イスラムの聖遷
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ムハンマドによって開かれたイスラム教。このイスラムでは「信徒は皆平等」という教えがあります。しかし、これは裕福な人たちから弾圧を受けることになります。まぁ、裕福な少数の人たちからすれば、平等は都合が悪いですからね。
そこで、ムハンマドは622年にメッカからメディアへと布教の拠点を移すことになります。ちなみにメディアとはムハンマドが移り住んでからの名で、それまではヤスリブという町の名前でした。ムハンマドによりイスラム教が広まるとヤスリブの名から「預言者の町」という意味のメディアと呼ばれるようになっていきます。
イスラムでは、この移住を「ヒジュラ(聖遷・せいせん)」と呼び、移住した622年は後にイスラム暦の元年とされます。
学生さんは、メッカとメディアの位置関係がテストに出ることがあるので位置関係を覚えて起きましょう。北に移動したのですよ。距離は約500キロほどです。
このメディナにてムハンマドは信者達と「イスラム共同体(ウンマといいます)」を結成してイスラムの発展の基礎を築いていくことになります。それを恐れたのがまたしてもメッカの有力者達。624年には軍隊を派遣し両都市で戦いが始まってしまいます。メッカ軍1000名ほどに対して、メディナ軍は300名ほどだったといいますが、この戦いにメディナ軍は勝利!(バドルの戦い)
その後の戦いでもメディナ軍は優勢を保って、ついにはメッカを制圧しムハンマドはメッカをイスラム教の聖地と定めます。
その後、敵対的な態度をとっていた部族に対しても大軍を送り平定するとアラビア半島に住んでいる大半の部族はイスラム教へと改宗することになりました。こうして、ムハンマドはアラビア半島を宗教的、政治的にも統一することになりメッカを首都とする宗教国家が築き上げられることになるのです。
ムハンマドがアラビア半島を統一したのが632年。この年、ムハンマドは聖地メッカへの大巡礼を行いますが、この大巡礼の後、彼の体調は急速に悪化し、ムハンマドはアラビア半島から異教徒を追放することとコーラン(神の啓示)を守ることを遺言として亡くなることとなります。
<イスラムの特徴
>正統カリフ時代
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