仏教の始まり
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紀元前6世紀ごろ。インドのガンジス川流域では開発が進んで人口も増え始めます。すると、都市国家といえる国々が形成されてくるようになるんです。その中でも特に優勢だったのはガンジス川中流域のコーサラ国や下流のマガダ国。この2つの国はガンジス川流域の覇権を争うようになっていきます。
さて、そんな時代のお話。コーサラ国とマガダ国の間に小さな国家がありました。この国家を営んでいたのが釈迦族という一族。紀元前5世紀に、その釈迦族の王の息子だったのがガウタマ=シッダールタという人物です。ゴータマ=シッダールタやゴータマ=シッダッタという表記も本やホームページによってはあるかもしれないけど、まぁ、同じ人物のことですね。
えっ?誰だって?確かに、ガウタマ=シッダールタという名前は日本ではあまり知られていないかも知れませんね。こっちの方が超有名!「ブッダ」あるいは「釈迦」。そう、このガウタマが後のブッダや釈迦といわれている人ですよ。
>釈迦と仏陀(ブッダ)の違い
当時、釈迦族の国はコーサラ国の属国となっていました。取り巻く情勢は厳しく、感受性の強かったガウタマはやがてある思いにふけるようになっていくことになります。
人には、この世に生きている限りさけることのできない苦しみというものがある。それを、どうしたら乗り越えることができるのだろうか・・・。
これが生きていく限り決して避けることのできない4つの苦。生きること、老いること、病むこと、死ぬこと。「生老病死」です。ガウタマはいつも、そのことで悩み年とともに心が沈んでいったといいます。
また、愛する人と離れなければならない苦。「愛別離苦」。憎む人と会わなければならない苦。「怨憎会苦」。求めても決して手に入らないものを求めてしまう苦。「求不得苦」。生きることそのものからくる苦。「五陰盛苦」。これら4つの苦を加え四苦八苦といいます。聞いたことはありますね。四苦八苦するとかいいますもんね。
そして、ガウタマはこれらの苦から逃れる為についに旅立つことを決意します。29歳の時です。悟りを開くために出家したわけなんですけど、実は、ガウタマにはすでに奥さんと子供がいました。ガウタマ16歳のときに10歳にもならない奥さんをもらっていたんですね。しかし、当然、奥さんや子供を連れて行くわけにはいきません。置いて行っちゃうんですね。寝ている間にそっと出て行っちゃいます。この辺は、私たちが学んできた道徳から見ると「ん??」ってなっちゃいますけどね。でも、まぁ、この時代のインドでは、家族を持っていても出家して修行する人が多くいたんです。別に特別めずらしいことでもなかったんですよ。
さて、この時代。インドでは死んでもまた生まれ変わる。つまり、輪廻転生が信じられていました。輪廻転生って死んでも、また生まれ変われるんでしょ。嬉しいじゃん。って思いますが、ガウタマが目指したのは、その逆。この輪廻転生から逃れること。つまり、解脱ですね。生きることは「苦」だと考えていたわけですからね。輪廻転生のサイクルから逃れないと苦から逃れることはできないんです。
そして、ガウタマは菩提樹の下で坐禅を組み瞑想を続けます。悟りを開いたのは35歳の時です。仏教では悟りを開いた人のことを「ブッダ」といいます。だから、ガウタマはブッダと呼ばれている訳です。
ガウタマは、この悟りを皆に知ってもらう為に80歳まで教えを説いて回ります。どんな教えかというと、八正道といわれる修行の方法。簡単にいうと、正見(正しく物事を見る)、正思(正しく考える)、正語(嘘や悪口雑言をさけ、正しく言葉を使う)、正業(殺生、姦淫にふけることなく正しい行いをする)、正命(正しい生活をする)、正精進(目的に向かって正しく努力する)、正念(常に仏道にも意をこらす)、正定(心を安定させる)。8つの正道なので八正道です。本当はもっと細かく分かれていたりするんですけど、大雑把に言うとこんな感じですね。
>釈迦の生涯について
この教えは、クシャトリヤ(戦士や貴族)、ヴァイシャ(農民、商人)らの階級で大きな支持を得ることになります。
仏教では出家修行者にならなくても教えに従えば心の安らぎを得られるというので強く引かれていく人たちが増えていくんです。中には仏教寺院や僧院など無償で布教のための足場を用意してあげる人なども出てきます。
この仏教の教えは、インドの各王朝で発展した後、中国、東南アジア、そして日本へと伝わっていくことになるのでした。
<インド・アーリア人の侵入
>インド・ジャイナ教
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