マウリヤ朝
|
マウリヤ朝とは、紀元前317年ごろ。初めてインドを統一した王朝のことです。創始者(王様)の名前はチャンドラグプタ。首都はパータリプトラです。
では、このマウリヤ朝について少し学んでいきましょう。
それまでのインドではガンジス川流域のコーサラ国とマガダ国という国が力を持っていました。始めはコーサラ国が優勢でしたが、やがてマガダ国が逆転!北インドをほぼ統一することになります。
そんな中、紀元前4世紀の後半のお話です。インドにアレクサンドロス大王が攻撃を仕掛けてくるのです。大王自身は撤退していったものの、これによりインダス川流域には複数のギリシア系政権が成立することに・・・。
「おいおい、このままじゃインドはギリシア人に乗っ取られちゃうぞ!」
ってことで立ち上がる人物が現れます。チャンドラグプタです。チャンドラグプタの身分は、一番下であるシュードラだった。いやいや、上から2番目のクシャトリアだったなどの説があり、はっきりとはわかっていません。しかし、まぁ、この人はすごいんです。
すでに衰退していたマガダ国の王朝であるナンダ朝を滅ぼすと、新しい王朝を創設。それがマウリヤ朝ですね。
さらに彼は、ギリシア人勢力を一掃。西北インド、それからアフガニスタンにまで支配勢力を伸ばします。
このアウリヤ朝の最盛期は、3代目の王、アショーカ王の時代です。紀元前3世紀の半ばですね。
彼は、東南のカリンガ王国を滅ぼし南部に勢力を広げます。これにより、マウリヤ朝の勢力範囲はインド南端を除き、ほぼインド全域を領土とします。
しかし、カリンガ王国との戦いは壮絶であり敵味方ともに多くの死者を出してしまったことに心を痛めたアショーカ王はその後、仏教に熱心になったといわれています。
自ら釈迦がたどったとされる足取りを旅したり、第三回仏典結集(ぶってんけつじゅう)も支援します。これは、簡単にいうと釈迦の弟子たちによって伝えられたお話をまとめて編集する作業のこと。これを支援したんです。それ以外にもスリランカへの布教活動も行っています。
このアショーカ王が亡くなった後、マウリヤ朝は衰退していくことになります。
<ジャイナ教
>クシャーナ朝
|
|
|