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織田信長・長篠の戦

   
 
 織田信長・長篠の戦

 天正3年(1575年)。2年ほど前に武田から徳川家康が奪い取っていた長篠城。その城をめざして武田信玄の子、武田勝頼は兵15000を率いて侵攻してきます。

 長篠城の守備は、奥平貞昌以下500名ほど。落城は、時間の問題かと思われましたが、城兵のひとりが密かに家康の元に走り援軍を求めます。

 家康から援軍の了承を得た城兵は、援軍の到来を知らせるため城に戻ろうとしますが、途中、武田の兵に捕まってしまいます。しかし、その城兵が実にかっこいい!死ぬ直前に「あと3日もすれば援軍が来る!それまで、皆、城を死守せよ」と大声を張り上げ息絶えます。これに、城にいた兵たちも奮起し、援軍の到着まで見事持ちこたえたといわれています。

 城兵から援軍を求められた家康は、織田信長にも援軍を要請します。信長は、この合戦にて武田軍を一網打尽にしてやろうと2万7000もの兵を用意。

 しかし、武田の軍には、最強といわれる騎馬軍団がいます。いかにして、その騎馬軍団を封じ込めるか?このとき、織田信長が考え出したといわれるのが、鉄砲隊を3組に分けるという戦法です。

 当時の鉄砲は、火薬を詰めて、発射し、掃除して、また火薬を詰めて・・・と連続で銃を撃つことが難しかったのですが、織田信長が考案したとされる方法では、1組目が発射したら次の組の者が前に出て発射。そのあと今度は3組目が出てまた発射。始めに発射した1組目は、2組目、3組目が発射している間に火薬を詰め、発射の準備に取り掛かるという方法。これならば、次から次へと鉄砲が発射され敵が攻め入る隙を与えません。

 また、騎馬隊対策として、馬防柵を作り上げるための木材と縄を大量に兵に持たせたともいいます。この馬防柵の後ろで鉄砲隊を待ち構えさせ、武田の騎馬隊を一網打尽にしてやろうというのです。

 しかし、城攻めをしている武田の軍。その城攻めをいったんやめさせ、うまく馬防柵まで引き寄せることができるのか?

 織田信長は、兵を武田軍の後方から攻めさせ、武田の軍を誘導しようと試みます。ですが、実際は、兵が武田軍を攻撃する前に武田軍の方から攻め込んできました。

 信長は、長篠城の援軍に来ながら、城の手前で進撃をやめ臆していると武田の軍からは見えたようです。

 織田信長の計算とは違ったものの、結果としては作戦通り。見事、武田の騎馬隊は、馬防柵に捕まります。そして、その時、鉄砲隊の連射。さすがの武田騎馬隊も次々に倒れていきます。8時間に及ぶ戦いで武田軍の死者は1万人にものぼったといわれています。

 この長篠の戦は、槍や刀が主であった戦いの中で鉄砲がいかに有効かを知らしめることとなるのです。