「リスキー☆セフティ」再評価のために
〜または私は如何にして「リスキー☆セフティ」を愛するようになったか〜



えー、「客観的にリスキー☆セフティという作品を再評価してみよう」という試みで、総評の文章を書こうと苦闘してみましたが、
無理でした。
だって、自分がこの作品を評価している理由って、単純にこの作品が好きだからで、そこに客観視点なんてないんだもの。
ということで、無理なことは諦めて、主観を元にどうしてこの作品が好きなのかをだらだらと書くことにします。



自分が「リスキー☆セフティ」という作品を好きな理由はおおまかにあげると以下の三点にまとめられるのではないかと思います。

・地味な桂木萌に激しく萌えてしまったこと
・そしてその「萌え」は舛成演出によるキャラ描写によるものだということ
・オタク向けでありながら少女趣味的な作品だったということ

自分で自分のキャラの好みや趣味がニッチでどうしようもないという自覚があるんですが、そのニッチなニーズにすっぽりはまるキャラというのは、本当に珍しい。それは、まあそれこそ個人の好みの問題なので、どうでもいいことなのですが、同時に衝撃的だったのは、美少女アニメ的な絵のキャラ(といっても眼鏡で性的エロさは乏しいけど)を、名作劇場でもなければやらないような演出技法を凝らして描いているということ。
美少女や萌えも嫌いじゃないし、名作劇場的な丹念な日常芝居や心情描写も好きだった自分にとってこのハイブリッドは、まさに自分が求めていたアニメそのもの!という感じでした。
そんなこんなで、「ああ、これは俺の為にある作品なんだよ!」と勝手に思い込んでしまった作品だったりするわけです。

で「オタク向けでありながら少女趣味的な作品だったということ」なんですが、これには少し解説が必要なので、少し詳しく書きます。
「リスキー☆セフティ」が基本的にオタク向けの作品であるという根拠は、その原作の出自が「電撃コミックガオ」というメディアワークスのマニア向け少年誌であるということに依拠するのですが、ここで今一度、この作品の構造を解体してみると、そこにあるのは、「異世界の住人と普通の女の子が出会い同居する」という日常ファンタジーであり、それは少女向け作品の定番設定であることがわかります。(類例する作品として、「とんがり帽子のメモル」「ちっちゃな雪使いシュガー」「わがまま妖精ミルモでポン!」など。)
つまり「リスキー☆セフティ」は少女向けの皮をかぶったオタ向け作品だったということなのです。
少女向け作品のなかには、女の子の日常描写が重視され、それが丁寧に描かれたものがいくつかあげられます。いわずもがなですが近年では、「カードキャプターさくら」や「コメットさん☆」といった作品がいい例でしょう。
「リスキー☆セフティ」が実は少女向けの構造を持っているという前提に立てば、その演出が、日常描写・芝居重視であることの意味が違った側面から見えてくるのではないでしょうか。
要するに「リスキー☆セフティ」は少女向けの皮をかぶったオタ向け作品で、一部のアニオタが喜ぶ日常描写に凝った少女向けアニメの演出を徹底してみた作品だったのです。
(かなり力説していますが、実際にそれが行われているのは、最初の数話と桂木萌中心のエピソードの一部に限ります。全力でそういう作品というわけではありません。自分にとって「リスキー☆セフティ」=「桂木萌」ですから、あしからず。)

「カードキャプターさくら」や「コメットさん☆」のように、より自然な女の子の女の子らしさを描写する為に日常芝居が重視された少女向け作品は、一部男性オタクから熱烈に支持されているという現実があり、それは決して古くも新しくもないことのはずなのですが、これがいわゆる「美少女アニメ」とか「萌えアニメ」とか分類される作品群の中では何故だか理解されていないらしく、日常描写やらなにやらは、二の次、三の次に置かれてしまうという現状があります。
大抵の美少女系に属する作品というのが、女の子の裸やパンチラでリビドーを刺激することにばかり心奪われ、「エロさ」を描くことには熱心だけれど、心情描写や日常芝居で自然な女の子の「女の子らしさ」や「かわいさ」を丹念に描いた作品というのは滅多に見ることが出来ません。(何を「女の子らしい」とか「かわいい」とか感じるかはそれこそ主観かもしれませんが)
それは正統な少女向けの魔法少女や変身ヒロインモノとオタク向けのそれを比較してみれば、わかるのではないかと思います。(まあ、性的なものに重点が置かれるからこそオタク向けだというのも確かなんですが、それはそれで需要があるでしょうから存在を否定はしませんです、ええ)
あんまりにも露骨にエロさを売りにしたラブコメ・ハーレム系作品に萎えてしまう自分にとって、男性オタ向けでも、もっと少女漫画的、少女趣味的で性的な武器に頼らない、日常描写に優れた作品があってもいいんではないのだろうか、そういうアニメが見たいという私個人のくすぶった欲求に答えてくれた作品が、「リスキー☆セフティ」だったというわけなのです。
私が「リスキー☆セフティ」にこだわるのは、こういう作品がもっとあっていいんじゃないのか、いやむしろ俺が見たいんだ!という思いが強い為でもあります。
(現状で、いわゆる「まったり系美少女モノ」として増加傾向ではありますが。)


でもって、舛成孝二です。
監督に対する個人的な思い入れは昔一度書いているので割愛しますが、「リスキー☆セフティ」という作品は舛成孝二を「再発見」したという意味でも、個人的に縁の深い作品だったりします。

「舛成孝二」という監督は、あかほりさとる、梶島正樹、黒田洋介そして現在の倉田英之とそのほとんどが、オタクジャンルのなかでは名の売れた原作・脚本家と組んでの仕事が多かったにも関わらず、実のところ「R.O.D-THE TV-」までヒットらしいヒットのなかった監督でもあり、舛成監督自身は、あまり注目されてこなかったためなんじゃないかと思います。
それには、作品の企画内容やタイミングが悪くヒットしたことがなかったというのもおおいにありますが、庵野秀明、幾原邦彦、大地丙太郎といった演出自体に個性があり作家的な側面もある監督達と比べても、舛成監督の演出スタイルは職人的であり演出そのものが売りになるような個性があるわけでもなく、作家性は組んでいる脚本家に預けられる部分が多いため、監督個人として論じられるようなタイプではなかったからでしょう。
しかし、それだけ売れ線の脚本家と組んで仕事してきたのに、それがことごとく地味でマイナーだったというのは、それは、それで舛成監督の地味なマイナー性を反映してきたがためで、それが個性であるといえるかもしれません。
(えっと自分にとって地味とかマイナーはほめことばですから、念のため)
また、舛成監督の演出的な個性は作品をひとつふたつ見ただけでは非常につかみづらいところがあります。
しかし、過去から現在の作品を見ていけば、その演出には彼独特のこだわりとスタンスがあり、試行錯誤しながら発展してきていることがわかります。
キャラの小芝居とだらっとした会話の面白さ、画面に配置される小道具へのこだわり、それらによって醸し出されるキャラの立ち居振舞い、「らしさ」を生み出すキャラ演出。
オタク向けジャンルの作品をメインに作りながら、その演出スタイルは、名作劇場や少女向け作品のそれに通底し、単純な属性や記号の羅列、性的なアピールだけに頼らない「萌えるキャラ造詣」の出来る演出家、それが「舛成孝二」なのです。
「リスキー☆セフティ」という作品は、舛成監督作品がその手法を確立させた作品としても見ることが出来ます。
他の舛成作品をもし見たことがあり、舛成監督ってどんな作品を作る監督なんだろうと興味を持った方は、まずこの「リスキー☆セフティ」をご覧になることを私は、オススメします。




結局自己満足の長文を書いただけになってしまった様な気もしますが、数多くの作品が毎年製作される中で、埋もれていく作品もまた数多くそのほとんどが忘れ去られていくかもしれないという現状に対し、これを機に「リスキー☆セフティ」が今一度、見直され、記憶に留められる一助になれば、と思っています。
また「リスキー☆セフティ」が再評価されていく為にも舛成孝二監督には今後更なる活躍をされることを期待いたしております。

(記2005.05.02)


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