歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記中世ヨーロッパの歴史中世イギリス


 

中世イギリスの歴史


 
イギリスのブリテン島には、ストーンヘンジと呼ばれる環状列石の存在しますね。そのことから紀元前3000年ごろには、すでに人が移住していたことがわかっています。

 紀元前7世紀には現在のアイルランド人の主要民族であるケルト人が渡来、紀元前58年にはブリテン人が渡来し、1世紀にはローマ帝国の属州となりました。

 5、6世紀にイギリス人の多数を占めるアングロサクソン人が移住。5世紀から9世紀にかけて7つの国(英語でヘプターキーと呼ばれる)7王国をつくりました。

 9世紀はじめに、これらが統一されイングランド王国は成立します。

 しかし、11世紀初めにノルマン人の一派デーン人が侵攻これを1度は撃退するものの、1016年には征服されデーン朝が成立します。ですが、このデーン朝はすぐに崩壊。アングロサクソン朝がすぐに復活します。

 だがしかし!せっかく復活したアングロサクソン朝。これを1066年にノルマンディー公ウィリアムが襲います。1066年にはヘイスティングズの戦いでノルマンディー公ウィリアムは勝利。ノルマン朝を創始しました。

 う〜ん。征服されたり、復活したりでややこしい・・・。まぁ、下の表で整理してね。

5〜9世紀 7王国 
829年〜  イングランド王国(アングロ=サクソン朝) 
1016年〜1046年  デーン朝 
1042年〜1066年 アングロ=サクソン朝 
1066年〜  ノルマン朝 


 さぁ、1066年にイギリス(イングランド)を征服したノルマンディー公ウィリアムですが、彼はイングランド国王ウィリアム1世となります。これで
ノルマン朝の成立ですね。

 このノルマン朝では、1100年に王位についたヘンリー1世が亡くなると後継者争いが始まります。内乱ですね。最終的には、王家の血縁にあったアンジュー伯アンリがフランスから招かれイギリスの王位は落ち着くことになります。

 このアンジュー伯アンリは、ヘンリー2世を名乗りました。このヘンリー2世から始まる王朝を
プランタジネット朝と呼びます。

 ここで注意しておきたいのはフランスとの関係。ノルマンディー公もそうだったんだけど、ヘンリー2世もイギリス国王であると同時にフランス国王配下のアンジュー伯でもあるわけ・・・。ちょっとややこしいんですね。

 このヘンリー2世は積極的に領地を拡大していきます。内乱時代に失ったウェールズを取り戻しているし、アイルランドにも進出していきます。しか〜し!その後を継いだジョン王がダメだった・・・。

 彼のあだ名は”Lackland”、「失地王」とか「欠地王」って意味。由来の意味は、ヘンリ2世の財産相続の際に兄3人にはフランスの領地が分与されたのに、ジョンには与えられる土地がなかったというところからきているといわれていますが、実際、フランス国王フィリップ2世と争い領地もことごとく失っているんです。

 「あぁ、もうコイツだめだなぁ」ってことで貴族や僧侶は、彼に
マグナ=カルタ(大憲章)を突きつけます。

 これは、いうなれば憲法みたいなものなのですが、国王の課税の際には、高位聖職者と大貴族の会議の承認が必要となることなどを定めています。王による好き勝手な課税はさせないよってことですね。また、王といえども成文化された法には従うなど王の政治をコントロールしようと考えたわけですね。

 ですが、そんなの無視無視〜っていう王様も登場することになります。それがジョン王の息子、ヘンリ3世。これに怒ったフランス出身のイギリス貴族たち、シモン=ド=モンフォールは反乱を起します。1258年です。その後、聖職者、貴族、州の代表、都市の代表で構成される議会を認めさせました。シモンの議会といわれるものです。

 1295年には、議会はさらに整備され模範議会となります。この時の国王はエドワード1世です。模範?そう、聖職者、貴族、各州2名の騎士、各都市2名の市民という議会の構成が理想的であったので模範なわけです。後に、これを2つに分けて上院、下院の二院政にります。聖職者と貴族による貴族院。州の騎士と特権都市の市民代表による庶民院です。この二院政が始まるのは14世紀初め、国王はエドワード3世です。

 このエドワード3世がフランスと長きに渡る戦争をおっぱじめます!そう百年戦争ですね。

 でも、そのお話は中世フランスを勉強してからにしましょう・・・。
 

 十字軍遠征

 >中世フランスカペー朝