宗教改革
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宗教改革といえばルターですね。1517年にドイツのヴィッテンベルク大学の神学教授であるマルティン・ルターが「九十五カ条の論題」を発表したことから宗教改革は始まります。
この頃は教会の腐食がかな〜り進んでいました。当時のローマ教皇は、レオ10世。この人はサン・ピエトロ聖堂改築の修築費を賄うために免罪符を発行します。贖宥状(じょくゆうじょう)ともいいますね。
これは、罪を犯してもお金を払えば、罪を軽くしてくれたり、許してくれるという証明書のことです。
神様がお金なんかで罪を許してくれるはずもないのに教会がそれを金儲けのために売りまくっちゃうんですからね。どう考えてもおかしい訳です。
そこに登場したのがルターでした。
「五十五カ条の論題」を発表して免罪符なんておかしいじゃないか!って反論するんです。これにドイツの人々も賛同。ドイツにてルターを支持する運動が広がりを見せます。
これに対して教皇側は、ルターに「破門にするぞ!」と脅しをかけますが、ルターは、この警告を無視。1521年にルターは本当に破門されてしまいます。でも、ルターにしたら「別にいいですけど・・・」とたいしたダメージを受けてくれない。
困ったローマ教皇庁は、皇帝に「あいつどうにかならないかなぁ」と依頼。皇帝カール5世はルターをヴォルムス帝国会議に呼び出します。そして、ローマ教皇を否定するような自説の撤回を求められますが、ルターは「我、ここに立つ」と言い放ち応じませんでした。
「私の考えは聖書に立脚しているのだから、撤回することはできない」といった意味ですね。
これでカール5世はルター派といわれる人々や考えを禁止することになるのですが、反皇帝教皇派のザクセン選帝侯にルターは匿われ、彼の居城のヴァルトブルク城で「新約聖書」のドイツ語訳に専念します。
それまでの書物は、手で書き写していたんですが、丁度、この頃、活版印刷機が使われるようになっていたんです。そのおかげもあり、ドイツ語訳「新約聖書」は大量に流布することになります。
聖書にあまり触れることのできなかった民衆レベルにも聖書の内容が正確に伝わるようになり、これでルターと教会どっちが正しいのか?多くの人々が理解することになるんです。
1522年には、ルターに刺激を受けたドイツの下級貴族が騎士戦争を起こします。トリール大司教領などを攻撃したんです。1524年からはドイツのミュンツァーという人がリーダーとなりドイツ農民戦争を起こします。農奴制の廃止や地代の軽減なんかを求めて立ち上がったんですね。
ルターは初めこれを支持する姿勢を見せますが、その後は、この反乱を鎮圧することを主張し始めます。農民側からすれば、ルターに裏切られたという感じですね。しかし、ルターはもともと教会のやり方は間違っていると主張していたけれど、反乱などといった急進的な動きは望んでいなかったんですね。だから結果的には反乱鎮圧を支持したんです。
結果、ドイツ農民戦争は領主層により鎮圧され、ミュンツァーは処刑されることになりました。
しかし!1526年にカール5世は、ルター派を黙認することを決定します。シュパイエルの帝国会議でそれを認めたんです。なんで急に黙認することにしたの?それは、オスマン帝国が攻めてくるからです。ドイツのすぐ近くのオーストリアのウィーンをオスマン帝国が包囲したんですね。これじゃ、国内でルター派と揉めているわけにはいかない。とりあえず、和解しておきましょうってことです。
ところが、1529年にカール5世はルター派を再び禁止することにします。もう、オスマン帝国の危機は去ったと判断したんですね。これで、ルター派は怒り狂います。1度口に出したことをすぐに撤回するようなことするんじゃねぇよ!ってとこですね。そしてカール5世に抗議文をおくるのですが、そのなかの有名な言葉がプロテスタント。ルター派をさす言葉ですよ。現在ではちょっと意味合いが変わってルター派以外の人も指す言葉になっていますけどね。
そして、皇帝に対抗するために彼らルター派は同盟を結成します。これがシュマルカルデン同盟。そして1546年、ついに皇帝との戦争が始まるのでした。この戦争がシュマルカルデン戦争です。
戦争は翌年、ルター派の内部分裂により同盟が崩壊。皇帝が勝利することになります。しかし、ルター派の反抗は、その後も続くことになり1555年、アウクスブルクの帝国会議で結局はルター派を認めることとなります。これをアウクスブルクの和議といいます。
このアウクスブルクの和議の内容のポイントは大きく2つ。
領域を支配するものが宗教を決定することができる。
つまり、その領域の支配者が俺たちはルター派でいきます!っていえば、そこに住む人々は皆ルター派にならなければならないってこと。つまり、個人の宗教における自由はないってことです。
カトリックか?ルター派か?どちらかのみの選択。
支配者でも選べるのは、このどっちか?つまり、ルター派は認めるけど、それ以外の新教の信仰は禁止ということです。
以上、ドイツの宗教改革でしたが、この宗教改革の動きはヨーロッパの他の地域にも及んでいくことになります。では、次は、ドイツ以外の宗教改革について見てみましょう。
*ドイツ以外の宗教改革に行く前にちょっと予習。カルヴァン派やイギリス国教会の特徴だけ頭に入れておこう!
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ルター派 |
カルヴァン派 |
イギリス国教会 |
教義 |
聖書主義 |
ルター派よりさらに徹底した聖書主義 |
元来は教義はなし、後にカルヴァン主義の影響を受ける |
カトリックへの対抗 |
聖書に矛盾しなければ本来は、教会儀式なども承認 |
聖書で積極的に理由付けられていないものはダメ |
儀式にはカトリック的な要素もあり |
信仰する主な範囲 |
ドイツ東北、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン |
西ドイツ、オランダ、フランス、イングランドの一部、スコットランド |
イングランド |
>スイスの宗教改革
>イギリスの宗教改革
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