第五回 2001.3.21up 2001.4.5改訂
言うまでもないことかもしれないが、「おジャ魔女どれみ」は近年もっとも正しいアニメである。いまさらではあるが、そのことを、今一度確認しておきたい。
おジャ魔女どれみは、企画的に正しい。 「どれみ」は、「女児向け玩具宣伝番組」であることが前提である。その為に企画として所謂「魔法少女もの」は、アニメ制作会社、玩具会社双方にとって、過去の経験と実績があり、かつ視聴者になじみもあり、リスクが少ない。と同時にアニメの歴史からいっても、アニメファン、オタクにとっても思い入れの深いジャンルであり、彼らを消費者に取り込める可能性を秘めている。「どれみ」はそのことを承知の上で、ある種確信犯的に設定やデザインを作りこまれている。しかし、だからといってオタクにべったり擦り寄って、媚びを売るようなまねはせず、あくまで「少女向け」の内容を貫いている。この選択が、視聴者と消費者の間口を広げる上で、真にもって正しい。
「おジャ魔女」どれみはスタッフ的に正しい 「どれみ」の第一期、の監督佐藤順一は、大ヒットシリーズ作品「セーラームーン」の第一期を手がけ、「夢のクレヨン王国」他、少女向け作品で大きな実績を残してきた監督であり、信頼性の最も高い監督である。その監督が作品の立ち上げに関わったという時点で、作品の質は、ほぼ保証されていた。共同監督にして現在一人でディレクターを務める五十嵐卓哉も、佐藤順一のもとで仕事を続け、実力をもっており、作品を安定させている。そのもとで、キャラデザイン・作画監督の馬越嘉彦、をはじめ、脚本の栗山緑、影山由美、吉田玲子など、長期化するシリーズの中、各話で見せる切れ味のよさは、まさにライトスタッフの仕事といって良いだろう。
「おジャ魔女どれみ」のオープニングは正しい どこの馬の骨とも知れない有名ミュージシャンなんぞを、起用せず、作品の内容とイメージに沿った歌を作り、使用することはアニメソングとして絶対的に正しい。
「おジャ魔女どれみ」は泣ける!よって正しい 「どれみ」には、涙腺にぐっとくる、名サブタイトルが何本かある。そして何より「無印」「♯」各シリーズのラストは、泣ける!アニメの最終回はやはり泣けなければ、ダメだ。視聴者である子供の心に、感動を刻みつけ記憶に残らない作品は、すぐに消費され、忘れられ去られるだけである。そういう意味で「どれみ」は確実に子供の心に残るはずである。
「おジャ魔女どれみ」は市場的に正しい 「どれみ」は少女向け作品であることが、前提であることは先に述べたが、男子児童が見ないとは限らない。その子供は、きっと変身シーンに心トキメかせているに違いない。魔法少女の変身シーンは、アニメが到達した視覚快楽の極致であり、それを子供のころに刻み込まれれば、オトナになってもパブロフの犬的にその快楽に支配される。「魔法少女アニメに、心トキメかせ、感動して泣いてしまった男の子」の行き着く先は、オタクしかない。つまり将来のオタク産業の消費者を生産しているのである。「どれみ」には市場の確保という「義」があるのだ。
以上、簡単ではあるが、ここに「おジャ魔女どれみ」の「正しさ」と「義」が証明されたわけである。よってここに高らかに宣言しよう!
おジャ魔女どれみは「正義」である!
と
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