馬鹿の語源となった秦の2代目
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秦の始皇帝といえば、紀元前221年に400年以上も続いた乱世を統一させ有名ですね。史上初の皇帝を名乗り、始まりの皇帝を意味する始皇帝と呼ばれることになります。
では、秦の第二代皇帝は誰なのか?
それが、馬鹿の語源となったといわれている始皇帝の末っ子、胡亥(こがい)です。
胡亥は、皇帝でありながら始皇帝の側近として絶大な権力を振るっていた趙高(ちょうこう)に操られているような状態でした。
胡亥は兄の扶蘇(ふそ)や李斯(りし)という忠臣を抹殺していますが、これも趙高の入れ知恵だったといわれています。
胡亥と趙高との逸話で馬鹿の語源といわれるものがあります。
ある時、趙高が鹿を宮中に持ってこさせました。そして、胡亥に「珍しい馬が手に入りましたよ」と報告に上がります。胡亥は、目を丸くします。「えっ、これ馬じゃなくて、鹿じゃない?」
もちろん、趙高がそんなことを知らないわけがありません。鹿であるということは十分知っていて、あえて鹿を馬だといって皇帝に見せたのです。
しかし、趙高は周りの者たちに「いや、馬だよね。コレ」と問いかけます。趙高の権勢を恐れるものは「確かに馬です」答え、彼を恐れぬものは「鹿です。」と答えました。
後に鹿だと答えた者は殺されたといいます。趙高は、自分に従うものとそうでない者をこの問いかけで判断したわけです。
「指馬為馬(しかをさしてうまとなす)」
諸説ありますが、馬鹿の語源となっているともいわれています。
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