インド・アーリア人の侵入
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インダス文明(BC2300年頃〜BC1800年頃)が終わりを告げ、BC(紀元前)1500年頃からは、このインドの地にアーリア人が侵入してくることになります。
彼らの原住地はインダス川の西に位置するイラン高原。そこから、インダス川中流の地域に定住しますが彼らは都市を建設せずに、牧畜や農耕を営んでいました。
インダス文明の時、この辺りに住んでいたのはドラヴィダ人でしたね。彼らの多くが有色人種だったのに対し、この地を征服したアーリア人は肌の白い人が多かった・・・。そこから「ヴァルナ制」という制度の語源となりますが、これはもう少し後でお話しますね。
インドにやってきたアーリア人たちは神への賛歌を始めます。これが「ヴェーダ」という聖典。その中でも最古のものを「リグ=ヴェーダ」といいます。
紀元前1000年ごろからは、アーリア人はガンジス川付近へと移動を開始します。また、その頃、彼らは鉄器を使うようになっていきました。
そして、このころから彼らの社会では身分階級の原型が成立します。これが、上でお話したヴァルナ制。ちょっと前まではカースト制といっていましたのでそっちの方がピンとくる方も多いはず・・・。
このヴァルナっていうのは色のこと。先住民の多くが有色人種であったのに対してアーリア人は肌の色が白い人が多かったので、このような名前がつけられたようですね。
このヴァルナというの上から順に4つの身分に分けられます。
1.バラモン(祭司)2.クシャトリア(貴族・戦士)3.ヴァイシャ(庶民)4.シュードラ(奴隷)
さらに、これに加え職業や出身地別の差別が存在し、これをジャーティーといいます。ポルトガル人がこれをカスケスと発音した為にカーストという言葉が生まれたんですが、当時はカーストという言葉はなかったので最近ではヴァルナ制と呼ばれるようになっています。
この差別階級にはさらに下の階層も存在しました。
これらの身分は世襲(親から子へ受け継がれる)で結婚も同一の身分同士でしかできません。この制度は、現在インドでは法律上禁止となっていますが未だインド社会に根付いているといわれています。
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