複雑化傾向?

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生物が自然に複雑化してゆく傾向を持っているのだとしたら、バクテリアなどの単純な生物も、次第に複雑になってゆくはずでしょう。

現在でも膨大な数のバクテリアが存在している理由は、バクテリアには複雑化しないものがいるのか、又は進化してゆくバクテリアの後に常に単純なバクテリアが生まれ続けているか、のいずれかでしょう。後者は別の生命誕生の問題を生じます。

別の観点として、生物が自然に複雑化してゆくのであれば、同じ生物でも長い歴史の中で次第に複雑化してゆく傾向が見られるはずです。脊椎動物の背骨の複雑さ、アンモナイトの殻のフラクタル次元などで複雑さを数値化してみると、全体が複雑化へ向かう傾向は見られないという報告があります。

アンモナイトの殻の複雑さと、生存上の有利さと思われる生存期間や繁栄の度合にも相関が見られないそうで、複雑だから有利だということも、生物が全体として次第に複雑さを増す傾向があるということも言えない、とグールドは主張します。


では、超複雑な構造を持っている眼や脳のような生物の構造は、偶然の変異の積み重ねから生じた複雑さのバラツキの裾野として説明出来るのでしょうか? ダーウィンは感覚的にそれは無理だと思っていました。


複雑で美しい雪の結晶は、偶然の変異の繰り返しを経ず、生存上有利でも不利でもなくても生じます。 上左の銀河の構造は偶然の結果ではないでしょう。 上右は初期の計算機の一部ですが、これも偶然には出来ないでしょう。 生物の眼や脳も、ランダムな変異の積み重ねだけでは、いかに40億年をかけても出来ないのではないか、と僕もダーウィンの感覚に同意します。

以前の検討で、生命の誕生は偶然ではなく、自己組織化による必然の結果ではないか、と推論しました。生物の進化も、グールドの主張する偶然性だけではなく、何かの基本要因、特性があった、という推論の再確認です。

繰り返しですが、その要因は「自然選択」だけでは不十分でしょう。では何か、ということを、更に文献から考えてゆこうと思います。


何か、何か、と堂々巡りをしているようで、 なかなか本質に迫れないのですが、まだそれを明確に説明した文献に巡り会いません。

「ダーウィンとヒラメの眼」という本で、進化論だけでは生物の複雑さを説明できない、という書き出しに期待したのですが、 結論は「生体高分子系に考える力がある」ということになってしまい、がっかりしました。それでは何も説明になってないでしょう?  その「考える力」とは何かということ、自己組織化の仕組みはどんな原理なのかを研究されている方々もあるのに・・・

上左は砂時計銀河(NASA)、右は日本初の電子計算機(国立科学博物館)

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