眼は、偶然には出来ない?

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偶然の変異と自然選択だけでは進化は説明できない、と推論しました。複雑な生体構造、例えば「眼」は偶然に出来るはずがないとして、進化論に反対する方があります。(注)

仮に、眼の構造が完成するのに1000ステップの変異が必要だとし、もしそれがランダムに起っていたら、 コインを1000回投げて全部表が出る確率より低く、完成確率は10の300乗分の1以下で、突然変異をいかに迅速に繰り返していても、実現はほぼ不可能であり、従って眼が進化によって出来るはずがないというのです。これは一段階進化と累積進化を混同した誤りでしょう。

ランダムにコインを積み上げて全部表が上に揃う確率は非常に小さいでしょう。しかし、コインにマジックテープような接合構造があり、表と裏だけが接合し、裏返しに積み重なったコインは滑り落ちるとすれば、次のコインが表が上に重なるまで待っていればよく、裏が出るたびに全部崩して最初からやり直す必要はないでしょう。

裏と表が接した場合だけ積み重なるコインなら、1000枚が全部表を上にして積み重なるまでのランダムな積み上げ回数は、約1500回で十分でしょう。マグネット碁石で示したように、この接合機構のようなものが雪の結晶を作る特性であり、自己複製構造が生まれた特性だと考えることが出来ます。

進化とは、ランダムな変異の繰り返しではなく、積み重ねから生じます。次のステップで進化に失敗する変異があったとしても、また最初からやり直す必要はなく、淘汰で有利な次の僅かな変異が出るまで待っていればいいでしょう。一定方向を選択する、十分な淘汰圧力があれば、眼のような超複雑な構造が進化してゆくことも可能だと思います。


では、その十分な淘汰の圧力とは何でしょう? 眼が次第に巧妙な機能を持つよう変異を選別しているのはどんな特性で、それを決めて実行しているのは誰?

淘汰による自然選択は大きな役割を果たしていますが、それだけでは不十分でしょう。
繰り返しになりますが、そこに神の導きがあったとするインテリジェントデザインの考えは、思考の切捨てです。神のご意思は研究すべきではない、という前法王のお考えも理解できますが、子狐としては「神の導き」とはどんなロジックだったのかを考えてゆきたいです。


(注)ダーウィンも種の起源で「あれほど比類のない仕組みを備えた眼が自然淘汰だけで形成されたと考えるのは、正直なところあまりに無理があるように思われる」と言っています。

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