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 歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記古代ローマの歴史>暴君ネロ

暴君 ネロの登場

 
 帝政ローマの第5代皇帝。暴君の代名詞のような人物が
ネロ(在位54〜68年)ですね。キリスト迫害や母、妻を殺しめちゃくちゃな皇帝のようですけど、彼の治世の前半は、哲学者であり彼の家庭教師でもあったセネカなどの意見を取り入れて、結構いい政治を行っていたんです。前皇帝下での不評だった政情を是正したりしてね。



 しかし、ネロは徐々におかしくなってきてしまう。ネロは前皇帝の娘と政略結婚をしていたんですけど、その妻よりもなんと愛人に入れ込んでしまうんです。しかも、その愛人は解放奴隷。

 怒ったのは、彼の母親アグリッピナ。実は、ネロはアグリッピナが前夫との間に生んだ子供。その後、前皇帝のクラウディウスと結婚し、なんと皇帝を毒殺。そして、我が子、ネロを皇帝の座に置いたという悪妻・・・。その時、ネロは16歳でした。

 ですから、母親に頭が上がらないところはあったんですね。しかし、優秀な指南役であるセネカなどが毅然とした態度でアグリッピナに対応していた為、まぁ、前半の5年ほどは善政を行えていたんです。

 しかし、愛人問題で激怒した母アグリッピナは、皇帝の実子であるブリタニクスに皇帝の座に据えると脅しをかけます。ですが、ネロ側も反撃。ブリタニクスは毒殺されアグリッピナも宮殿から追放してしまうのです。

 その後、2番目の愛人として人妻を愛人にしたネロ。これに母親アグリッピナは再び口を挟む。ついに、堪忍袋の緒が切れたネロは、母親を殺害。その後は、セネカなど優秀な指南役も政界を引退していくこととなり、ネロは坂道を転げ落ちるように暴君へと変貌していくことになるのです。

 64年には、ローマにて大火災が発生。ネロがこの火災の主犯ではないか?という噂が流れるが、ネロは、この大火災の真犯人はキリスト教徒であるとしてキリスト教徒の迫害を始めます。そして、その後ローマの復興に着手する一方で広大な「黄金宮殿」を建設します。

 また、ネロは芸能の世界にも興味があったようで民衆の前で歌を歌ったり、竪琴を弾いたりするのが好きだったらしい。さらには、オリンピア競技会にて10頭の馬に車を引かせる戦車競争などにも出場しているよ。ネロは何と途中で落馬し完走できなかったにも関わらず優勝。周りの人も気をつかって大変だったでしょうね。

 これら、皇帝の暴挙に、議員らは陰謀を練ることになります。しかし、決行前に発覚。多くの議員と共にネロはセネカにも自殺を命じるのでした。

 ですが68年、ついに元老院によってネロは公敵宣言を下され、最後は自ら命を絶つことになるのでした。

 これら暴君として有名なネロですが、最近では、ローマの大火災時にネロは竪琴を奏でて眺めていたという話もある一方で自ら消火活動にも参加し非難した人々の救済にあたっていたともいわれています。また、火災の犯人も本当にキリスト教徒により行われたものではなかったのか?という説もで始めているようですので多少暴君として色づけされて歴史に名を刻まれてしまっているところはあるようですね。


ネロの暴君年表

 
54年 母であるアグリッピナがクラウディウス帝を毒殺。ネロがローマ皇帝となる。 
55年  義弟ブリタニクスを毒殺。 
59年  母アグリッピナを暗殺。 
64年 ローマの大火災をキリスト教徒のしわざとして弾圧。
65年 すでに政界を引退していたセネカを自殺に追い込む。 
66年 ギリシアのオリンピア競技会にて戦車競争に出場。完走せずに優勝。 
68年 ついに反逆にあい自殺。その時放った言葉が「なんと偉大な芸術家が消えていくことか」・・・。 

特に重要なのは64年のローマ大火災時のキリスト弾圧。これは、ローマ皇帝によるはじめてのキリスト迫害です。

その後、3世紀以降は、ローマ帝国によるキリスト迫害が激化します。

250年のデキウス帝による迫害。258年のバレリアヌス帝による迫害。303年ディオクレティアヌス帝による大迫害が開始。そして、313年にコンスタンティヌス帝によりミラノ勅令が発せられキリスト教の公認です。 


 
アグリッピナ

ネロの母親。最初の結婚でネロを出産し、その後クラウディウス帝と結婚。そのクラウディウス帝を毒殺し、ネロを帝位につけるが、そのネロによって暗殺される。
  セネカ

ネロの家庭教師。ネロ帝の前半の善政を支えるがその後引退。しかし、反ネロ派に加担したとして自殺を命じられる。
  ポッパエア=サビナ

ネロの2番目の妻。ネロの母、アグリッピナと対立し、それが原因でアグリッピナは暗殺される。その後、ネロ帝を離婚させ妻となる。後に、その離婚した妻は処刑・・・。



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