賤ヶ岳の7本槍
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賤ヶ岳の戦にて争った秀吉と柴田勝家。見事勝利を治めた秀吉軍でしたが、その中でも特に目立った働きをした人物たちがいました。
福島正則、脇坂安治、加藤嘉明、加藤清正、平野長康、片桐直盛(後の旦元)、糟谷助衛門尉、桜井佐吉、石河兵介。彼らは、秀吉から感状を与えられ、賤ヶ岳の7本槍といわれるように・・・。あれ?9人いる?
そう!実は、本来「7本槍」ではなく「9本槍」だったのです。
しかし、石河兵助は、戦死しており、桜井佐吉も賤ヶ岳の戦の後に病死。 |
さらに、かつて織田家では、信秀の代に今川義元と争った小豆坂の戦いにて功績のあった7人を小豆坂7本槍と賞したことがあり、ここから連想され「賤ヶ岳の7本槍」という言葉が有名になってしまったといわれています。
ともあれ、賤ヶ岳の戦にて功績のあった彼らは、200〜300石から一気に10倍以上の3000〜5000石へと、この戦いにより石高を一気に上げるのでした。
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