織田信長・石山本願寺
永禄11年(1569年)。織田信長は、足利義昭を奉じて京都に入ります。これにより、足利義昭が室町幕府の第15代将軍となるのはほぼ確実。そして、織田信長は将軍家の名目で石山本願寺には5000貫の軍資金や京都御所再建のお金を求めました。
石山本願寺とは、親鸞を開祖とする一向宗(浄土真宗)の本山で、8代蓮如によって開かれました。
この石山本願寺の財力は、有力大名と肩を並べるほどだったといわれます。その石山本願寺の財力に目をつけお金を要求した訳です。そして、もうひとつの要求を信長は石山本願寺に突きつけます。
本願寺の場所を移して、石山を引き渡せ!
この石山とは、後に豊臣秀吉が大阪城を築いた場所で、貿易、交易の拠点として優れた場所でした。その場所を引き渡せといわれ、「はい、そうですか」と簡単に渡すわけにもいかない。
本願寺側は、5000貫の軍資金には素直に応じ、何とか退去要求はかわそうと試みます。
とはいえ、いつまた信長から退去の命令がくるかもわからない・・・。本願寺側にも信長への不信感と敵意が募っていきます。
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(顕如像) |