セルジューク朝(トルコ系民族の台頭)
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10世紀の半ばには、アッバース朝の力が弱まり、イスラム世界の分裂が激しくなっていったことはお話しましたね。
どんどん自立していってしまうわけです。
8世紀後半では、こんなに広〜いアッバース朝が・・・。
10世紀半ばでは、下の図のように分裂してしまいます。
そして11世紀半ばにイスラム世界の中心に座ることになるのがトルコ民族のセルジューク朝でした。セルジューク朝の創始者はトゥグリル=ベクという人物です。彼により、ブワイフ朝が打倒されます。このブワイフ朝は946年にバクダート(バクダット)を占領してアッバース朝のカリフ(カリフとはイスラム教徒最高指導者)から政治の実権を奪っていましたね。このブワイフ朝をやっつけてくれたので、アッバース朝からものすごく感謝されるわけです。そして、トゥグリル=ベクはアッバース朝のカリフから「スルタン」という称号を貰うことになります。
この「スルタン」という称号は直訳すると「支配者」!その名の通りものすごい称号なのです!
そのすんごい称号を引っさげ中央アジアから小アジアにまたがる広大な領域を支配下におくことになります。この小アジアにてビザンツ帝国(東ローマ帝国)と争った戦いをマンジケルトの戦いというよ。これにセルジューク朝は勝利したわけなのですが、その後、小アジアを奪われたビザンツ帝国は危機感を抱き、ローマ教皇に援軍を頼みます。それがあの十字軍の遠征へとつながっていくわけです.
しかし、それはもっと後のお話・・・。
上の図は11世紀半ばのイスラム世界の図です。ファーティマ朝は少し小さくなってしまいましたね。でも、紅海周辺はしっかり確保している。この辺は交易のルートとして栄えていましたから重要な拠点な訳です。カズナ朝もトルコ系民族の政権です。ムラービトはガーナ王国という黒人王国を滅ぼしたということを覚えておきましょう。
話は、セルジューク朝に戻りますけど、このセルジューク朝もやがて分裂していくことになります。アッバース朝と一緒ですね。国が大きくなりすぎると地方まで目が行き届かなくなり分裂する・・・。
マンジケルトの戦いにて小アジアを手に入れたわけですが、その地はルーム=セルジューク朝(1077〜1308年)となります。ルームとはローマのことです。その後は、十字軍やモンゴル帝国の攻撃で衰退し分裂していきますが・・・。
シリアのダマスクスには、シリア=セルジューク朝(1078〜1117年)も建国されます。場所は、マンジケルトの戦いにて手に入れた小アジアの南東あたりです。ファーティマ朝ともルーム=セルジューク朝とも近いので対立が起きますが、後に十字軍の攻撃に合い分裂、解体されます。
イラン東南部にはケルマーン=セルジューク朝(1041〜1184年)という国やウズベキスタンとトルクメニスタンのあたりにホラズム=シャー朝(1077〜1231年)などなど多くの国が独立政権、又は半独立という形で政権を建てていくことになるのでした。
<アッバース朝の衰退と滅亡
>モンゴル勢力・イルハン国の進出
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