色々な進化論

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生物の進化の中には、「起こり易い谷」のような現象があり、それが種の安定を支配している、という考え方は、かなり広く採り入れられているようです。

その「起こり易さ」、すなはち進化を導いたルールとは何かについては、種々の理論が展開されています。私が読んだだけでも以下のものがあります。

 1 神の意思によって定められている(創造科学、キリスト教原理主義)
 2 有機物質は進化する意図を持っている(牧野) 失礼ながら少し飛躍し過ぎ?
 3 この世界の空間自体が持っている特性である(シェルドレイク)

 4 環境への適応による変化が遺伝する(ラマルク、ウォルフ他)
 5 ランダムな突然変異と自然淘汰により進化する(グールド、ドーキンス他)
 6 進化は自己組織化、複雑化の積み重ねで必然的に生ずる(カウフマン)

 7 変異の要因は淘汰だけではなく、中立なものが多い(木村他)
 8 淘汰による進化も一要因であるが、他に未知の要因がある。(ダーウィン他)

これらは歴史上の議論ではなく、それぞれ今でも信じている方が沢山あります。アメリカには創造科学を進化論と対等な「科学」として教えている学校があり、創造科学は宗教の教義だから学校で教えるべきではないという裁判も起こっています。

「進化論の不思議は、誰もがそれを理解したと思っていることだ」はハックスリーの言葉ですが、このような様々な主張を見てくると、専門の研究者の方々も含めて、本当は誰も理解していないのでしょうか。だからこそ今でも研究が続けられているのでしょう。

上記の理論は大別して生気論機械論に分けられるでしょう。生気論は、人間であれ何であれ、生物の働きには物理や化学の法則に従う機械的な仕組み以上の何かが必要だと考えます。
その何かを「神の意思」として棚上げしてしまうか、まだまだ解明が可能な未知のものであるとするかが、宗教と科学の分かれ目だと思います。

未知のもを既知のものから推論することも科学の方法の一つです。上記の有機体意思論や形態空間論も決して宗教ではなく、後日検証可能な科学の推論であるとしています。形態空間論は「立証された」とさえ主張しています。(注)

しかし、未知のものは未知として尊重し謙虚に向き合う姿勢も必要でしょう。カンブリア紀に突然生物が大量に発生した「カンブリア大爆発」について、御大グールドは全くの偶然であるとし「カンブリア紀の爆発が、その時に起こらねばならなかった理由は全くない」と言いますが、これは少し傲慢でしょう。「その時に起こらねばならなかった理由は全く判っていない」とすべきでしょう。


(注)実験用のマウスに迷路の通り方を学習させると、その能力は子供へ遺伝し、世代を重ねるにつれて学習速度が速くなる。学習速度の早さと子孫を残す能力は無関係になるように実験を設定した。
更に、遠く離れた土地で、全く学習をさせないで育てた別のマウスグループについても、世代を重ねるに従って学習速度が速くなることが確認された。抜取り試験したマウスからは子を残していない。これは学習の結果が「形態形成場」に影響を及ぼし、世界中のマウスに「行動の進化」が現れたからだ。

ルパート・シェルドレイク「ニューサイエンス、生命の形態形成場と行動の進化」: 科学雑誌「ネイチャー」で「現代の焚書候補ナンバーワン」と酷評され大きな反響を呼んだ本からですが、報告されているこの「実験結果」は、すぐには信じられない内容です。

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