ネロの暴君年表
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54年 |
母であるアグリッピナがクラウディウス帝を毒殺。ネロがローマ皇帝となる。 |
55年 |
義弟ブリタニクスを毒殺。 |
59年 |
母アグリッピナを暗殺。 |
64年 |
ローマの大火災をキリスト教徒のしわざとして弾圧。 |
65年 |
すでに政界を引退していたセネカを自殺に追い込む。 |
66年 |
ギリシアのオリンピア競技会にて戦車競争に出場。完走せずに優勝。 |
68年 |
ついに反逆にあい自殺。その時放った言葉が「なんと偉大な芸術家が消えていくことか」・・・。 |
特に重要なのは64年のローマ大火災時のキリスト弾圧。これは、ローマ皇帝によるはじめてのキリスト迫害です。
その後、3世紀以降は、ローマ帝国によるキリスト迫害が激化します。
250年のデキウス帝による迫害。258年のバレリアヌス帝による迫害。303年ディオクレティアヌス帝による大迫害が開始。そして、313年にコンスタンティヌス帝によりミラノ勅令が発せられキリスト教の公認です。
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