は、現在のベルギーにあたるフランドル地方という毛織物産業の中心地をめぐって争いをしていたんです。こういった経済的な争いも裏にはあったんですね。
百年戦争は学者によって解釈が異なる場合もありますが1339年〜1453年ですので、実際100年以上の期間がある・・・。まぁ、ずっと戦い続けていたわけではありませんけどね。でも、緊張状態にあったことは間違いありません。
この百年戦争。当初は、イギリス優勢で進んでいきます。活躍したのは、イギリス国王エドワード3世の息子のエドワード黒太子(くろたいし・こくたいし)。その後もイギリス優勢のまま進んでいくのですが15世紀になってフランスの大逆転が起きます。そうジャンヌ・ダルクの登場です。
このジャンヌ・ダルクは、東フランスのドンレミ村の農民の娘。貴族でもなければ、聖職者でもないんです。しかし、彼女は1428年に神のお告げを聞いたということで立ち上がるんです。
1429年2月にシャルル7世に謁見。彼に神の言葉を伝え鼓舞すると、白銀の甲冑を着て旗を振りかざし軍隊を率いてイングランド軍が包囲したオルレアンにて勝利。その後、シャルル7世は正式にフランス王に即位。イギリスはカレーというドーヴァー海峡に面した地域のみを残して大陸の領土を失うことになります。
最後の最後でフランスの大逆転!長きに渡った百年戦争。フランス軍を率いて戦況を逆転してみせたジャンヌ・ダルク。その後は、平和な日常を送った・・・。と、いいたいところですがフランス王に即位したシャルル7世はイギリスへの政策を比較的穏便な外交戦略へと切り替えており、彼に持て余されたジャンヌ・ダルクは戦にかりだされるとイギリス軍に捕らえられて1431年に魔女裁判にかけられて火あぶりにされてしまうんです。
おとぎ話のようにはいかず、悲しい最後だったんですね。
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百年戦争とジャンヌダルク
1429年2月 神の声を聞いたことをシノンにてシャルルに伝える
1429年5月 オルレアンの戦いにて戦況を逆転に導く
1430年シャルルとフランスの王位を争っていたブルゴーニュ公。彼にコンペーニュ郊外にて捕らえられイギリスに引き渡される。
1431年ルーアンにて魔女裁判にかけられ火刑
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<中世フランス・カペー朝
>バラ戦争
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