シリアの内戦
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シリアの内戦ってよく新聞やテレビニュースで目にしたり耳にしたりしますね。でも、このシリアの内戦って何が原因で起こっているのでしょうか?
時代は遡って第一次世界大戦の頃からお話ししますね。第一次世界大戦では、連合国といわれるイギリス、フランス、ロシアなどとドイツ、オーストリアなどの同盟国が争った戦争です。その中でオスマントルコ帝国という国は同盟国側についていました。中東の多くの国がオスマントルコ帝国の支配下にあり、シリアのその支配下のひとつでした。
イギリスは敵対するオスマントルコの力を弱めるために中東地域にてオスマントルコの支配下にあったアラブ民族たちに甘い言葉を投げかけるんですね。「戦争に勝利したらオスマントルコの力が弱まるからそしたら君たちの独立を支援するよ!」
しか〜し!実はイギリスは味方であるフランスとも話し合いを進めていたんですね。「戦争に勝利したら中東を俺たちで分割しようぜ!」
そして、戦争に勝利した後、イギリスはイラクやクウェートなどフランスはシリアなどを植民地として分割してしまったのです。
”話が違う!”って当然なるわけです。しかし、フランスは1920年にフランス・シリア戦争でシリアを抑え込みフランスの委任統治領としてしまいます。
再び、シリアが独立を勝ち取るのは第二次世界大戦後の1946年です。
独立後の1950年頃になるとバース党という党が主導権を握るようになっていきます。バース党というのは、国境を越えた民族政党でアラブ民族の独立、アラブの統一を目指している人たちが集まってできた政党です。本部はシリアにあり、イラクやヨルダンなどアラブ諸国に支部があります。
1956年になるとエジプトがスエズ運河を国有化したことに対してイギリス、フランスらが反発。エジプトへの攻撃をします。これに対してエジプトのナセル大統領は見事に英仏を退けスエズ運河の国有化承認を勝ち取ります。これに、アラブ各国の人々は拍手喝采!!人気を得たナセルは、アラブの国々の団結を目指し動き出します。
アラブ民族の統一という目標を持っていたのは、バース党もいっしょです。エジプトのナセル大統領とシリアのバース党は手を組み、1958年にエジプトとシリアは合邦。ナセルを大統領としたアラブ連合共和国が発足しました。
ですが、ナセル大統領が行う政策はシリアの人たちが思っていたのとちょっと違っていたんですね。いろいろな企業を国有化していったり、シリアの政党を解散させたり・・・。
このナセルの政策にシリアの保守派たちは反対し、1961年にクーデターが起こります。そしてシリアは再び独立を宣言。エジプトとの統合は失敗に終わるのでした。シリアにて再び権力を握ったのは、やっぱりバース党です。
しかし、1970年には、このバース党が急進派と穏健派が対立するようになっていきます。そして、この争いに勝ったのが国防相でハーフェズ・アル・アサドを中心とした穏健派でした。1971年には、このアサドが大統領となります。現在のアサド大統領のお父さんです。このハーフェズ・アサドは巧みな政治手腕により長期安定政権を維持しますが、2000年6月に69歳で死去。後を継いだのが現在の大統領であるバッシャール・アル・アサド(次男・長男は事故死)でした。
さぁ、現在のシリア内戦の契機となるのがこの後です。
2011年に「アラブの春」といわれる政変が起こりました。北アフリカのチュニジアで反政府デモが起こり、長期独裁政権が続いていたチュニジアやエジプトで大統領が退陣。リビアでも反体制派との武力衝突を経た政権交代が起こるなどしました。
これが他の国々にも飛び火していくんです。モロッコやヨルダンでも憲法が改正されます。シリアでもアサド政権に対し政治改革を要求する声が上がってきた為、アサド大統領は憲法の改正など一定の理解を示しました。
ですが、民主化運動は留まることなく広がっていくんです。そこでアサド大統領は武力により、これを弾圧したんですね。
まぁ、本来なら軍事力が優れているアサドの政権軍が早々に勝利し内乱は終了となるはずだったのですが、反体制派には強い味方がいたんです。アメリカや欧州連合、トルコやサウジアラビアなどです。これらの国は独裁者であるアサド大統領に対して退陣を求め、反体制派に協力をしていたんですね。
また、内乱で混乱するシリアで勢力を強めようとするテロ組織などもシリアで活動をするようになっていきます。イスラム国なんかがそうです。あれ?シリア混乱してるねっ。シリアで勢力広げるチャンスじゃん!ってことですね。その他にもヌスラ戦線やらアルカイダ系グループなんかもシリアでテロ活動を行います。
これじゃ、アサド政権はピンチですね。しかし、アサドにも味方ができます。欧州諸国に影響力を広げてほしくないロシアや中国、サウジアラビアと仲が悪いイラン。リビアの政党ヒズボラがアサド政権側につきます。
もはや、”シリアの内戦”じゃなくなってしまっているんですね。いろいろな国や組織なんかの思惑が入り乱れメチャメチャなんですね。
日本は、シリアのアサド大統領に退陣を求めています。アメリカも一国の暴君が数万人の自国民を残虐するなら、それはすでに一国の問題ではない!と叫びアサド政権を強く非難しています。
ですが、当然のことながらシリアのアサド大統領にも言い分があります。
他国が一国の大統領の退陣などに口を出すべきではないし、私自身すらも退陣するしないを決めるべきでもない。決めるのは国民だ。しかし、今、国が困難の時期に逃げだすことはできない。大統領としてかじ取りをし危機に対処しなければならないといっています。
また、反体制派との衝突についてもアサド政権は彼らをイスラム国やヌスラ戦線ら同様、国の一部を占領し、国民を傷つけ、破壊行動をするテロリストとして考えてします。政府としてテロリストを黙って見ているわけにはいかないというわけですね。
アメリカなどから強い非難を浴びている化学兵器についてですが、これについても2013年に化学兵器を禁止する条約に署名し、すでに化学兵器を我々は所有していないといいます。2013年の春に国連に調査団を派遣して化学兵器について調べてくれと要請したが、未だに実現していない。化学兵器を使用しているのはテロリスト側だ!と言っています。
反体制派を支援しているトルコは、イスラム国を支援していおり、アメリカも外面だけの空爆でイスラム国を本気で攻撃していない。2015年9月のロシアの攻撃で初めてイスラム国は縮小を始めた。反体制派を支持する国々はイスラム国と戦うシリア軍の命を奪うばかりでテロリストをシリアから追い出す行動を何もしていない。まずは、テロリストたちを国から追い出し、危機が去ったら国民が大統領をやめろとか続けろというでしょうとアサド大統領はテレビインタビューに答えています。
もう、どっちが本当か?ぜんぜんわかんないんですねぇ。解決方法としては、アサド政権と反体制派が停戦合意し、とりあえずテロ組織をシリアから追い出し、その後、民主的に選挙を行い再度、大統領を選出するのが最良の方法のように思えますし、実際、幾度となく、停戦合意の方向で動いてはいますが、なかなかうまくいっていないというのが現状です。
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