鉄砲伝来
1543年のことです。九州の南に浮かぶ種子島(たねがしま)に1隻の船が漂流します。船から出てきたのは、中国人やポルトガル人。中国人の方には驚かなかったでしょうが、ポルトガル人の白い肌、金髪?茶髪?の髪には、当時の人はかなり驚いたことでしょう。
その彼らの船から出てきたのが鉄砲。その鉄砲がその後、日本の歴史に大きな影響を与えることになるのです。
島の領主、種子島時尭(たねがしま ときたか)は、鉄砲を2丁買い求め1つは家宝とし、もうひとつを解体させ構造を勉強させました。当時は、ネジの構造など悪戦苦闘が続いたようですが、やがて堺や国友、根来などで国産されるようになると、戦国大名たちがこぞって買い求めるようになっていきます。
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ザビエルの布教
その少し後、1549年にはフランシスコ・ザビエルがキリスト教を広める為、鹿児島に上陸。2年間、九州、中国地方を中心に布教活動を続けますが、全国的な布教にはいたらず帰国。その後、ガスパル・ヴィレラやルイス・フロイスらによって布教は続けられ1582年には信者は15万人程までに達したといわれています。
しかし、その後の1596年にはスペインが布教活動を植民地化に利用しているのではないか?という噂が流れ豊臣秀吉は石田三成にキリスト教徒の逮捕を命令。26人の宣教師が処刑される。
また、キリスト教は徳川家康にも嫌われ、1612年には禁教令が出されることになります。
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