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歴史年代ゴロ合わせ暗記>山縣有朋

山縣有朋(やまがた ありとも)

 
 

 山縣有朋(やまがた ありとも)は、天保9(1838)年閏4月22日に蔵元中間の家に生まれ、幼い頃から槍術に励んでいたといわれています。ちなみに中間というのは足軽よりも低い身分ですよ。

 それなのに、後に陸軍と官僚を支配下に置き「陸軍の法王」とまでいわれた山縣有朋。

 では、この山縣有朋の人生について、少しだけ見ていきましょう。

 山縣有朋は、藩命を受け京都や江戸を巡っていたのですが、その時に久坂玄瑞と出会い、松下村塾に入門することになります。松下村塾といえば、有名な吉田松陰の塾ですね。伊藤博文高杉晋作らが学んだ塾です。

 しかし、松陰から教えを得られたのはわずか2ヶ月ほどの間のみ。ですが、彼は、生涯、松下村塾門下生と称し、松陰から大きな影響を受けたと語っています。

 1863年には高杉晋作が創設した奇兵隊に加わり、指揮官として才能を発揮していきます。高杉は身分などにこだわらず、優秀な人材を登用していったので、低い身分の山縣や伊藤博文などが世に出て行くきっかけにもなりました。総監の赤根武人が亡くなった後は、隊の実権を掌握。戊辰戦争で会津征討総監の参謀を務めて各地を転戦しました。

 維新後は、西南戦争、日清戦争、日露戦争で指揮をとります。徴兵制などの改革を行い陸軍大将、内閣総理大臣などを歴任。絶大な影響力を得ることになります。

 大正期に入ると、その影響力にも陰りが見え始め皇太子の妃の選定問題で失脚。85歳で亡くなりました。