7月革命
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7月革命とは、1830年7月にフランスで起きた市民革命のことをいいます。
(出典:ウィキペディア)
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」が有名ですね。シルクハットの男性がブルジョワといわれる中産階級の象徴。左側に立つベレー帽の男性が労働階級。拳銃を2つ持つ男が学生、もしくはパリの浮浪児といわれています。中央の女性がフランスの象徴ですね。
では、この7月革命はなぜ起きたのか?その原因から見ていきましょう。
フランスでは、1814年のナポレオン没落によりブルボン王朝が復活します。そして、ルイ18世が即位するのですが、彼は1824年に死去。後を継いだのはルイ18世の弟、シャルル10世でした。
しかし、この復活したブルボン王朝は民衆からあまり評判が良くなかったんです。なぜなのか?
当時は、一応、立憲君主制というスタイルをとっていました。その前が絶対王政ですね。1791年までです。その絶対王政がフランス革命によって立憲君主制になったんです。これが1791年から1792年まで。まぁ、そのあと、いろいろあって1804年までは第一共和政になり、その後はナポレオンによる第一帝政です。そして、また立憲君主制にもどったハズだったんですが・・・。まぁ、一応、立憲なので憲法にあたるものはあります。1814年憲法というやつです。ですけど、なんだか、貴族や聖職者を優遇しまくりなので民衆にしたら面白くないんですね。
選挙でも制限選挙制というのが行われます。制限というくらいだから、当然制限されています。かつて、革命時にオーストリアやプロイセンに逃げていた貴族、つまり亡命貴族といわれる人たちに参政権が限定されていたんです。また、彼ら亡命貴族らは革命時に土地を奪われていましたのでシャルル10世は多額の補償金を彼らに給付したりしています。これらが国民の反感を買いました。
この国民の反感を反らすためにシャルル10世は北アフリカのアルジェリアへ出兵を行います。とりあえず、国民の不満を外に向けてしまえっていうことですね。
ですが、この北アフリカへの出兵により国民の不満がやや収まるとシャルル10世は7月26日言論弾圧や反政府活動の弾圧などを行います。今のうちに邪魔な奴らや反感的なヤツは黙らせてしまえっ!ってところです。
これが国民の怒りに火をつけました。フランス国軍の多くは北アフリカに行ってしまっているし、フランス国民はフランス革命で政権を転覆させる術は身につけている。
1830年7月27日にはパリのブルジョワ、労働者、学生といった人々が武装蜂起し、シャルル10世はギロチン刑を逃れるために退位するのでした。
では、シャルル10世が退位した後に新たな王になったのは誰か?
ルイ・フィリップという人です。シャルル10世のブルボン家の親戚ですね。フランス革命初期の指導者であったラ・ファイエットらも新しい王の候補になりますが、結局はルイ・フィリップが王となります。
ちなみに7月革命の中心人物は銀行家のラフィット。また、ジャーナリストのティエール、ギゾーも学生、労働者を煽動し、後に二人は首相となります。
この7月革命後の王政を7月王政と呼びます。
この7月革命は、周辺の国々にも影響を及ぼしていきます。すぐ近くのオランダなんかもモロです。オランダは当時、ベルギーを併合していましたが、そのベルギーはフランスの革命に触発され独立します。イギリスでも7月革命の影響によって選挙法の改正が行われます。
逆に粉砕されていまったのは、ドイツで憲法制定、農民解放を求めて騒乱が起きますが、これはオーストリアによって鎮圧。ポーランドでも反ロシアの武装蜂起が起きますが、これもロシア皇帝ニコライ1世が鎮圧します。
このように周辺の国々まで影響を与えた7月革命。しか〜し!フランスでは再び革命が起こることになるのです。それが2月革命ですね。
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