三国志の豆知識(地方行政)
|
三国志では、牧(ぼく)や刺史(しし)、また群太守(ぐんたいしゅ)や県令、県長などといった行政官の名称が登場します。
まぁ、なんか知らんが地域の偉い人でしょっていうのは、読んでいて流れでわかると思いますが、もうちょっと正確に、この行政の区分と行政官について説明いたしますね。
紀元前106年に前漢の武帝が中国全土を13の州にわけます。これが州の始まりです。そして、その州に長官として「刺史」を配置しました。当時の刺史の役割は地方行政の監察です。
その後、後漢時代、黄巾の乱の後の188年に州の刺史は「牧」に改称されます。牧となると州の全権を掌握するほどの権力を持つことになります。三国志でも劉備は徐州の牧に任命されますし、曹操もエン州の牧となりますね。三国志の登場人物の多くがこの牧を経験していますね。
ちなみに州によっては、牧の下に刺史が置かれたり、牧と刺史を並立させるところもあったのでちょっとややこしいく当時は混乱も起こったようです。
そして、その州の下に「群」が置かれます。その群を統治するのが群太守です。また、群の中には平原国などといった「国」という名のつく区域があります。この場所には「国相(こくしょう)」が置かれましたが、国相と群太守の職務はいっしょです。
さらに群の下には「県」が置かれました。大きな県では、「県令」という行政官が置かれます。県知事みたいなもんですね。そして、軍事、警察のような仕事は「県尉(けんい)」という役職の人が行いました。
小さな県に置かれた行政官は「県令」とはいわず「県長」といわれました。
まぁ、現在の県知事、市長、町長、みたいな感じですね。
ちなみに三国志の物語にて劉備が牧となった徐州の人口は279万人です。物語で読んでいるともっとこじんまりとした地域のように感じるかもしれませんが、結構なもんですよねぇ~。
<三国志と三国志演義の違い
>黄巾の乱
|
|
|
|