フランス革命
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フランス革命とは、年代的に1789年から1799年のナポレオンの独裁体制が成立するまでの期間を一般的に指します。(1787年の貴族の反抗からという場合もありますが・・・)
では、フランス革命の時代背景から見ていきましょう。
フランス革命の原因
当時のフランスの社会構造のことをアンシャン=レジーム(旧体制・旧制度)と言ったりします。ここでの身分階層は、まずてっぺんにいるのが国王です。その下にはおおむね3つの身分に分かれます。
第一身分が聖職者。第二身分が貴族。第三身分が平民です。
聖職者が一番偉いんですね。二番目が貴族。人口としては、極めて少ないんですけど(聖職者と貴族を足しても全体の2%ほどといわれています)、フランス全土の3〜4割の土地は彼らが支配しています。さらに聖職者と貴族には特権が認められているんです。どんな特権なのかというと税金を払わなくていいんですね。そして、3番目が平民。農民や手工業者、職人や賃労働者などです。まぁ、平民の中にもお金持ちもいれば、そうでない人もいます。だたし、彼らには税金を払う義務が生じています。
さて、そんなフランスですが、当時はかなりの財政危機に直面していました。フランス革命当時のフランス国王はルイ16世ですね。彼や妻のマリー・アントワネットがとんでもない浪費をしたせいでフランスが財政危機に陥ってしまったと思われることも多いのですが、実は、ルイ16世が20歳で跡を継いだ時には、すでのフランスは財政危機に陥っていたんです。
原因は戦争ですね。ルイ15世の時代では、フレンチインディアン戦争(新大陸アメリカにてイギリスとフランスが争った)にてフランスは敗北。これによってフランスは財政難となります。さらにルイ16世が即位した翌年にはアメリカ独立戦争が起こり1778年にフランスも参戦。ここでは、戦勝国となりますが、戦費はかさみ、財政危機はさらに深刻になっていきます。
ちなみに、このアメリカ独立ですが、これがフランス革命に大きな影響を及ぼすことになります。まぁ、財政危機を加速させたこともあるんでが、もう一つ思想的な面でも影響を与えるんですね。「権力に立ち向かおうではないか!」みたいな思想がフランスにも影響を与えるわけです。
フンランスも財政危機をほったらかしにしておくはずもありません。ルイ16世は、二人の人物を起用し財政改革に乗り出します。その二人とはテュルゴーとネッケルという人物です。テュルゴーは重農主義の論客として有名。ネッケルは銀行家です。
そして、まずは新たな財源を確保する必要があると判断したんです。そして、「特権階級にもついに課税するしかないんじゃないか」という結論に達します。
今まで税金を払っていなかった聖職者と貴族に税金を払わせようとしたんですね。当然のように彼らは反対します。
ここで、「うるさい!俺の言うことを聞け!」ってルイ16世が強制的に特権階級に税負担を強いていればフランス革命は起きなかった可能性もありますが、ルイ16世は、とりあえず彼らの話を聞いておくか・・・。とお人よしなんです。
特権身分の者たちを集めいて名士会を開くのですが、彼らは納得するどころか三部会の開催を要求しました。これは170年ぶりの開催です。聖職者、貴族、平民が集まって会議しましょうってことですね。
1789年5月、ヴェルサイユにて三部会は召集されます。しかし、こんなの揉めるに決まってますね。もう、どうやって決めるか?という議決方法を決める段階ですでに揉めるんです。身分別で投票するなら聖職者1票、貴族1票、平民1票で特権階級が2体1で勝つんですね。しかし、個人別での投票なら平民代表は600人。聖職者、貴族は300人づつですのでどっち転ぶかわからないんです。
こんなんで揉めているので6月には、第三身分の代表たちは「国民議会」を名乗り三部会とは別の会議を始めます。彼らは、話し合いの場所を球戯場に移し「憲法が制定するまで解散はしない!」と宣言しました。これを球戯場の誓い(テニスコートの誓い)といいます。球技じゃありません、球戯です。
特権階級の人たちも、これに同調します。なぜ、同調したのか?第三身分の提案に乗っかれば、国王の権力を縮小し、自分たちの権限を拡大することができると踏んだんですね。また、フランスもイギリスのようにいずれは平民たちが支配する状況がやってくるのだろうと考える人もいました。そうなった時、身の保証のために平民たちに寄っておいた方が得策と考えたのです。
当時、大ベストセラーとなっていた本でシェイエスの「第三身分とは何か」というものがあります。この中で「第三身分はすべてを獲得するだろう」といった内容が書かれています。
その後、三部会は閉鎖され、7月には憲法制定国民会議が成立することになります。
さぁ、ここまでがフンランス革命の序章といったところです。次からいよいよ革命の蜂起となります。
革命の蜂起
パリのパレ・ロワイヤルという人々が多く集まる場所で一人の青年が民衆を煽ります!彼の名はカミューユ・デムーラン。
「ネッケルが解任された!国王軍は我らを弾圧するはずだ!みんな武器を持って立ち上がってくれ!」
ネッケルというのは、このページの上の方で出てきた名前ですね。そう銀行家でルイ16世に財政危機を救ってくれと起用された人物です。彼は、第三身分でした。ですから国民からすごい人気があったんです。彼は、王族までにも節約をお願いします。それで、王族が怒っちゃったんですね。ルイ16世は、自分で採用した人物なので、微妙なところだったのでしょうが、親戚たちから「あの人のやり方どうなの?」みたいなこといわれたんでしょうね。ですから、ネッケルを罷免します。
平民のスターのような人物の罷免で民衆たちは動揺し憤慨するんですね。そして、立ち上がります。
1789年7月14日。政治犯の牢獄ともなっていたバスティーユ牢獄を民衆は襲い武器を手に入れます。そして、このパリでの動きがフランス中に広まっていき大規模な農民の反乱を誘発していきます。当時、イーデン条約というのが結ばれてイギリスの商品がフランスへ大量に入ってきていたんですね。それでフランスの産業は不振に陥っていました。さらに凶作なども原因となり、民衆はうっぷんを積もらせていたんです。
こうして、政治の主権は事実上、国王から国民議会に移行していくことになるのでした。
そして、民衆を強い味方として国民議会は改革を進めていくことになります。8月4日には封建的特権の廃止。これは、貴族や教会が農民らをいろいろな形で支配していたんですが、それらは無償、あるいは有償にて廃止されるというものです。
領主裁判権や教会が持っていた十分の一の課税権は無償で廃止。一方で領主が徴収できる年貢については、20年分の年貢を一括で払えば廃止という有償廃止でした。まぁ、有償廃止の方はそんな大金持っている人は少ないので事実上不可能だったようです。
つづいて、8月26日にフランス人権宣言が発せられます。すべての人間の自由と平等、国民主権、言論の自由、財産権の不可侵をうたった宣言です。人権宣言を起草してのはラファイエット。私財を投げうってアメリカ独立革命に参加した自由主義貴族と呼ばれる人ですね。
流れにのった民衆は10月5日、パリの女性たちを中心にパリからヴェルサイユに向かい武力行進をしました。なんで、女性が中心となったのか?パンの価格が上昇していたんですね。怖いです。
これに対して、ルイ16世はパンの配給を約束します。そして、民衆たちは自分たちの住む街であるパリに国王がやってくることを望みます。その後、ルイ16世は家族とともにパリに連行され、国民議会もパリに移ることになりました。ヴェルサイユから心機一転。民衆たちは、古い時代から新しい時代への幕開けとしたかったのでしょうね。
さて、随分長くなってしまいましたが、その他の国民議会の改革についても見ておきましょう。まず、教会をローマ教皇庁から独立させて、聖職者は公務員とします。商工業者の間で結成されたギルドといわれる組合や国内関税は撤廃。これでブルジョワジーといわれる中産階級が商売をやりやすくなります。このように多くの旧制度が廃止され、現在のフランスの国旗である、あの三色の旗も制定されました。
>フランス革命A
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