イスラム教の特色
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アッラーを唯一絶対の神であるとする一神宗教
イスラム教の特色のまず第一は、アッラーを唯一絶対の神であるとする一神宗教であるということです。以前のアラブ人が信仰していた神々は多神教といって運命や愛と美、太陽や友情など色々な神が存在していました。日本でも山の神、海の神など多くの神が存在しているので感覚的にわかりますね。これをイスラム教では、アッラーが唯一の神であるとしたため、後に民族的団結が強くなったといわれています。
偶像崇拝の禁止
神様というとどんな姿を思い浮かべますか?雲の上にのって杖をついた白髪で白いヒゲを蓄えた・・・。しかし、イスラム教でいう神とはそういう存在ではありません。イスラム教では、神とは肉体をもった存在ではないのです。いうなれば、宇宙、または自然界のすべて、世界といったある意味茫洋とした存在ですので絵や銅像の類で表せるはずもないという考えです。ですので、イスラム教では、神を絵や銅像などで偶像することを禁止しています。
聖職者はいない
キリスト教では、司教や司祭といった聖職者がいますが、イスラム教には聖職者の存在が認められていません。イスラム教では、「聖なるもの」はアッラーや天使であり、ムハンマドですら人間なので崇拝する対象ではないのです。
ただし、イスラム教にも「ウラマー」というイスラム教について勉強した知識人が存在します。彼らの中には尊敬されキリスト教でいう聖職者的な存在になることもあるようですが、基本的にはイスラム教に聖職者はいません。
ムスリム(信徒)の平等
キリスト教や仏教でも神の前では皆平等ですね。イスラム教でも同じです。イスラムでは信徒のことをムスリムといいます。アッラーの前では皆平等です。
六信五行(ろくしんごぎょう)
イスラム教の教徒には果たすべき義務が存在します。これを六信五行といいます。
「六信」とは「神」「天使」「啓典(コーラン)」「預言者」「来世」「天命」をいいます。ムスリムは、これら六信を信じなさいとしています。
「五行」は、「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」でムスリムが生活の中で行うべきことです。
「信仰告白」とは「アッラーは私たちが仕えるべき唯一絶対の神である。ムハンマドはその使徒である」と唱えるのです。
「礼拝」は、一日五回、メッカの方向を向いて拝むことです。
「断食」は、一年に1ヵ月あります。何も食べないと死んじゃいますから、ここでいう断食とは、日の出ている間は食べ物を口にしないというものです。これでも辛いですけどね。
「喜捨」は、お金持ちは貧しい人々にお金や物を分け与えなさいという考えです。
「巡礼」は、メッカに巡礼することです。
ムハンマドは最後の預言者
実は、イスラム教でいうところの神とユダヤ教やキリスト教の神は同じ神なのです。イスラムでは「アッラーの神」といいますね。ユダヤ教では「アドナイ」、キリスト教では「ゴッド」です。これらの神はすべてヤハウェのことを指します。
ざっくり言いますと、はじめにできたのがユダヤ教です。次に同じ神を信仰するキリスト教が出てきます。ユダヤ教では、貧しい人や弱者が救えないとイエスが立ち上がったのですね。
しかし、キリストの教えもキリスト亡き後、長い歴史の中で書き換えられてきてしまった。そこで、天使ガブリエルが最後の預言者として指名したのがムハンマドであるとするのがイスラム教での教えです。
ですから、イスラム教でも「ユダヤ教のモーセ」や「キリスト教のイエス」も預言者としてちゃんと認めています。ただし、長い時の流れにより本当の神の言葉は捻じ曲げられてしまった側面がある。そして、神はムハンマドに最後の預言者として言葉を残したとしているのです。だから、イスラムのコーランは基本的には翻訳すら禁じられています。翻訳すると言葉が違った意味で捉えられることもあり、神の言葉そのものではなくなってしまいますからね。
ユダヤ教やキリスト教では、当然このことは否定していますが、イスラム教ではユダヤやキリストのことを「啓典の神(けいてんのかみ)」つまり同じ神様を信仰する人達と呼んでいます。
<ムハンマドの時代
>イスラムの聖遷
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