全能の神のパラドックス

目次へ次へ


「全能の神は、自分が持ち上げることができないほど重い岩を作れるか」

「全能の神が持ち上げることが出来ない岩」に矛盾がありそうです。
「神は真っ黒な白い板を作れるか」と同じ質問だと思います。作れるのでしょうか?

「何でも突き通す矛で、何にも突き通されない盾を突いたらどうなるか」 もこれらと同じ相容れない表現を含んでいると考えられます。

似たパラドックスに「全能の神は自分を無能にすることが出来るか」というのがあります。 無能になった神が後で気が変わったら元に戻れるか、というのです。元に戻れないのなら本来全能の神ではなかったのでは?

しかし、全能の神は全能なのですから、自分を無能にしてしまい、二度と戻れなくしてしまうことも可能のはずでしょう。 無能になった元神はもう全能ではなくなってしまっても、それは最初の全能であった神とは矛盾しないでしょう。

これは、天地創造を行なった「神」についても言えるでしょう。ビッグバンを始点とする現在の宇宙は、 全ての物理定数、初期条件が正にこの宇宙の存在を可能にするような微妙な設定になっていますが、 誰がどうしてそのような調整を行なったのかは謎のままです。

これを偉大なる神の仕業、と考えてもいいでしょう。しかし、その偉大な創生を行なった後、神は一切手をひいてしまい、 後は自然の法則にまかせっきりのようです。恰も全能の神は宇宙創生と共に自分を消滅させてしまったかのように・・・

追記
「全能の神が持ち上げることが出来ない岩」と「真っ黒な白い板」は同じでない、という指摘を受けました。 前者には自己矛盾があるが、後者は定義の問題であり矛盾はなくすることが出来るというのです。

確かに前者の方が文意は明確であり、後者は黒、白という認識は定義によって意味が変わるでしょうから、 真っ黒な白い板があり得ないとは言えないのかもしれません。
「真っ黒」を外部からの光を全て吸収する物体と定義し、「白」はその物体自身が発する光とすれば、この定義は成立します。 ホーキング輻射により蒸発するブラックホールは一例でしょう。


目次へ次へ