五賢帝時代-ローマ最盛期
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ローマ最大の繁栄期となるのは96年から180年までの間の通称、五賢帝(ごけんてい)の時代です。
それでは、この五賢帝の時代を学んでいきましょう。
まず、五賢帝というくらいですので、5人の賢い皇帝が統治した時代なわけですが、その五人を見てみましょう。
最初がネルヴァ(在位96〜98年)。この人が皇帝になったのは60歳を過ぎてから・・・。自分と血のつながりのないトラヤヌスを養子にして優秀な彼を後継者に指名します。
そして、次がネルヴァから皇帝の座を託されたトラヤヌス(在位98〜117年)。この人が特に入試なんかではよく出題されますね。トラヤヌスの時にローマの領土は最大となります。ちなみに、トラヤヌスはイタリアの出身ではありませんでした。スペイン地方の出身です。初めての属州出身の皇帝ですよ。
トラヤヌス帝時代の領土・ローマ帝国の領土が最大になる |
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101年には現在のルーマニアであるダキアを征服
114年にはマルメニアがパルティアに攻められたことにより、
東方のパルティアと争うこととなる。(パルティア戦争)
勝利したローマはメソポタミア地方まで支配することになる。 |
そして、トラヤヌスの次がハドリアヌス(在位117〜138年)。この人は各地に防壁(ハドリアヌスの長城)を設けたので有名ですね。まぁ、万里の長城みたいなもんです。
その次がアントニヌス=ピウス(在位138〜161年)。この人は先帝の政策を継承し大胆な改革はしませんでしたが、自身の多額の財産を寄付したりして財政を安定させました。ちなみに五賢帝時代では最長の23年間の統治期間となります。
そして、ラストがマルクス=アウレリウス=アントニヌス(161〜180年)。この人は別名「哲人皇帝」ともいわれ、禁欲主義のストア派の哲学を学んでいるよ。彼は「この世において汝の肉体が力尽きぬのに魂が先に力尽きるのは恥ずべきことではないか」などという名言を残しています。さすが哲人って感じでしょ。
このローマの五賢帝の時代は、日本でいうと卑弥呼が登場するくらいの時代です。五賢帝の時代には、皇帝が養子縁組による優れた人物の皇位継承が続けられることから安定した平和で幸福な時代を送ることができました。
世界の人口が当時は8千万人くらいっていわれていますので、大体人類の4分の1くらいの人がこのローマの支配下でくらした計算になりますのでスゴイですね。
しかし、マルクス=アウレリウス帝の時には、外敵からの攻撃も絶えず、その後のローマは「3世紀の危機」という時代をむかえることになります。
五賢帝 |
@ネルヴァ
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五賢帝時代、最初の皇帝 |
Aトラヤヌス
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ローマの領土が最大になる |
Bハドリアヌス
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ハドリアヌスの長城 |
Cアントニヌス=ピウス
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先帝の政策方針を継承 |
Dマルクス=アウレリウス=アントニヌス
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哲人皇帝 |
<暴君ネロの登場
>三世紀の危機
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