エヴァ前夜はアニメ史的空白だったか?

きっかけはARTIFACT@ハテナ系で取り上げられた記事「オタクの歴史認識欠如」「オタクの歴史認識欠如話の続き」とそれに対して私が雑記として書いたここ、さらに倉井あどきさんの掲示板への書き込みから発展してかなり実のある意見がいろいろ出されたので、折角なのでログにまとめておきます。

エヴァとそこに至る90年代前半の状況と歴史認識的断絶、リアルロボットブーム終焉以降80年代末期から90年代前期のアニメ史的意義、そしてそれは何故、これまで黙殺されてきたのかなどなど。
いままで、あまり語られることがなかったのであろうエヴァ前夜のアニメ史的状況について主に論議されています。






君は、時の涙を見る(核爆)。

投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月 5日(土)01時28分10秒
 夜になりましたが未だに屋根から雪が落ちる音が止みません(笑)。ご機嫌いかがでしょうか。どうも倉井です。

>オタクの歴史認識欠如

まあ発端となった宇宙軍大元帥の話はともかく、歴史を残したいのであればとりあえず、最も手っ取り早くて効果的なのは「年表」でしょうね。
 私はアニメの歴史関連の話題を考える時はいつも必ずと言っていいほどB-CLUB(かつてバンダイが出していた情報誌)に載っていた、日本空想キャラクター年表(主なアニメ・特撮作品がほぼ網羅された年表。グラフ化されてて放送時期や同時間枠内の番組遍歴まで分かるので非常に便利。ただし雑誌が休刊したので96年半ばまでの分しかない) を参照しているのですが、やっぱり年表として一覧にするとそれまで見えなかった「時代の流れ」みたいなものが浮き彫りになってくるんですよ。
 例えば、85年は新番組が15本という"冬の時代"だったけど、翌86年になると一転して「ドラゴンボール」や「聖闘士星矢」、「めぞん一刻」等20本を軽く越える数の作品が出てきて、一気に活況を呈したりとか、詳しい事情は良く分からないけど年表見てるだけでも結構楽しかったりします。
 あと、今回も含めて近年のアニメを語る時に、エヴァを突然変異的に現れた分岐点であるとして、直前の作品群をほぼ丸々無視して話を進める人がかなり居るように感じるのですけど、個人的にはその定義に非常に違和感を覚えます。だって「VとGとWのガンダム」も「マクロス7 (とプラス) 」も、「レイアース」や「ガルキーバ」、「りりかSOS」も少なくともスタートはエヴァより先なのに、エヴァだけの手柄みたいな事になっているのはどうなんでしょうか。いやあの作品が日本のアニメの (いい意味でも悪い意味でも) 「新しい地平を切り開いた作品の一つ」であった事は確かだとは思うのですけど。
 このように、年表があると、というよりブームや作品の登場順がはっきりしていると大局的な考察も安易に行える訳で、そういう意味でも年表があると便利だと思うのですよ。
 まあ、もっと根本的なことを言ってしまうと歴史というのは結局の所、「語り継ぐ」事でしか残せないものだと思うので、歴史が継承されないという不満があるならまず自分が語り継ぐ努力をするべきなんじゃないか、とか思うのですが、私もあまり人の事言える立場にないので(汗)。



長文モード

投稿者: 秋水  投稿日: 3月 6日(日)02時51分59秒
レスを書いてたらとんでもない長文になってしまったので、
書き直してサイトのほうにUPしましたので、とりあえず詳しくはそっちで。

歴史を語ろうとすると、どうしても自分史、自分語りになってしまうのがいやで私自身躊躇してしまうところがあるんですが、自分が上の世代が色々語ってくれたことを元に今を認識しているのだとしたら、今度は自分が、語れるところを語るべき順番なのかなと、思ったりもします。
まあ、歴史っつーよりはサンプルのひとつだと思ってくれればいいかなと。

や、ま、なんていうか語りたがりモードにスイッチが入ってしまっただけなんですがね。


(以下枠内雑記より転載)


74年生まれの歴史語り

ってことで、どーもスイッチが入ちゃった見たいなんで、この際だから続けます。
すこしだけお付き合いください。

>近年のアニメを語る時に、エヴァを突然変異的に現れた分岐点であるとして、直前の作品群をほぼ丸々無視して話を進める人がかなり居るように感じるのですけど、個人的にはその定義に非常に違和感を覚えます。だって「VとGとWのガンダム」も「マクロス7 (とプラス) 」も、「レイアース」や「ガルキーバ」、
「りりかSOS」も少なくともスタートはエヴァより先なのに、エヴァだけの手柄み
たいな事になっているのはどうなんでしょうか。


掲示板の方に倉井あどきさんが書き込んでくださったものからの引用ですが、これは自分も強く感じるところがあります。

で、ぱっと思い出したのがこれ

VガンDVDBOX 庵野秀明氏のコメント
>あの頃、僕がハマって観ていたのが「セーラームーン」と「Vガン」だけなんです。あれが、アニメにしがみついた最後でしたね、この2作品にハマらなかったら、僕は「新世紀エヴァンゲリオン」を作る前にアニメを辞めてたかもしれない。あるいは「エヴァ」みたいなものを作る気にはならなかったと思う。


要するにエヴァは「セーラームーン」「Vガンダム」という90年代初期を代表する作品の流れを受け、アニメ冬の時代に対する庵野監督の挑戦をスタート地点にしていたということなんですが、エヴァという作品の誕生のきっかけにもかかわわらず、エヴァ登場直前のオタク状況を含めてあまり問題視されてこなかったような気がします。

エヴァ前夜の時期、80年末期から95年までのアニメは、70年代生まれにとっては全部リアルタイムで、個人的な思い入れは強いのですが、80年代の熱量に比べてしまうとアニメ史全体の流れで見たときに空白期だったのではないかと考えていたので、自分もその頃の歴史的意義みたいなものは余り考えてきませんでした。
だから余計に、自分よりも上と下の世代は、ほとんどこの空白期を認識してないんじゃないのか?という気がします。

また、エヴァで出戻りを果たした60年代生まれはZ・ZZあたりを境にアニメ、オタクをを引退していた為に、件の空白期とゲームをしらない。エヴァからオタクに入った80年代生まれは、アニメが斜陽して、ゲーム全盛期を生きてきたために、アニメ体験・知識が乏しい。結果的に、この両者がエヴァを触媒にぶつかったことによるギャップが、お互いの世代に対する知識のなさ無理解をあらわにし、歴史認識の断絶を生んだのではないか、と思ってしまうわけです。
それに対して70年代生まれは、アニメとゲームの過渡期を生きているので、個人によってどちらに軸足を置いているかで、認識の仕方も違うとは思うのですが、どちらも平均的に消費していて両者にある程度の理解があるのではないかと思います。
そもそも、ギャルゲーを最初にはじめたのはゲーマーではなく、当時のアニメファンだったという事実があります。
PCエンジンでCD−ROMのおかげで絵がある程度見栄えするようなキャラがちゃんと音声でしゃべることで、表現がよりアニメに近づき、アニメ作品のゲーム化とともにアニメ絵の美少女キャラを主軸にしたギャルゲーが生まれ、「ときめきメモリアル」(PCエンジン版94年)で一気に地盤が固まり、以降ギャルゲーブームの流れはPCの浸透とともに現在のPC美少女ゲーム全盛期へ向かい、アニメを追い落としていくわけです。

で、エヴァは丁度その転換期に結節点のような役割を果たすことになったのではないかと考えられます。
エヴァは80年代の富野や高橋良輔が作ったテーマ性や世界観を重視するリアルロボットの構造と、90年代に入ってセーラームーンを中心に美少女キャラを主軸としたキャラ萌えの構造、両者の流れを継承したハイブリットな作品だった。
だからこそ全世代に間口を持ち、絶大な人気を得ることが出来た。
(以後の流れは「オタクの歴史認識にリセットがあったと考えてみる」につながると)
こうやって見るとエヴァは確かに90年初期のながれを受けて登場すべき時期に登場した作品だったことがわかるのですが、結果的に後半の劇的な作品の質の変化と最終回を巡る是非の議論で、全て掻き消えて、歴史的位置付けを語られることなく現在にいたってしまったのではないかと思います。

「歴史認識が欠如している」といっても、実際の歴史もある程度時間が経たないとその事件の意味や関連性も見えてこないというのがあって、特にエヴァのインパクトは余りに大きく、そこから4、5年はまさにオタクにとって激動期だったというのもあって、振り返る余裕もなかったので仕方のないことだと思います。
そんなわけで、今、ようやっと歴史として「エヴァ」という事件を含めて、前後の歴史を見直す時期になったんじゃないかという気がします。



そんな私は81年生まれだったり(笑)。

投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月 6日(日)11時08分14秒
 実は、自分では適当に、いやむしろ形だけぐらいの勢いで壁をはたいていたつもりだったのに気付いたら巨大な蜂の巣を叩き壊していたようで(汗)。まあ叩いちゃったものはとりかえしようがないので、破れかぶれでもうひと叩き(爆)。

>まあ、歴史っつーよりはサンプルのひとつだと思ってくれればいいかなと。

 私が「年表を」と言ったのは、まさにその為なのです。皆がそれぞれバラバラに「自分語り」をしているだけでは「歴史」の体をなさなくとも、「年表」があればそれらの意見を各時間軸に当て嵌めて考える事が出来、かつ同時期や前後の時期に相当する意見と関連付けて考える事も安易に出来るようになります。そして、こういったプロセス全体や得られた結論の積み重ねこそが「歴史を記録する」という事なのではないでしょうか。だから例えば私や今回の秋水さんが書いた事も一つ一つは「自分語り」の域を出ないものなのかもしれません。
が、皆が共有できる「年表」があれば、正統な「歴史記述」の一つとして扱えるのではないでしょうか、とかとか。
 まああと、「年表」というのは結局の所、「事実の羅列・整理」という単純作業の結果にしか過ぎないので、極めて客観性の高い資料として、こういった話をする時の「共通の土台」に出来る、という利便性もあるため、前回私は「年表を」と書きました。まあ本音を言うと、実は「日本空想キャラクター年表の続きが欲しい!誰か作って!」と主張したかっただけなんですけど(笑)。

 あと、全くの余談ですが、
>「ときめきメモリアル」(PCエンジン版94年)
 とありますが、94年といえばちびうさの出てきた「セーラームーンR」が終わり、「セーラームーンS」で萌えの起源の一つと噂される土萠ほたるが登場し、更に「姫ちゃんのリボン」が終わって「赤ずきんチャチャ」が始まり、「マーマレード・ボーイ」まで出てきた年じゃないですか!しかも93年中盤からこの94年にかけては86年の「ドラゴンボール」から続いたブームが小休止に入り、長期継続の定番路線が大半を占めていた (とはいえその定番路線の中で様々な挑戦が行われて(Gガンダムとか)いて、活気はまだ残っていた) 時期でもある訳で、そう考えるとエヴァの95年秋スタートというのはまさにここしかない決定的な、奇跡としか言いようの無いタイミングだったのかもしれません。そりゃ大ヒットする訳だ(笑)。

 それと、確かにこの後一面においてアニメはギャルゲーに追い落とされていくのですが、一方でアニメの側もただ手をこまねいているだけではなく、ギャルゲーの要素を貪欲に吸収しようとしていく(まあ頑なな部分もあるんだけど)訳で、その辺の動きを掴みたいという事もあるので、早く誰か年表の続き作ってくれないもんでしょうか(笑)。いやいや、私は無理ですから!(即答)だってただでさえ作るのが大変 (放映された作品を網羅し、放映順に整理していく) な年表なのに、96年以降は番組数が爆発的に増えていくんですよ?年百本以上のタイトルを見難くならないように放送枠の前後関係も抑えつつ表にするなんて芸当、私には絶対に出来ません。自信を持って言えます(核爆)。



80年代生まれはエヴァの前にSDガンダムを経験しています(笑)。
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月 6日(日)13時14分38秒

 連投でごめんなさい。もう一つだけ、どうしても書いておきたい事が出てきたので、出来るだけ手短に済ませますのでそれだけ書かせてください。

>エヴァ前夜の時期、80年末期から95年までのアニメは、70年代生まれにとっては全部リアルタイムで、個人的な思い入れは強いのですが、80年代の熱量に比べてしまうとアニメ史全体の流れで見たときに空白期だったのではないかと考えていたので、自分もその頃の歴史的意義みたいなものは余り考えてきませんでした。

 思い入れ込みの非常に個人的な見解を述べさせてもらえば、私はその時期が「歴史上の空白期」だったとは思っていません。80年代のリアルロボットブームは、表現の拡大という意味で非常に大きな成果をもたらしたと思いますが、同時に「子供離れ」という子供向け作品から出発したアニメにとっては根源的な危機をも招いてしまった訳です。例えば「ゴーグ」とか「ガリアン」とか「エルガイム」とか小さい子供はほんとに分かって見てたのか、とかとか。
で、そういった流れに待ったをかけたのが85年から出てくる「ダンクーガ」「ダンガイオー」「飛影」「マシンロボ」「ゼオライマー」そして「ボーグマン」といった一連のロボットものの王道回帰を目指した(でもオタクっぽい)作品群で、その路線を(オタクっぽさを含めて)推し進めた結果登場したのが「魔神英雄伝ワタル」から始まるコミカルロボット作品達だった訳です。
 で、私がこの時期を「空白期」ではないと主張する理由はまさにこの (正確にはロボットもの以外のコメディ作品も含めた) 作品群にこそあるのです。もっと具体的な話をすると「ドラゴンボール」や「セーラームーン」に加え、この作品群を代表する五大タイトル、「ワタル」「ラムネ」「勇者シリーズ」「エルドランシリーズ」そしてなによりも「SDガンダムシリーズ」にアニメ史的・オタク史的価値を認めるか否かというのがこの時期が空白期なのかどうかのたぶん分水嶺になるのだと思うのですが、私はそれを認めている訳です。
なにしろSDガンダム直撃世代ですから、私(笑)。
 そして諸先輩方がこの期間を空白としたがる、というか意識の外に追い遣りたがる理由もまた、ここにあるのだと私は考えています。
なぜならこれらの作品の方向性はそれまでの80年代リアルロボットアニメとはある意味で相容れないものだからです。
いや「デフォルメキャラがコメディやるならともかく真面目な話をするなんて気持ち悪い。邪道だ!」と主張されてる方をネットで何人かお見かけしただけで言ってるので偏見入ってるとは思いますが。
 でも実際、そうやって「SDガンダム外伝 聖騎兵物語」とか「ラムネ&40」とか「アイアンリーガー」を見て、俺達が夢見たアニメの未来像はこんなものじゃない!と憤り、しばらくアニメから離れていたら、突如 (では本当は無いのだけれど) 「エヴァ」が出てきて「なんじゃこりゃぁ!」となった人って意外に多いんじゃないかと思ってるんですけどどうなんですかね?

 ああ全然手短じゃない上にたぶんあまり気分のいい話ではない事を書いてますね。すいません。
普段、この時期を「無かった事」にしようという圧力のようなものを至る所で感じているので、この話をするとつい入れ込みすぎてしまうんですよね。
まあこれも「SDガンダム」に対する私の愛情の裏返し(爆)と思って、広い心で受け止めてくだされば幸いです。ではでは。



アニメの年表
投稿者: n-ji  投稿日: 3月 6日(日)22時38分0秒
はじめまして。横槍失礼します。

アニメの「年表」なら、
http://homepage1.nifty.com/home_aki/jikan.htm
とか、いかがでしょうか。想像しているものと違うかもしれませんが、1962〜2003年くらいまでのアニメがタイムテーブル形式でまとめられているページです。

いやしかし、眺めてみると知らない物語ってたくさんありますね...^^;。



わーい

投稿者: 秋水  投稿日: 3月 7日(月)01時14分48秒

次に書こうと思っていたことを倉井さんにほとんど先に言われちゃいました。
なのでこのままこちらで議論継続で、あとでログをまとめたいと思います。

私個人も、80年代末から95年までの期間が空白期として黙殺されてきたことには本心では違和を感じていたので、倉井さんと基本的に考えてることは同じです。

リアルロボットブームとその斜陽、更にそこからの子供向けへの回帰は倉井さんの指摘どおりだと思います。
つい最近までというかある年代のオタクの間では「80年代のリアルロボット至上主義が夢見たアニメこそが望まれるアニメの正しい姿である」という声が大きく、90年前後においても、「アニメは子供のもの」という世間一般の偏見に対して反論する為に、子供向けと揶揄されないだけの「格」が作品に必要だったため、その言説は、ある程度正統性をもっていたためにそれに対する異論は、なかなか口に出して言えない雰囲気というのがあったというか、自分が呪縛されていたというか。
結果的にこのリアルロボット至上主義が、ワタルやエルドランを黙殺あるいは、不当に低く評価させ、省みられない土壌になったのではないかと思います。

しかし、当時10代だったアニメファンにこれらの作品が無視されていたのかというとそんなことはなく、当時のアニメ誌やコミケのジャンルの趨勢を見れば、むしろ主流のひとつで一定以上の支持を得ていたことが判ります(ただし女性ファンのキャラ人気の側面も少なくはなかったのですが。だからといって男性ファンがつかなかったわけでもない)

またワタル・エルドラン・勇者系の作品は、確かにリアルロボットが内包するシリアス人間ドラマも主義主張も先進性ないかもしれないが、子供向けの娯楽作品としての価値や、そのジュヴナイル性はもっと評価をされてもいいのではないかと思います。
ここはどちらが上位か下位という問題ではなくそれこそ歴史の趨勢、必然として、リアルロボットの時代があり、子供向けへの回帰があり、それぞれに長所があり、決して後退も停滞もしていなかったのではないか、そんな風に考えることができないかと思うわけです。



>アニメの年表
投稿者: 秋水  投稿日: 3月 7日(月)01時38分17秒
n-jiさんどもありがとうございます。
私も少し探してみたんですがなかなかいいのがないですね
一覧化されてると見やすくてよいのですけど



歴史的断絶
投稿者: まんりき  投稿日: 3月 7日(月)23時53分44秒

突然失礼いたします。エルフェンリート日記以来、いつも愛読させていただいている者です。
ここのところ秋水さんやとぼふさんのところで続けられている論議は、60年代生まれアニメファンとしてつねづね気にかかっていたところでもあるので、興味深く拝見しています。
アニメ史エヴァ断絶説ですが、まさにエヴァ出戻りアニメファンの一人として言いますが、エヴァまである程度アニメを離れていた人々も、当時隆盛だった商用パソコン通信での既存アニメファンとの交流などで、エヴァが突然変異ではなくセーラームーンやVガンダムなどの先行作品の影響かにあるという認識はけっこう共有されていたように思います。
私自身はエヴァ以前も完全にアニメから離れていませんでしたからセーラームーンもVガンダムも知っていましたし、ナディアからのガイナックスアニメの流れとしてのエヴァという認識もあったので、アニメ史に断絶があったという認識はありませんでした。
むしろそういう誤認識を広めた存在というのは、エヴァブームでオタク外から参入してきたポストモダン系サブカル方面の人たちではないかと私は考えています。
むしろ旧来のアニメファン以上に、彼らはエヴァを「上げ底」する必要があったように思います。
エヴァが特別な存在であると。彼らの言説の中では、90年代前半アニメの流れのなかの存在としての「エヴァ」というのは完全に無視されているたように思います。
エヴァ製作に疲れた庵野監督はエヴァ以後オタク否定発言をすることが多かったのですが、それを変な按配に真に受けたのがサブカル系の人たちで、庵野監督の呪詛が、骨の髄までオタクでしかあり得ない自分をふまえた上での呪詛であることに気がつかなかったのが彼らだと思います。エヴァ以前庵野監督がセーラームーンやVガンダムに熱中し、その影響下で作品を作っていたことは、彼らによって黒歴史とされてしまいました。
エヴァのスタッフ構成を観れば、エヴァがすさまじくセーラームーンリスペクトな作品だと言うことは一目瞭然だというのに。榎戸洋司氏を脚本に、貞本さんの絵柄と似ても似つかない長谷川真也氏を作画監督の一人に、セーラームーンの監督を務めた佐藤順一氏も甚目喜一の変名で重要なエピソードの絵コンテをいくつも手がけていますし。
アニメ史に関する無知から、オタク文化の文脈の中のエヴァを無視し、サブカル文脈の中だけでエヴァを語る試みがいくつも試みられ、それが何となく「正史」の位置を獲得してしまったのは、一方で庵野監督の「裏切り」に狼狽してあられもない醜態をさらした当時のオタク側の人間が、エヴァをアニメ史の中で正しく総括できなかったことにも起因していると思います。
エヴァ前後のアニメを取り巻く言論の混乱と、台頭してきた「萌え」世代(「萌え」という言葉が最初に広まりだしたのがまさにエヴァと同時代のパソコン通信界でした)、そういったさまざまな混乱が、90年代半ばのオタクアニメ史を分かりにくいものにし、そこに各世代や立場から見た「オレ歴史」が並立する状況となったのだと思います。
「エヴァ」は、オタク界の共通言語を奪ったバベルの塔だったのかも知れません。

・・・なんて、そんなことを考えているのですが。

「AIR」劇場版を巡る世代の断絶なんかも興味深いですけどね。僕は出崎世代なんで、テレビ版も面白いけど劇場版
も「是」なんですが、けっこう個人的に親しいような若いオタクとかに聞いてもあれは全然受け入れられないみた
いですね。そういうの面白いです。

http://manriki.moe-nifty.com/diary/



上の世代は理解しようとしたけど、下は・・・  
投稿者: 秋水  投稿日: 3月 8日(火)02時33分58秒
まんりきさんはじめまして
横レス歓迎、貴重なご意見ありがとうございます。

60年代生まれがパソコン通信である程度知識を得られたというのは、なるほどなんですが、全ての人がパソコン通信が出来たわけではなかったので、その辺の認識を完全に共有できなかったというのはあると思います。
おっしゃる通りサブカル文化人によるエヴァ評で、アニメ史から切り離されてしまったというのも一つの原因ではないかと思います。
補足するとアニメ誌がアニメ史の文脈の中から論じる役割をになうべきだったのが、最終回で生じた是非論のすさまじさに、エヴァをもてあまし、まったく機能しなかったというのにも原因があるように思います。

それとエヴァがVやセラムンの上にあるという認識は当時10代や20前後のオタクの間でも実際はあまり認識されていなかったことだったと思います。
それはサブカル文化人のエヴァ評にかき消され取り込まれてしまったという側面もあると思いますが、90年以降のアニメ業界(要するに70年代生まれ以降のアニメファンによる市場)の状況というのはすでに「萌え」という言葉が使われ始め、キャラ人気に支えられていたという側面があり、エヴァの視聴者も、セーラームーンを見ている感覚の延長でエヴァのキャラに萌えることを目的にして見ていた視聴者も多く含んでいて、それに加えて、声優やキャラデザイナーには詳しくてもそれ以外のスタッフ構成には興味も知識もないファンというのも珍しくはなかった。
60年代生まれには割とあたり前のスキルだったスタッフ構成やアニメ史を元に作品を理解するという視聴スタイルが、70年代生まれ以降には、そのスキルが一部の人間を除いてほとんど継承されてこなかったという状況があったりします。
(この辺はアニメージュの80年代と90年代の紙面構成の差が如実に物語っています)
はっきり言ってしまえば知識派ではなく消費型のオタクがかなりの幅を利かせていたという状況もあり、しかし、知識が決定的に不足しているが故に、かえって、視聴者としてはあまりにウブで、むしろエヴァを真摯に真面目すぎるくらいに「物語」として見て熱中していた層もまたたくさんいたはずなんです。
故に、いま風な表現をつかえば「中の人」の存在なんて考えもせず、キャラや物語を楽しんでいたのに最終回で、いきなり「中の人」が出てきてお前等現実に帰れとか言われて勝手に自爆されれば、そりゃ視聴者はぽかーんですよ。中の人を憎悪しますって。
自分なんぞはエヴァの最終回見ながら、「メタフィクションオチちよ!押井じゃないんだから!」とか内心ゲラゲラ笑いながら庵野監督の自爆の意図を考えていたような擦れた嫌なオタクでしたけど、まあ、少数派でしたね(笑)
私も当時パソコン通信をやっていたので判るのですが、そういったファンの作品に対する接しかた、知識の差異、消費のスタイルの違いは、ギャップとしてパソコン通信のBBSにはっきりと噴出していたと思います。
で、擦れた歴戦のオタク(と出戻り組)、キャラ萌え派、純真ファンが喧喧諤諤の議論をした結果、お互いを憎悪し、理解しあう前に疲れてそれぞれの消費スタイルに閉じこもっちゃったのかなぁと。その中でキャラ萌え派は美少女ゲームへ流れていったと。
エヴァが最終回を当たり前に走り終わっていれば、断絶の現状も違っていたかもしれませんね。

>AIR

私は見れないんですが、色々流れてくる話を聞いてると面白いですね。機会があれば見たいと思ってます。
私は、エロゲ方面はToHeartくらいまではついていけたんですがKanonの人気が理解できなくて、それ以降はあまり関わらないようにしていたので、Airを支持している層の価値観はもうさっぱりです。




リアルとSDの相克……は次回に持ち越し(爆)。
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月 8日(火)07時31分51秒

 実は、「先に書かれた」発言の事もあって、もうこれ以上長文書き込みはしないようにしなければと思っていたのですが、議論継続のお達しが出てしまったので急遽作戦変更です(笑)。
とはいえ話が拡散してきてるので一度整理しようと思いますが、その前に簡単にレスを。

>n-jiさんへ

 どうもはじめまして。リンク先見ました。整理されてて、情報も細かく、これはこれで便利だと思うのですが、私の言ってたのはこれとは正反対に個々の作品の情報は殆ど省略されてる代わりに時代による変遷が一目で分かる様になっている年表なのです。世界史とかで国の興亡を線でグラフ化したものがありますが、それの国名が作品名になった形のものだと説明すれば伝わるでしょうか。

>秋水さんへ
>次に書こうと思っていたことを倉井さんにほとんど先に言われちゃいました。


 ごめんなさい。悪気は無かったんです(汗)。某所で言われてた「自分が必死こいて集めてた情報が他所では無価値に扱われていると思ってついかちんと来る。」という言葉の意味を実感致しました。反省。

>つい最近までというかある年代のオタクの間では「80年代のリアルロボット至上主義が夢見たアニメこそが望まれるアニメの正しい姿である」という声が大きく、

 「正しい」とか「正義」という言葉は怖いですよね。特に大人になってからこの言葉を使う時は細心の注意を払
わないと「力」がある分性質が悪いですし。私もある意味で片足を突っ込んでいるので余計にそう思います。

>結果的にこのリアルロボット至上主義が、ワタルやエルドランを黙殺あるいは、不当に低く評価され省みられない土壌になったのではないかと思います。しかし、当時10代だったのアニメファンにこれらの作品が無視されていたのかというとそんなことはなく、当時のアニメ誌やコミケのジャンルの趨勢を見れば、むしろ主流のひとつで一定以上の支持を得ていたことが判ります。
 
私も当時10代でしたからこれらの作品が人気だった事はとてもよく存じています。それに子供向けへの回帰を目指していた訳ですからある意味当然の事だとも言えると思います。
でもそれより上の世代の状況はどうだったのでしょうか。
全く知らないので興味があります。ただ、私が問題にしているのは当時の人気の有無ではなく、今現在これらの作品が顧みられる事があまりにも少く、ましてやこの時期全体を語る論評に至っては大きく取り上げられる事が殆ど無い、という「今の状況」ですので。

>(ただし女性ファンのキャラ人気の側面も少なくはなかったのですが。だからといって男性ファンがつかなかったわけでもない)

 この辺の状況が、のちに「セーラームーン」や「CCさくら」などへと繋がっていくのではと私は考えているの
ですが詳しくは次回に。

>またワタル・エルドラン・勇者系の作品は、確かにリアルロボットが内包するシリアス人間ドラマも主義主張も先進性ないかもしれないが、子供向けの娯楽作品としての価値や、そのジュヴナイル性はもっと評価をされてもいいのではないかと思います。

 大筋では同意なのですが、「ラムネ」等はともかく、「ワタル」や「エクスカイザー」、「ライジンオー」等の作品は、子供向け作品としてちゃんと「子供達へのメッセージ」を持っていて、それが魅力の一つだと思うので主義主張はあったと思います。
あと、一見ただ原点回帰を果たしただけに見えますが、「ワタル」等でのTVゲーム要素の導入、「エクスカイザー」等のより身近な日常描写から非日常の世界へと入っていく所、とむしろリアリティに縛られるリアルロボット作品よりも実験的な表現は多かったと思います。まあリアルロボットものはその存在自体が既にして先進的だった訳ですが。

 これまでの話の整理をしたいんでまだ続きますが、もう朝なので今回はここまで。ではでは。


通りすがりの横レス
投稿者: matture  投稿日: 3月 8日(火)14時48分2秒


エヴァのルーツについての話が出ているので横レスさせていただきます。
エヴァのルーツにはセーラームーンとガンダムともう一つ、宮崎アニメがあると思います。庵野監督自身(とスタッフ)がマクロスの看板を背負ってることをあわせて、この4作が大きい。
そして個人的に興味深いのが、セラムンつか幾原、ガンダムつか富野、宮崎がそれぞれエヴァに対して答えを出していること。
それがもののけ姫とブレンパワードは煽り文句からして「生きろ」「頼まれなくたって生きてやる」となっていてある意味露骨。
対して幾原のウテナは、彼がモデルになっている渚カヲルを、白馬の王子様と世界の果てという形で再構成しているように見える。
だからエヴァで統合され、断絶したかに見えた流れは結局一時的なものだったのではないかと。
幾原の弟子でありウテナで大きい仕事をした細田守、ナディア・エヴァで活躍した樋口真嗣、この二人の映画が同時期に公開される。こういった事だってつまるところは歴史の流れというか選択では無いでしょう。


救援求む。私はもうそろそろ限界です(汗)。[前編]
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月 9日(水)03時45分24秒

 え〜、今朝の続きです。とりあえず一度話を整理してしまいたいので、書き残したレス等はその後に。

 という事で、混乱してきた頭の中を整理する為、ARTIFACTの記事から始めて関連記事とここでの議論をざっと読み直してみたのですが、きっかけとなった話題は決着が着いている様なので除外するとして、今ここで議論されてる事というのは大きく三つに分けられるのだと思います。

一つは、この話が出てきた当初から言われたいた、「オタクの歴史認識」の問題。二つ目に、ここでの議論を通して浮き彫りになった
「86年〜95年の後天的空白化」の問題。そして最後に、以上二つの問題の根幹に関わっていると思われる「『エヴァ』のアニメ史における系譜問題」です。
 これら三つの話は独立しているようで実は密接に絡み合っているので、分けて考えるのは難しいのですが、論点を整理する為にも、今回はあえて別々に取り扱ってみたいと思います。

1.86年〜95年の後天的空白化
 まあこれは要するに、当時喜んで見てた人はそれなりに居たけれど今現在それを語る人が少ない、という事なのですが、もっと正確に言うと個別の作品の好き嫌いレベルの話はそれなりに見かけるんですよ。
この所、この時期の作品が続々とソフト化されてる事もありますからね。ただそこから先、あの時期全体を評価する様な話にまで発展していかないのです。
まあ直後に「エヴァ」が出てきてその辺りから日本のTVアニメの質が劇的に変化していった、という事があるので堂々と評価する事が憚られるという気持ちは分からないではないのですが。
前に書いた、リアルロボット世代のコミカルロボット作品への拒否反応の話の逆バージョンと言えるかもしれません。
ただ、実はこの「エヴァ前夜」の作品群はアニメの作劇に大きな変化をもたらしていて、「エヴァ」も実はその文脈を(かなり特殊なやり方・形で)継承していると私は考えているのです。という事で以下次項へ。

2.「エヴァ」の系譜問題
 既に「エヴァ」の直径のルーツとしては「Vガンダム」と「セーラームーン」が挙げられている訳ですが、庵野監督自身が語っている通り、これらの作品は当時の他作品とは明らかに一線を画した作品でした。
 ただ「セーラームーン」は「サムライトルーパー」辺りから顕著になった、男の子向け作品でありながら女性ファンを極度に意識した作品の登場による本来男子独占だったバトル物の女性に対する敷居の低下や、「ちゅうかなぱいぱい」から続いた特撮変身少女シリーズの影響があったのは間違いなくて、例えば、戦隊シリーズの少女漫画版とよく言われるけれど、ほんとに似ているのはむしろ「聖闘士星矢」等のバトル物少年漫画だったりする訳で。
 「Vガンダム」の場合は、単体で考えるよりも前作「F91」を含めて考えると面白いものが見えてきます。
「F91」が本来TVシリーズとして企画され、それが二転三転して劇場公開されたというのは、オタクの間では有名な話ですが、なぜそうなったのでしょうか?
「F91」が公開されたのは91年。勇者シリーズが二年目に入り、エルドランシリーズが始まった年です。でも、ガンダムにおいては、実はこれらよりも遥かに重大な事情があります。それはSDガンダムブームが絶頂期であったという事。これでは子供人気が望める筈もなく、また一方、「F91」は今までのシリーズと違い「富野節」を極力抑えた作りになっていた為、コアなファンの受けもあまり良くないという板挟みにあってしまう訳です。とまあ、ここまでは良
くある言説ですがここからが重要。「Vガン」はその設定の節々に「F91」との関連や類似点が見られる為「F91」のセルフリメイク作品だったのではないかという噂がある訳ですが、もしこれが本当なのだとしたら、この作品の異質さの理由が説明できるかもしれません。つまり「Vガンダム」はSDガンダムを始めとした当時の他作品に対する富野監督なりのアンチテーゼだったのではないか、という。
 ただ、それは普通とは逆の意味でそれらの作品を強く意識しているという事でもある訳で、だから私はこの作品もまた当時の文脈を捩れた形ではあるものの「継承」していたのではないか?と考えているのです。
これなら「F91」との作風のギャップも説明できますしね。そして、その「アンチの魂」を継承した作品こそ、他でもない「エヴァ」だった訳で。そういう意味では、始める前から既にしてアウトローの宿命を背負った作品だったのかもしれません。
 ちなみに、全くの余談ですが、実は当時SDガンダムはモチーフとなるMSを粗方使い尽くしてネタ不足に陥りかけていて、シルエットフォーミュラまで引っ張ってきて食いつないでいた訳で、そう考えると「F91」がパッとしなかったのにTVシリーズの製作が決定した理由は……。
 また、今までこの86年からの期間を一括りにして語ってきましたが、実は後期、92年辺りから徐々に質的な面での変化が表面化してきて、本格的に表現力が増してくるのですが、この92年というのがまた面白い年だったりします。
まずなによりも「セーラームーン」が始まったのはこの年ですし、それ以外にも、「ヤダモン」や「姫ちゃんのリボン」、「幽遊白書」、そしてそして、あの「ラムネ&40」を成功させて一時代を築いたねぎしあかほりコンビが「宇宙の騎士テッカマンブレード」に抜擢されシリアスなSF物に挑戦する訳です。
ちなみにこの「テッカマンブレード」辺りからキングレコードが目立ち始め、「スレイヤーズ」のヒットと共に怒涛のスターチャイルド伝説(笑)が始まります。
またこれは、80年代末からのタツノコプロの新路線が生んだリメイク作品の内の一つな訳ですが、時系列的に言ってまさに「エヴァ」の直前にこれらの作品が作っていたということを考えると、興味深いものがあります。

 まだ一つ残ってますが長すぎて掲示板に弾かれそうなのでここで一回投稿。後編に続く。


歴史観について〜人表の必要性
投稿者: matture  投稿日: 3月 9日(水)14時04分17秒

秋水さんの言われる年表は作品の年表ではなく「人の年表・人物相関図」にすべきではないでしょうか。
 例えば90年代前半のヒット作である「幽遊白書」の74話。これの演出は非常に特殊でハイレベルなんです。でその演出家が新房昭之なんです。この人はあのネコミミモードで有名な月詠の監督。さらに幽遊白書には「人狼」「イノセンス」なんかにも参加することになる西尾鉄也もいる。
 もちろんこれは結果論かもしれないけど、今のアニメのルーツが86年〜95年にゴロゴロしているのは間違いない。そこを見直していけば見えてくるものがあるのではないかと思う。


>mattureさん
投稿者: 秋水  投稿日: 3月 9日(水)19時45分33秒

ある作品が何故その時点で生まれたかというのを考える時に、必要なのが歴史観で、その歴史の流れを考える手がかりが、監督やアニメーターといったスタッフの繋がりや相互の影響による軸、さらに制作会社やスタジオの関係の軸(例えば虫プロ→サンライズ→ボンズとかタツノコ→プロダクションIGとか)さらにもっと大きな社会状況の背景の変化の軸をそれぞれ考えて見て行く必要があるわけで、それを現在から過去を見通して初めて見えてくるものがあるというのは、自分からすればそれは常識の範疇だと思っているんですよ。

自分が問題にしたかったのはそのこと自体が、世代によって生まれたギャップと同時に、アニメを鑑賞する上で視点として抜け落ちてしまっているという状況があるんじゃないか、ということと、あわせて、80年代やエヴァ以降を語る言説の多さに比べて、90年代前半は、あまりに語られていない状況があるんじゃないかということなんです。
エヴァのルーツは、それを語るための契機でして、ここでそれを明確にしたいわけではないので、それに関しては、いったん横に置いといて、90年代前半の話をさせてください。


今日は時間あるので続きます。

続き
投稿者: 秋水  投稿日: 3月 9日(水)21時00分25秒

90年代前半が子供向けアニメが充実して、10代のファンはちゃんといたということは、倉井さんのレスである程度語られたとおりであるのに対し、一方でマニア・オタク向け市場はどうだったかというとTVが子供向けへの回帰を果たした一方で、マニア向けはOVAへ完全に軸足を移して棲み分けをはじめ、本数的にも数は多かったにもかかわらず、実質80年代に築かれた遺産を元に再生産を繰り返しメカと美少女というオタク特有の嗜好のみがしぶとく生き残っていたに過ぎなかったという側面があり、当時20を過ぎて30にも指しかかろうとした生粋のアニメファンがその状況に失望したとしても、それ自体は不思議なことではなかったと思います。
結局のところVガンダムやエヴァが目指したのは、そういう状況に対して、80年代の中盤で途絶えてしまったリアルロボットの復興である一方で、それは同時に作り手としての「作家性」というオリジナルの希求だったんじゃないかと思います。

70年代前半生まれの人間も、リアルタイムで90年代前半の作品を楽しみつつも、80年代のリアルロボットを知っているが故に、その時代に対する懐古や羨望もあって、続編やリメイクではないオリジナリティもテーマ性もある大人向けのアニメの登場を心待ちにしていたのではないかと思います。
(それは例えばこの時代に作られた数少ない新しいリアルロボットである「パトレイバー」に人気があることからも判るのではないかと思います。)
どんなに子供向けとして良質であっても、それを見て評価する側のオタクが、本当の意味で欲していたアニメの答えは「エヴァ」だったということなのではないでしょうか。

それゆえに90年代前半を代表するといっていい子供向けのロボットアニメ、少女アニメのほとんどが、当時ある程度人気がありながら現在省みられないのは、個々の作品にそれぞれ魅力があっても、そこに批評的価値のある突出した「作家」が不在であり事実、後々まで語り継がれるほどのインパクトを与えられなかったからなのではないかと思います。

また背景にはゲームの存在があり、子供向けに回帰してしまったアニメに対して、ゲームは子供向けから大人向けへの進化の過程にあり、オタクがそれに熱中し、アニメへの興味が薄くなってしまったことにも一因があるのかもしれません。


セーラームーン
投稿者: 秋水  投稿日: 3月10日(木)03時52分14秒

セーラームーンの登場は、倉井さんの指摘どおり、戦隊もの、聖闘士星矢(ちなみに三つは全て東映の作品)の女の子版で、少女向け作品でバトル物というコンセプトはコロンブスの卵的発想で、そのアイデアはかなり新鮮なもので、そのインパクトはとても大きかった。
セーラームーンという作品は、前身となる「きんぎょ注意報」で佐藤順一監督が確立した漫符を多用したギャグ表現、漫画的なデフォルメ表現と従来のバトルやドラマ、日常シーンをバランスよく組み合わせることで成立し、表現の面でも確実に進化した作品で、佐藤順一の監督の名を確固たる物とし、同時に幾原邦彦、榎戸洋司、長谷川眞也といった人材も輩出したことでも重要な作品であるわけです。
そしてセーラームーンは、本来少女向けだったわけですが、男性オタクがいち早くこれに飛びつき、星矢やサムライトルーパーで活気付く女性の同人市場に対して、停滞していた男性向け同人誌を一気に活気づかせる起爆剤ともなった作品です。
オタクが、80年代リアルロボットものに熱中していた影で、いわゆるロリコンブームがあり、その中で、ミンキーモモやクリーミーマミが人気だったことからも、オタクが少女向けである魔法少女系アニメを好む傾向があることは明白で、しかし、それがあくまで一部の傍流だったのが、セーラームーンが登場した後ではむしろ主流派としてとって代わられる状態がうまれたわけです。
セーラームーンがオタクだけでなく本来のメインターゲットである子供にも絶大な人気を獲得し、商業的な成功を収めたことで、業界はこれに追従する形で、バトル系の少女ものとして赤ずきんチャチャ・魔法騎士レイアース・ウエディングピーチ・ナースエンジェルりりかSOSが製作されました。
赤ずきんチャチャは原作にない変身やバトルの設定が追加されたのはこの時代ならではのことだったのではないかと思います。しかし、その赤ずきんチャチャはバトル物としてよりもギャグアニメとして注目され、それには、現在のアニメシーンにおいて重要人物である大地丙太郎・佐藤竜雄・桜井弘明の3者が演出として参加し競って作品を盛り上げ話題となり、中でも大地丙太郎は、りりかSOS・こどものおもちゃと監督を歴任しいち早く地位を築くことになります。
またセーラームーンを前後してバトルもの以外の少女向けアニメも充実し、個人的に傑作認定の「ママは小学4年生」他、「姫ちゃんのリボン」「ママレードボーイ」などがあり、それまでどちらかというとアニメが不得手としていた少女漫画のアニメ化が成功するようになったのもこの時期からではないかと思います。

これらオタク的に人気のある少女向けアニメがあまり批評の対象にならないのは、それがやはり一面で子供向けであるためジャンル自体が作家性の表出を押さえてしまうことと、少女向けアニメを大の大人が喜んでみるというねじれの為、所詮オタクがオナニー目的で同人のオカズにしてるだけという自虐性と、外部からの偏見もあり、表立って主張しようとする風潮が育たない為なのかも知れません。


この件に関する長文はたぶんこれで最後です。[後編]
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月10日(木)07時02分29秒

 前編の続きです。書き終わってからここ見てみたら、なんだか秋水さんに言いたかった事を結構言われてしまったのですが(笑)、前編に対する補足を兼ねているので話が重複するのを承知で書き込みます。
という事で、まず分かりにくかった前回の補足からいきますね。

 結論から言うと、86年〜95年という時期は、「子供向けへの回帰」と「アレンジ至上主義への傾倒」の2大テーマに集約されるんじゃないかと思うんです。
 まず「子供向けへの回帰」というのは、80年代のリアルロボットブームの反動から起きたのだと既に書きましたが、調べていく中で思い出した事があるので追記すると、すっかり忘れてましたけど、この時期実はパロディ系以外にもう一つ、ファミリー向けアニメが大ブレイクしていて、その代表といえば、何と言っても「ちびまる子ちゃん」と「キテレツ大百科」で、この2番組は主題歌もヒットして社会的にも大きな話題になり、他にも赤塚不二夫作品が続けざまにアニメ化されたりと様々な事が起こる訳ですが、この流れは一つの大きな成果をもたらします。
それは「日常描写」。今まで非日常の世界しか描けなかった日本のアニメは、この時期から急速に「現実を描く能力」を得ていったのではないでしょうか。
具体的には86年の「タッチ」と「めぞん一刻」、翌87年の「エスパー魔美」辺りが先駆けで、「キテレツ」や「ちびまる子」、「ハーイ!あっこです」等を経て、一つの完成形に達するのが92年の「ママは小学四年生」や「クッキングパパ」、そして「クレヨンしんちゃん」なんだと思う訳ですが、またもや「92年」ですよっ!一体この年には何があるというのでしょうか(笑)。
 またこの時期、「ドラゴンボール」や「聖闘士星矢」などのバトル物が目立っていた東映が、「ひみつのアッコちゃん」以降、「魔法使いサリー」「まじかるタルるートくん」「きんぎょ注意報!」と急速に流れを変えていきそして「セーラームーン」が出てくる訳で、当然、「エヴァ」もこの文脈を継承しているのだと思います。
 あと、余談ですけどこの流れが「ワタル」以降コミカル路線を歩んでいたロボットアニメと結び付い
て誕生するのが「勇者シリーズ」であり「エルドラン三部作」だったりします。
 次に「アレンジ至上主義への傾倒」ですが、いきなり新しい単語が出てきたので驚いたと思いますが、これは要するに、当時私が感じていた「『自分の言葉』で語るのはダサくて恥ずかしいけど、『他人の言葉』を『引用』して、言いたい事(特に愛とか友情とか根性と言ったキレイゴト)を表そうとするのはかっこいい」というような空気というか雰囲気を一言で表したものです。
で、このテーマを象徴しているものこそ、まさにこれまで語ってきたコミカルロボット作品で、それに対する反発として「Vガンダム」があって、それが「エヴァ」に繋がっていく訳ですが、批判は多いものの、この「アレンジ至上主義」が何にももたらさなかったのかと言うとそうでもなくて、アレンジされる過程で複数の作品のエッセンスを複雑かつ多層的に積み上げていくという、いわば「データベース的作品構造」といったものを持った作品が登場してくるのですが、実はこれって80年代に流行った「世界観主体」の方法論の延長線上にあるものな訳で、そしてこれこそがリアルロボット作品とコミカルロボット作品を繋ぐミッシングリンクなんだと思うんです。そしてこの事こそが、「動物化するポストモダン」辺りでも言われているように、のちの「萌えムーブメント」に繋がっていく、という事で次項に続きます。

3.オタクの歴史認識
 上で書いたように、私は「萌えムーブメント」の源流を「アレンジ至上主義への傾倒」にあると考えているのですが、であるならば「エヴァ」は、「アレンジ至上主義」のみならず「萌え」に対してもアンチテーゼであったと考えられるのではないでしょうか。ただし結局、反発しながらもそれらの影響を完全には排除できなくて、でも逆にそれが作品としてはバランスを高める事になるという皮肉な結果をもたらす訳です。私は当時、劇場版を見ていて作品から、(ブームも含めて)この作品を完全に「終わらせたい」という意図を非常に強く感じて、それがまたアウトローっぽくてかっこいいというか面白いなと映画館で一人ニヤリとしていたのですが、今考えると本人としては結構、忸怩たる思いがあったのでしょうね。あの後なんでアニメから去っていったのか、今やっとなんとなく分かりました。
 という事で横道それましたがこれからが本題。
歴史認識というもの自体は、生まれたタイミングや環境に左右されるものなので私はそれであまりどうこう言うつもりは無いというか、知らないなら知っている人間が伝えるしかないと思っていて、だからこんなに延々文章を連ねて秋水さんに多大なご迷惑をお掛けしながらもそれを止められなかったりとかするので、基本的にそれだけの事ならば私が語る事は何も無いのですが、秋水さんの書かれた

>「キャラ」や「萌」による快楽は、歴史や文脈がこれこれこうですよ、と説明されて、過去を遡ったところで快感が得られるわけではないからね。

という部分は歴史認識の問題とは別に、いわば「オタクの変質」の問題として考える必要があるのではないかと思います。
 いや、実は私も数年前から同じような事をずっと感じていて、近頃はもう、「オタク」という言葉だけ全てをで一緒くたに扱うのは無理なのではないかと考え始めていた所でして、特にここ数年は、なんというか巷のオタクのアニメの見方(とそれに呼応して作品の表現自身)が加速度的に即物的・刹那的になっているなぁと強く感じますし。
例えば「ガンダムSEED」とか「神無月の巫女」とか「リリカルなのは」とか「うたかた」なんて、作ってる人が何考えてるのかさっぱり分からなくて、私などは困惑するしかなかったのですが、世間では、どれも何だかんだでそこそこ評価されてたみたいですし。
いや単に私の理解力が足りなかっただけなのかもしれませんけど。
 で、これらの作品を楽しんでる人達はどういうアニメの見方をしているのだろう、と思ってネットで色々感想を見て回ったりしていたのですが、その中で特に印象的だったのが「宇宙のステルヴィア」におけるヒロインのキスを巡る騒動と、批判をしながらも何だかんだで結構な数の人が見続けていた「ガンダムSEED」でした。
ネット上の動きだけで全てを断じてしまうのは少々乱暴かもしれませんが、私はこれらの動きを見ていて、もしかしてこの人達はアニメを自分が楽しむ為の「道具」や「きっかけ」、身も蓋も無い言い方をすれば「妄想のネタ」としか思っていないのではなかろうか、と考えるに至りました。
もっと言うと「作品を楽しむ」という行為自体が至上目的化してしまっていて、ネタにさえなれば、というよりネタになるかどうかだけが重要で、それ以外の事なんてどうでもよくなってるんじゃないでしょうか。
「脳内補完・変換」とか「それが〜〜クオリティ」なんて言葉を目にする度に強くそう思います。
それが良いか悪いかは人それぞれだとは思いますが、私はあまり良い傾向ではないのではないかなぁと感じています。
だって作品本来の魅力とは離れた所で評価が一人歩きしていく訳で、作者は自分の作ったものが良かったのか悪かったのか正しく判断できなくなってしまうじゃないですか。それは、作者にとっても、見る側であるオタクにとっても決して幸福な結果をもたらさないと思うのです。

 最後辺りの話は「エヴァ後」の話なんで少し本題からずれますが、まあおまけということで。
ああ、これで大まかな流れは押さえたから一区切りついて、長文モードからやっとまったりモードに移行できます(笑)。
ってな訳で、次からはレスを中心にもっとコンパクトな書き込みにしますね。ではでは。


オマケ的な話
投稿者: matture  投稿日: 3月10日(木)10時50分32秒

>秋水さん
もっと言えば少女漫画は「オカズ」にならないというのが、少女向けアニメがあまり批評の対象にならない理由ではないでしょうか。
>倉井あどきさん
エヴァが「萌え」のアンチな事はほぼ間違いないでしょう。レイのキャラ人気で見えにくくなっていますが、「デュアル」というアニメを見るとそれがよくわかる。なんというか「低俗」なアニメを本気で作ってる意地みたいなものがこのデュアルから感じられる気がします。

オマケの中のオマケ
90年代前半という時代は佐藤順一の時代だったのではないかと思う。つまり「シンデレラ・フォウ」だという事。シンデレラ・フォウは「アレンジ至上主義」であり「萌え」であり「ロボット物の中でのドラマ」なわけです。アニメ業界では一人の人間が流れを作るという事は往々にあり、佐藤順一という人物は宮崎・富野、といった方々と異なり『あくまでも「作品」が主で、「クリエイターとしての自分」は従』であるが、そこに90年代前半があるのではないかと思う。


あとはまったりと
投稿者: 秋水  投稿日: 3月11日(金)02時01分31秒

私もだいたい言いたいことは書いてしまったので後はレス返しで

>倉井さん
>今まで非日常の世界しか描けなかった日本のアニメは、この時期から急速に「現実を描く能力」を得ていったのではないでしょう
か。


ここは、一応反論させていただくと、アニメにおける日常描写は、高畑勲の「太陽の王子ホルス」にはじまり「アルプスの少女ハイジ」でほぼ確立されています。
ただ、それがずば抜けた描写力だった為、それを手本に回りが追いつくのに、かなり時間を必要としただけではないかと思います。

>アレンジ至上主義

聞きなれない言い方なので違和感があるんですが、これは要は「パロディ」や「オマージュ」ということかな。
アレンジ至上主義というと作り手が自覚的にそれを支持していたような印象を受けるんですが、そういったことはなかったと思います。
80年代前半で新しいことをやり尽くしてしまって以降のアニメが、時期的に引用やパロディに走らざるを得なくなってしまっただけなような気がします。そしてそれは、オリジナリティの欠如の無自覚でしかなかったんではないでしょうか。
あえて意図的に自覚的にそれを成したのはガイナックスであり庵野監督の「トップをねらえ!」であり「ナディア」であって、それが出てきたことで、以降、データベース引用、アレンジが手法として確立されていったのではないかと思います。

>「萌え」に対してもアンチテーゼであったと考えられるのではないでしょうか。

補足しておくと、エヴァが始まった当初は、庵野監督自身は「萌え」に対する意識は低かったと思います。
しかし、受け手の一部の反応が「萌え」に傾倒することで、庵野監督がエヴァをはじめるにあたって希求した自分のオリジナルの確立とは意図しない方向へ向かってしまった為に、最終回、劇場版が結果的に萌えへのアンチテーゼという形になってしまったのではないか思います。

>もしかしてこの人達はアニメを自分が楽しむ為の「道具」や「きっかけ」、身も蓋も無い言い方をすれば「妄想のネタ」としか思っていないのではなかろうか、と考えるに至りました。

全否定はしませんが、これは一面ではオタク的には自然なんですよね。
「対象にのめりこみつつ冷めた視線をもつ」というやつで。
逆にいえば、腐したり貶したり、ネタにしたりするのは愛情の裏返し、照れ隠しでもあるわけで、いわゆる「ファン」の真面目な感想とは作品の接し方が違う。
だから表面的なオタクの振る舞いがイコールオタクの本心とは限らない。
「萌え」という言葉も、キャラに対する愛情告白の婉曲として生まれたものだと私は考えています。
SEEDにしても結局みんな「ガンダム」が好きで、「ガンダム」に期待しているから、それが期待と違うものでも、楽しむ為に、ネタにするんではないかと思います。
オタクのネット上の振る舞いは、必ずしもオタク自身の本性を全てあらわしてはいない、どちらかというと照れ隠しの為の露悪趣味的な側面があるんじゃないかと思うので、じつはその裏にあるものまで読み込まないと、オタクがどう作品を捉えているかは見えてこないと思うのです。
だから作り手がその表面的なオタクの振る舞いに左右されて物を作るようでは、それはそれで困った問題ではあると思うのですが。

>mattureさん
>佐藤順一という人物は宮崎・富野、といった方々と異なり『あくまでも「作品」が主で、「クリエイターとしての自分」は従』であるが、そこに90年代前半があるのではないかと思う。

同意です。
80年代までが個性の強い監督が作品を引っ張る時代だったのに対して、90年以降は作品が主でクリエーターが従になっていくので、批評や評価のあり方も、そこを意識しておく必要があると思います。


またもや長文でごめんなさい。
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月11日(金)17時10分28秒

 私は今まで、自分が立ってるのは不確かな地面、不確かな歴史認識の上なのだと分かった上で振舞っていたつもりだったんですが、それは結局「つもり」に過ぎなくて、本当は自覚できていなかったようです。
冷静になって考えてみると、これまで書いてきた私の考察は、限られた資料のみに基づいてちゃんと確認もしないで勢いだけで書き込んでしまった、とても無責任なものだったのだと思います。
管理人である秋水さんはもちろん、レスを返してくださった方々、ひいては一連の発言を目にされた全ての方に心よりお詫び申し上げます。
本当にごめんなさい。……とまあ、そういうことで、この自戒を心に刻んでこれからも頑張っていきたいと思います。
なので、今回は訂正関連の話題だけピンポイントで書いて、それ以外の話は後回しという事で。ただその前に秋水の突っ込みにだけ一応レスを。

>秋水さんへ
>ここは、一応反論させていただくと、アニメにおける日常描写は、高畑勲の「太陽の王子ホルス」にはじまり「アルプスの少女ハイジ」でほぼ確立されています。ただ、それがずば抜けた描写力だった為、それを手本に回りが追いつくのに、かなり時間を必要としただけではないかと思います。


 これはもう完全に私のミスです。秋水さんのご指摘は的確だと思いますが、それ以前にそもそも「日常描写」と言ってしまうと、食事や入浴、掃除、洗濯といったもの全てが入ってくる訳で、ルーツを求め始めたらキリが無い話なんですよね。なので混乱を避ける為にも関連する発言は全て撤回する事にします。
ただ、私には上手く表現できませんでしたが、この一連の流れは研究するだけの価値のあるこの時期を語る上で無視する事の出来ない大事な部分だと思うので、出来ればその辺は誰かちゃんと語る事のできる人が代わってくれたらいいなと思っています。
他力本願な話ではありますが。

>聞きなれない言い方なので違和感があるんですが、これは要は「パロディ」や「オマージュ」ということかな。


 はい。そしてそういうパロディ的なものがある面においてオリジナルよりもてはやされた時期があったんじゃないのか、とかそういう事を伝えたくて命名してみたんですけどかえって分かりづらくなってしまかもしれませんね。この名前は忘れてください(汗)。

>アレンジ至上主義というと作り手が自覚的にそれを支持していたような印象を受けるんですが、そういったことはなかったと思います。
>80年代前半で新しいことをやり尽くしてしまって以降のアニメが、時期的に引用やパロディに走らざるを得なくなってしまっただけなような気がします。そしてそれは、オリジナリティの欠如の無自覚でしかなかったんではないでしょうか。


 う〜ん、仰りたい事は分かりますし、そういう一面もあったとは思うのですが、では、例えばあかほりさとるさん辺りは本当に「無自覚」だったのでしょうか?私にはどうもそうは思えないのですが。

>補足しておくと、エヴァが始まった当初は、庵野監督自身は「萌え」に対する意識は低かったと思います。

 いやその通りだとは思うんですけどね。なんというか監督の否定したかったものが時が経つにつれ「萌え」というものに変質、あるいは「萌え」という名前を獲得する事で、自動的にそういうポジションになちゃったのではないかと思ったのです。

>全否定はしませんが、これは一面ではオタク的には自然なんですよね。
>「対象にのめりこみつつ冷めた視線をもつ」というやつで。


 この件に関しては、自分の感じている感覚を上手く説明する言葉がまだ見つからず、なのでもしかしたら勘違いである可能性も今となっては否定できないので、日常描写の話と共に前言撤回させて下さい。


>以下、自分の書き込みに関する突っ込み。
>「SDガンダム外伝 聖騎兵物語」
ただしくは聖“機”兵物語でした。こんな基本とも言える事を間違えるなんて、いちSDガンダムファンとして心底自分が情けないです(泣)。ちゅうか、これだけ放置してても誰も気付かないなんてそんなにマイナーなジャンルだというのかっ!(世のSDガンダムファンへの心の叫び(笑))

>ときめきメモリアルが92年
 たまたま野良犬の塒さんの[初心者のための現代ギャルゲー・エロゲー講座]を読んでいたところ、「ときメモ」の項に「初出94年」って書いてあったので調べてみたんですが正しいのは「94年」の方なようです。これは完全に、無確認に引用してしまった私のミスです。すいませんでした。
 ちなみに、92年に発売されたのは「ときメモ」ではなく18禁PCゲーム「同級生」で、「ときメモ」の登場時期は上述の通りPCエンジン版が1994年05月27日に発売され、ブームが絶頂を迎えるPS版の発売が1995年10月13日だそうで。なので、時期的には「エヴァ」とほぼ同時という事になりますね。

 手短に済ませようと思っていたのですが、なんだかんだでこんな長さに(汗)。まあ今回はこんな所で。お騒がせして大変申し訳ありませんでした。ではでは。


私も訂正
投稿者: 秋水  投稿日: 3月11日(金)23時48分14秒

私自身がいまここで書いてきたことも、ある意味一面的で抜けている視点があるかもしれず絶対ではありえないことは一応断っておきます。場合によっては誤認があることも。
それをあえて書くことは、どこかから突っ込みが入ることは、覚悟しなければならないことで、だからこそ突っ込みを受けたからといって簡単に自分の考えを捨ててしまうのも勿体無いと思います。自分の考えが、ずれていたら新しい情報をもとに修正を試みればいいわけで、多少はずれれてても「ああ、そういう見方もできるのか」という別の視点を与えてくれますから。
こうやって意見を言い合わなければ、結局のところ歴史やらなにやらの共通認識なんて持ち様がないんですから。
ちなみに私はSDガンダム関係はまったく疎くて、倉井さんSD関係の話はかなり興味深かったです。
SDのネタが切れたからVガンが作られたのでは?なんて視点は、私からは絶対に出てきませんから。

>パロディ的なものがある面においてオリジナルよりもてはやされた時期があったんじゃないのか、
(中略)
>例えばあかほりさとるさん辺りは本当に「無自覚」だったのでしょうか?
>私にはどうもそうは思えないのですが。


ということでこれに関してなんですが、私もちょっと考えが足りませんでした。
確かに、あかほりさとるは「無自覚」ではなかったですね。
あの時期をもう一度良く考えてみると、マクロスあたりを境にオタク第一世代が現場に入り始め、遊びとして作品にパロディを仕込むというのが普通におこり、それを見たオタクがまた喜ぶという共犯関係があり、アニメが同人パロディの方に近づいた時期で、それがある種作品にパワーを与えていたと思います。あかほり関連ですと「キャッ党忍伝てやんでえ」「ラムネ&40」なんかがそうですね。そう考えると「無自覚」というより「無邪気」と言ったほうが適切かもしれません。
無邪気なパロディの乱発によるオリジナリティの欠如といったところでしょうか。


戦隊とライダーの影響でアニメ離れが著しいです(汗)<最近の私  
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月12日(土)18時29分48秒

 このところ本題から離れた事ばかり書いてる気がしますが、次辺りからは軌道修正して本題に戻りたいと思います(汗)。それと前回の書き込みは自戒の意味も込めて書いたものなので、あまりお気になさらずに。

>それをあえて書くことは、どこかから突っ込みが入ることは、覚悟しなければならないことで、
>だからこそ突っ込みを受けたからといって簡単に自分の考えを捨ててしまうのも勿体無いと思います。


 ええと、私の書き方が悪かったんだと思いますが、私が撤回したのはあくまで「発言」であり、ひいては「今現在この時点で議論をする事」ですので、基本的に考え方は留保したままでいるつもりです。だから前回の書き込みでも秋水さんの意見を考えなしに全肯定するような書き方はしなかったつもりなのです。
が、上手く伝わらなかったようで。それ(全肯定)をしてしまうとここまで付き合って頂いている秋水さんに逆に失礼に当たると思って気を付けたつもりだったのですが、まだまだ配慮が足りませんでした。

 実際には「今まで私が『バランスの悪いフルコース』だと思っていたものは実は『食べ放題バイキング』だったのでは?」とか、「オタクカーストの尺度が『検索能力=知識力』から『情報の取捨選択能力=消費力、妄想力』へとどっかの時点でシフトしたのではないだろうか?」等々、懲りずに色々考え続けてますので、どうかご心配なく(笑)。

>ちなみに私はSDガンダム関係はまったく疎くて、倉井さんSD関係の話はかなり興味深かったです。
>SDのネタが切れたからVガンが作られたのでは?なんて視点は、私からは絶対に出てきませんから。


 まあ数本のビデオと劇場版しかアニメが作られませんでしたからね。
それとVの件をもう少し補足すると、当時SDガンダムというのは実はバンダイの各事業部ごとに独自のシリーズを持っていて、例えば戦国時代をモチーフにした「SD戦国伝」や、中世ファンタジー世界をモチーフとした「SDガンダム外伝」、ゾイドとトランスフォーマーを足して二で割ったようなミリタリーモチーフの「SDコマンド戦記」など、複数のシリーズが同時並行的に展開されていて、更にそれぞれのシリーズ間でネタが被らないようにネタ元のMSを半ば奪い合うように消費した事が、加速度的にネタ不足が推し進めた、という事情もあったり。
 更に言うと、V以降のガンダムは別の一面においてSD世代の本家ガンダムへの取り込みを狙ったものでもあって、その事もあって(特にG以降)急激にSDのエッセンスを吸収していったので、その事で本家との差別化が難しくなっていった辺りにSD衰退の一因があるんじゃないかとか、実は主人公がシ○ッ○ーでラスボスが○サ○ト○スターなシリーズがあった(核爆)事とか、語り始めると止まらなくなってしまうのでこの辺で止めときます(笑)。

>無邪気なパロディの乱発によるオリジナリティの欠如といったところでしょうか。

 なるほど「無邪気」ですか。確かにそういう捉え方もあるのかもしれませんね。私はあかほりさんは秋元康さん辺りと同じで「戦略的」にそういう事をやっているものだと思っていて、例えば「ラムネ&40」は私の中では「仮面ノリダー」とかとほぼ同じ扱い(爆)だったりするので、そういう発想は出てこなかったです。

 ここから残りのレスにも言及しだすとまたまた長くなってしまうので今回はこの辺で。レスを先送りし
続けていてごめんなさい。ではでは。


あかほりブランド
投稿者: 秋水  投稿日: 3月13日(日)02時41分12秒

>あかほりさんは秋元康さん辺りと同じで「戦略的」にそういう事をやっているものだと思っていて、

実際に戦略的だったかどうかは細かい検証が必要だとおもうのですが・・・

えーと、一応これは言っておかないとフェアじゃないんで言っておきますが、私は「NG騎士ラムネ&40」の大ファンで、氏に裏切られたと思っている当事者であり、「アンチあかほり派」だったんですよ。
なので氏に関する件はどんなに客観的に評価しようとしても、私怨が入るので私が言ってることはバイアスがかかっていると思ってくれてけっこうです。
事実上、ラムネ以降90年代の一時期、オタク系の小説・コミック・アニメは、「あかほりブランド」が席巻していたので、その実績は無視できない事だと思います。
ただそこに関する評価・検証は、私の出る幕ではないので、べつのどなたかにおまかせしたいです。


虚像に振り回された男。
投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月13日(日)18時55分38秒

 えー言うまでも無いかもしれませんが、私も「ラムネ&40」は好きですので。一応(笑)。

>実際に戦略的だったかどうかは細かい検証が必要だとおもうのですが・・・
 あー、単に感想を述べただけなんで「検証」と言われてしまうと困ってしまいます(汗)。まあ確かに「戦略的」という表現はあまり的確ではなかったかもしれません。ただ、私は当時の彼の一連の作品や公の場での彼の言動に、人為的・作為的とでも言ったら良いのか、そういうような印象をもっている(今は知らん(爆))という事が言いたかったのです。
ま、別にあかほりさとるという人を再定義する事が目的だった訳ではないですし、深入りしない方が良さそうなので(笑)、この話はここまでと言う事に。

 といいつつ余談ですけど、あの時期をオタク史的に空白と言うか「黒歴史」にしたがる人が多い理由の一つに、彼の存在があったのかも、と今回の反応を見てちょっと思ったり。

 以下、かなり今更ですが、今まで書き漏らしていたレスを。その前にちょっと訂正。
>ときめきメモリアルは94年
 今読み返してみたら、秋水さんは「94年」と書いていて、私もレスで「94年」と書いているのだけど、そ
の中身が「92年」の事になってますね(汗)。確認ミスと言うより、単なる勘違いでした(汗)。すいません。


>まんりきさんへ
>むしろそういう誤認識を広めた存在というのは、エヴァブームでオタク外から参入してきたポストモダン系
>サブカル方面の人たちではないかと私は考えています。


 ああそういう側面は思い至らなかったと言うか忘れてましたね。当時しつこい位に発売された「解説本」や雑誌等々のメディアでの取り上げ方がオタクにどんな影響をもたらしたのか、またはもたらさなかったのか、というのは中々面白いテーマだと思います。とはいえ私は専門外なんで殆ど言及出来ないと思いますが(汗)。

>エヴァ以前庵野監督がセーラームーンやVガンダムに熱中し、その影響下で作品を作っていたことは、彼らによって黒歴史とされてしまいました。

 秋水さんも言及されてますが、この辺は必ずしもサブカルな人達だけの所為ではなかったのではと思います。
そもそも作品自体に当時のアニメ全体(一部除く)に対する「反抗」という側面があると思うので、個人的にはそれがエスカレートしていった事で全てもろとも「辺り一面焼け野原」にしてしまったのがある意味一番の原因だと感じていますが。まあ周りに居た人間がそれに対応できなくて右往左往した事もまた確かだとは思いますけどね。

>そういったさまざまな混乱が、90年代半ばのオタクアニメ史を分かりにくいものにし、そこに各世代や立場から見た「オレ歴史」が並立する状況となったのだと思います。
>「エヴァ」は、オタク界の共通言語を奪ったバベルの塔だったのかも知れません。
[これに対する秋水さんのレスより]
>はっきり言ってしまえば知識派ではなく消費型のオタクがかなりの幅を利かせていたという状況もあり、しかし、知識が決定的に不足しているが故に、かえって、視聴者としてはあまりにウブで、むしろエヴァを真摯に真面目すぎるくらいに「物語」として見て熱中していた層もまたたくさんいたはずなんです。
>いま風な表現をつかえば「中の人」の存在なんて考えもせず、キャラや物語を楽しんでいたのに最終回で、いきなり「中の人」が出てきてお前等現実に帰れとか言われて勝手に自爆されれば、そりゃ視聴者はぽかーんですよ。中の人を憎悪しますって。


 あの頃はちょうど、既に書いた「子供向けへの回帰」によって取り込んでいた若年層(つまり私の世代)がオタクへの第一歩を踏み出した時期(私は当時中学生でした)だった訳で、その頃に刷り込まれたのが「エヴァ」と「ギャルゲー」だったというのは、ある意味今の状況を象徴している気もする訳ですが、私個人の体験で言えば、同時期に声優ブームもあったし、監督とかのメディア露出もそれなりにあったので、「中の人」を意識していないという事はなかったと思います。映画見に行った時もパンフレットのスタッフインタビュー読んでふむふむと思ってましたし。
まあ私の場合あまり普通とは言い難い道のりを経て今に至っているので、必ずしも私の体験が同世代のオタクの平均とは言えない気もしますが。
 あと知識が不足しているのは、(少なくとも私の世代では)「萌え」の影響と単に若かったからという二つの理由があると思うんでその辺の事情は多少複雑と言えるのかも。
 結局の所、あの時期を前後して様々な理由で色んな人(含む出戻り組)が流入してきて、でも意見の統一が図れなくてまたみんなバラバラになってしまった、というのが実際の所なんじゃないかなぁと思ったり。
ただその過程の中で、元居た所に戻らずに新しい場所へと移動した人たちが結構居た為に周辺地図が塗り変えられた、と言ったような影響はあったのかもしれませんが。


>「AIR」劇場版を巡る世代の断絶なんかも興味深いですけどね。僕は出崎世代なんで、テレビ版も面白いけど劇場版も「是」なんですが、けっこう個人的に親しいような若いオタクとかに聞いてもあれは全然受け入れられないみたいですね。そういうの面白いです。
[また秋水さんのレスより]
>私は見れないんですが、色々流れてくる話を聞いてると面白いですね。機会があれば見たいと思ってます。
>私は、エロゲ方面はToHeartくらいまではついていけたんですがKanonの人気が理解できなくて、それ以降はあまり関わらないようにしていたので、Airを支持している層の価値観はもうさっぱりです。


 私はTV版は見ている(ただしCATVの都合で来週から見れません(泣))ものの、劇場版を見ていないので何とも言い難い所なのですが、ネットでの評判を見ていると、どうやら「フランダースの犬」の実写映画のアメリカ版エンディング(ネロが生き返る)並に本質に関わる改変がなされているようなので原作ファンが違和感を拭えないのは致し方ない事かなぁと感じました。
 ところで、 秋水さんがKanonの人気が理解出来なかったのって、ヒロインが死んだり、変な口癖があったり
する辺りなんでしょうか。それとも全体に漂う箱庭感みたいなものなのかな。いやちょっと興味が沸いたので。

 ちょっと長くなりましたが引用部分が結構多いのでこんなもんですかね。ではでは。


確かに黒歴史かも
投稿者: 秋水  投稿日: 3月14日(月)00時05分53秒

>あの時期をオタク史的に空白と言うか「黒歴史」にしたがる人が多い理由の一つに、彼の存在があったのかも、と今回の反応を見てちょっと思ったり。

その可能性はゼロではないと思います。
当時の彼の作品のファンが現在それをどうおもっているか当事者に聞いてみないとなんともいえませんが、人によっては、「古傷」「若気の至り」として抹消したい過去になっていて口を閉ざしてしまっているのかも。






ということで終了
「パロディ」と「あかほりさとる」については、90年代を考える為には、もう少し深い論考が必要かなとも思うんですが、一時期、私も「あかほりさとる」の存在は無視してたので、あかほり全盛期の状況にあまり詳しくなかったりするので、ひとまず置いときます。
もうひとつ付け加えると、同時期はまさに声優ブームの時期で、本来はその線からの考察も必要かと思うんですが、これも自分は不得手な分野なんで、そこまで言及しませんでした。

機会があればまたこういったネタの話は続けていきたいところです。


参考年表
放映開始月/TVシリーズタイトル OVAタイトル
1985 03 Zガンダム
03 タッチ
04 超獣機神ダンクーガ
07 マジカルエミ
07 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー
10 レイズナー
10 忍者戦士 飛影
メガゾーン23
1986 02 ドラゴンボール
03 ガンダムZZ
03 めぞん一刻
07 マシンロボ クロノスの大逆襲
10 聖闘士星矢
ガルフォース
1987 02 ドラグナー
06 マシンロボ ぶっちぎりバトルハッカーズ
10 ミスター味っ子
バブルガムクライシス
プロジェクトA子
ダンガイオー
1988 04 超音戦士ボーグマン
04 魔神英雄伝ワタル
04 鎧伝サムライトルーパー
機動警察パトレイバー
機動戦士SDガンダム
トップをねらえ!
冥王計画ゼオライマー
1989 04 アイドル伝説えり子
04 らんま1/2
04 天空戦記シュラト
04 魔動王グランゾート
04 ドラゴンボールZ
09 機動警察パトレイバー
ガンダム0080
1990 02 勇者エクスカイザー
02 キャッ党忍伝てやんでぇ
03 魔神英雄伝ワタル2
04 アイドル天使ようこそようこ
04 NG騎士ラムネ&40
04 ふしぎの海のナディア
SDガンダム外伝
1991 01 きんぎょ注意報!
02 太陽の勇者エクスカイザー
03 サイバーフォーミュラ
04 絶対無敵ライジンオー
10 ミンキーモモ(新)
ガンダム0083
1992 01 ママは小学四年生
02 伝説の勇者ダガーン
02 テッカマンブレード
03 セーラームーン
04 元気爆発ガンバルガー
08 ヤダモン
10 姫ちゃんのリボン
ジャイアントロボ
天地無用!魎皇鬼第一期
1993 01 勇者特急マイトガイン
03 熱血最強ゴウザウラー
03 セーラームーンR
04 Vガンダム
04 アイアンリーガー
04 恐竜惑星
ああっ女神様
1994 01 赤ずきんチャチャ
02 勇者警察ジェイデッカー
03 ママレードボーイ
03 セーラームーンS
04 覇王大系リューナイト
04 ヤマトタケル
04 Gガンダム
10 マクロス7
10 魔法騎士レイアース
マクロスプラス
天地無用!魎皇鬼第二期
1995 02 黄金勇者ゴルドラン
03 セーラームーンSS
04 転地無用!
04 ガルキーバ
04 ウエディングピーチ
04 スレイヤーズ
04 ガンダムW
07 ナースエンジェルりりかSOS
10 エヴァンゲリオン
10 爆れつハンター
10 神秘の世界エルハザード

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