イギリスの宗教改革
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前回は、ドイツ宗教改革やスイスの宗教改革のお話をしましたね。今回は、イギリスの宗教改革のお話になります。
<ドイツの宗教改革
<スイスの宗教改革
さて、イギリスの宗教改革ですが、実はイギリスの宗教改革の発端は王様の離婚問題・・・。当時のイギリス王はヘンリー8世。彼の妻は、スペイン国王の娘キャサリン・オブ・アラゴン。まぁ、これ政略結婚ってヤツですね。フランスに対抗するためにスペインとイギリスの絆を強めるための結婚です。
しかし、その後スペインの力が強くなってきてしまう・・・。このままじゃ、イギリスはスペインに飲み込まれてしまうんじゃないか?といった不安やキャサリンとの間に男子が生まれないといった悩みを持っていたんですね。
そんな時にアン・ブーリンという人に出会うことになるんです。
国のためを思ってか?愛のためか?その両方か?その辺はヘンリー8世にしか、真実はわかりませんが、兎に角「もう、離婚っきゃない!」って彼は決意するんですね。
ですが、当時のカトリックでは離婚は認められていません。ヘンリー8世は敬虔なカトリック信者でして、それでも「なんとかしてよ」と教皇に離婚の許しを請うのですが認めてもらえません。
じゃ、もういいよ!ってことで、ある法令をつくってしまいます。
それが1534年の首長法。別名「国王至上法」ともいいますよ。内容は、イギリス国王が唯一最高の教会の首長となる、といったもの。イギリスの教会組織がすべて国王の統治下に置かれるってことです。これは、ローマ・カトリックからの分裂を意味します。
じゃ、新しく教会組織も変えなきゃねっ。ってことでできた組織がイギリス国教会です。
愛の力は強し!って感じですが、実は、そのあとアン・ブーリンと離婚してしまいます。ちなみに、その後も離婚結婚を繰り返し、ヘンリー8世は結果、6回も結婚することになるよ。バツ5です。
ヘンリー8世の妻たち |
1番目の妻 |
キャサリン・オブ・アラゴン |
子・メアリ |
2番目の妻 |
アン・ブーリン |
子・エリザベス1世 |
3番目の妻 |
ジェーン・シーモア |
子・エドワード6世 |
4番目の妻 |
アン・オブ・クレーブス |
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5番目の妻 |
キャサリン・ハワード |
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6番目の妻 |
キャサリン・パー |
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ヘンリー8世の跡を継ぐことになったのは、エドワード6世。彼は3番目の妻、ジェーン・シーモアとの間の子でヘンリー唯一の息子ですね。
このエドワード6世は9歳で即位、15歳で亡くなってしまいます。ちなみに、このエドワード6世の時代にイギリス国教会の教義面での整備、改革が進められます。1549年には、「一般祈祷書」という教義と礼拝に関する本が出され、これはカルヴァン派に近い内容でした。カルヴァン派については、別のページで紹介しているのでそちらで呼んでみてね。>スイスの宗教改革
「一般祈祷書」の制定によって定められた教義に関しては、聖書を重視して、予定説という考えを採用するというカルヴァン派の内容と似ています。しかし、カルヴァン派でとられていた長老制はとられず、主教制というイギリス国王が主教を任命する制度が採用されました。
ブラッディ・メアリ
さて、エドワード6世がなくなった後、登場するのがブラッディ・メアリ。カクテルなんかが好きな人なら聞いたことがある名前じゃないかな?たしか、ビールとトマトジュースを半々で割ったカクテルでブラッディ・メアリというものがある。お酒の弱い人や女性に人気のカクテルだけど、まぁ、見た目が真っ赤で血を飲んでいるようにも見えるんですね。だから「ブラディ」血まみれの・・・。っていう名前。
ところで、このメアリの両親は誰か?父親は恋多き王、あのヘンリー8世。そして、母親は・・・。一番初めに結婚していたキャサリン・オブ・アラゴンです。
キャサリンはスペイン国王の娘でしたね。スペインの出身なのでバリバリのカトリックです。父親のヘンリーは、おそらくメアリにあまり愛情を注いでいなかったのではないでしょうか?メアリは母親の影響から熱心なカトリック信者でした。
おぉ、せっかく教義や礼拝を整えたイギリス国教会だったのにカトリック信者が王の座についてしまった!
メアリは旦那もスペイン国王であるフェリペ2世を選び、もう、カトリックまっしぐら・・・。カトリックの復活を図り、イギリス国内の新教徒、ルター派、カルヴァン派などを迫害しまくっていきます。
そして、ついたあだ名が「ブラディ・メアリ」。血に染まったメアリだった訳です。
多くの人を殺してしまい神からの天罰が下ったのか?メアリは42歳で亡くなることになります。在位はわずか5年ですね。子供も授かることはありませんでした。
その後、メアリに代わり即位するのがエリザベス1世。有名人ですよね。彼女が即位した翌年の1559年に統一法が公布されます。再びイングランドの国教が国教会として確立することになりました。
このようにイギリスの宗教改革はドイツのルターやスイスのカルヴァンのように宗教的信念から始まったものではなく、きっかけは離婚問題から・・・。だから、教義や儀式なんかは、ごちゃまぜ感が強いんですね。教義はルター、カルヴァン的、儀式はカトリック的だといわれています。
>対抗宗教改革と魔女狩り
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