歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記中国の歴史毛沢東からケ小平の時代へ

   

毛沢東からケ小平の時代へ

 
 太平洋戦争の敗戦により、中国から日本を追い出した訳ですが、その後は
蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党と毛沢東(もうたくとう)率いる共産党とが争うこととなります。

 アメリカの支援を受けた蒋介石率いる国民党でしたが、ソ連の支援を受けた毛沢東率いる共産党により1949年には北京を占領され毛沢東を主席、周恩来(しゅうおんらい)を首相とする中華人民共和国が建国することになりました。この中華人民共和国の建国を宣言したのが天安門です。テレビなどでよく見かけますね。天安門に大きな毛沢東肖像画が飾られているのを・・・。

 毛沢東は、1950年にはソ連と「中ソ友好同盟相互援助条約」を結びます。なんだか長い名前の条約ですが要するに中国とソ連が軍事や技術協力など広範囲に渡りお互いに協力しましょうという約束です。

 また、毛沢東は、中国国内では、地主の土地を没収し農民に分配するなどしました。1953年からは「第一次5ヵ年計画」により農業の集団化、銀行などの国有化、ダムや道路、鉄道などによる工業化を進めていきます。その5年後の「第二次五ヵ年計画」では大躍進政策というのを打ち出します。これは、農業、工業の増産政策で目的はアメリカやイギリスを経済的に中国から追い出そうと考えてのことでしたが結果として、これらの政策は大失敗・・・。多くの餓死者を出すという最悪の結末となります。

 この政策失敗により、経済の立て直しをめぐり、中国国内ではまたもや対立が始まります。

 現実路線の
劉少奇(りゅうしょうき)やケ小平(とうしょうへい)VS毛沢東林彪(りんぴょう)らの対立です。

 毛沢東は、劉少奇らの政策を資本主義への逆行であると強く非難。有名な「
文化大革命」を発動し改革の失敗で失った権力を再び奪取して劉少奇らを失脚させます。

 この文化大革命は毛沢東が亡くなる1976年までおよそ10年間続きますが、多くの人々が殺害されたりひどい仕打ちを受けたりと中国は大混乱状態におちいります。この文化大革命により劉少奇も迫害されまともな治療を受けることも出来ぬまま亡くなっています。

 そして、毛沢東の死後、実権を握ったのはケ小平でした。ケ小平は、経済開放政策というのを強力に進めていくことになります。

 この経済開放政策っていうのは、簡単にいうと海の近くなんかに経済解放区っていうのを設けて、外国の企業が働きやすくしたんですね。税金なんかもちょっと安いし、自分達の国で作るより賃金もエネルギー代も中国の経済解放区で製品作った方が安いよってことですね。

 このケ小平時代以降の中国では、共産党による一党独裁政権が現在にいたるまで続き、それを脅かすような動きには、メディア、インターネットにいたるまで強い姿勢で対処しています。

 経済的には、国営企業の民営化や外資の積極的導入などにより大きく成長しております。

 しかしながら、日本も含めた海外との関係、地方と都市との格差問題など多くの問題を抱えているのも現状です。

 
中華人民共和国の成立


天安門事件