大航海時代
|
大航海時代って言葉、なんだかワクワクしますね。この大航海時代の時期についてはいろいろな意見がありますが、一般的に15世紀ごろに始まり17世紀ごろまでの期間をいうことが多いです。
アジアでは、10世紀以降からすでに海域で盛んな交易が行われていたり、15世紀には鄭和の大遠征などもありましたが、ここでお話する大航海時代はヨーロッパ人が世界に乗り出した時代のことを指しますよ。
では、なぜヨーロッパ人は、この時代に危険を冒してまで海に出たのか?
まずは、中国で発明された羅針盤。これがイタリアで改良されたことや天文学や海図の発達など海洋技術の向上があげられます。まぁ、羅針盤がなければ、大海原でどっちに進めばいいのかすらわからないですからね。さすがにあてずっぽうで海に出るわけにもいかなかったわけですが、これらの技術の発達が男たちの勇気を後押ししました。
そして、香辛料・・・。これは、胡椒ですね。胡椒は防腐剤の役割を果たすだけではなく、肉食の普及などに伴って多くのお金をもたらしたんです。肉に塩コショウはなくてはならないですからねっ。
この大航海時代に先鞭をつけたのがポルトガルとスペイン。
では、まずポルトガルのお話から・・・
ポルトガル
スペインもそうなんですけど、ポルトガルって宗教熱心な国なんですね。だからイスラム勢力が大嫌い!11世紀以降には「イスラム勢力を追っ払おう!」運動が活発になります。この運動をレコンキスタっていいます。
そんな中でイスラム勢力の向こう側、アフリカの内陸部にはキリスト教の国があるという伝説が信じられていました。「大司祭ヨハネの国」です。この国と連携すれば、イスラム勢力を挟み撃ちにできるって訳です。
また、西スーダンとの黄金の取引なども魅力があったのでアフリカ西岸の探索を始めることにします。
ここで有名なのがエンリケ王子。別名、航海王子。彼は、アフリカ西岸の探索のために航海士の育成学校や造船所、海図の作成などに力を注ぎます。このエンリケ王子がポルトガルの海外発展の基礎を築いた人ですよ。とはいえ、船酔いしやすい体質だったとかで、航海には殆ど出ることはなかったといわれていますけどね。
その後、アフリカ西岸に沿って航路はのび1488年にはバーソロミュー・ディアスが南端の喜望峰に到達します。なんだか、漫画のワンピースの七武海にいそうな名前ですね。
その10年後にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通ってカトリットに到着。これは、往復2年以上かかっており3分の2くらいの乗組員が亡くなるという凄まじい航海だったんです。しかし、彼らが持って帰った胡椒は莫大なお金をもたらします。航海にかかった費用のなんと60倍もの富!
ヴァスコ・ダ・ガマの航路 |
|
ですが、アフリカの最南端を通ってインドまで行くって遠回りじゃない?って思いますよね。しかし、これには大きな意味があるんです。中東を通らないで済みますからね。陸路じゃ、どうしたってイスラム勢力圏を通ることになる。すると、イスラム商人に仲介料をとられちゃいますからね。儲けようと思ったら、この海路の発見は大きいわけです。これによって、首都のリスボンは世界の商業の中心地となっていきます。
スペイン
では、次はスペインです。こちらで出てくるのは、誰もが知っているコロンブス。クリストファー・コロンブスです。
ヴァスコ・ダ・ガマが通った海路は、東廻りですね。しかし、コロンブスは西廻りの方が早いんじゃない?半分くらいでアジアに行けちゃうんじゃない?って考えます。この考えの元になったのはトスカネリの唱えた地球球体説です。
この西廻りの案をもって、コロンブスは初めポルトガルに支援を依頼しますが断られます。すでに、ポルトガルはバーソロミュー・ディアスが喜望峰に到達していましたからね。そっから、ほぼ確実といえる東廻りに投資するか?本当に地球が丸いのかどうかもわからない状態、さらには本当に時間短縮でたどり着けるのかもわからない西廻りに投資するか?まぁ、答えは明白だった訳です。
そこで、コロンブスはスペインに話を持ちかけます。ポルトガルがダメならライバル国のスペインなら話が通るだろって考えです。なんとか説得し支援を得ると1492年8月、ついにコロンブスは帆船サンタ・マリア号をはじめとする3隻で出航するのでした。
そりゃ、怖いですよ。現在では、地球が丸いなんてのは常識ですが、当時はそうではありませんからね。もう、まさに死ぬ覚悟で出航していくんです。そして、出航から70日あまりでバハマ諸島のグワナハニ島にたどり着きました。そして、その島をサンサルバドル(聖なる救世主)島と名づけます。島の名前に当時のコロンブスたちの心境が現れていますね。
ですが、コロンブスは、この地をインドだと勘違いしました。だから、サンサルバドル島を含むカリブ海の辺りの島は西インド諸島っていうんですね。実際は、西インドじゃないんですけどね。
まぁ、当時では、アメリカ大陸という認識はなかったので「ほら、西廻りでいったらインド近かったでしょ」っていう感覚だったんです。
しかし、実際は新大陸!その後、アメリゴ・ヴェスプッチの航海や太平洋を発見したバルボアによって、この地の状況は明らかになっていきます。アメリゴにちなんで新大陸の名前はアメリカと呼ばれるようになりました。
コロンブスの航路 |
|
>トリデシリャス条約
>マゼランの世界一周
|
|
|
|