ノアの箱舟が漂着したというアララト山(NASA)
これまでに何度か出てきた「創造科学」と「インテリジェントデザイン」を考えてみます。
創造科学は、聖書を厳密に信ずるキリスト教原理主義から発したもので、
聖書に記述されたことを全て科学的な事実として証明しようとします。
ノアの大洪水で5000mを超えるアララト山まで達した大量の水は、どこから来てどこへ行ったのか、
この世界が誕生してから6000年しか経ってないのに、何故恐竜の化石は古く見えるのか、等を 「科学的に」 立証しています。
しかし、立証の根拠とされている「事実」は、ほとんどが反証され否定されているのに、
創造科学者達はそれを信者には知らせずに布教宣伝を続けている、と批判されます。
宗教である限り信仰することは自由ですし、本来「信ずる」ことから始まる宗教に、
物理的立証は不要なものだと思うのですが、創造科学の信者さんは、
これを科学として学校で教えるべきだと主張する場合があり、論争を生んでいます。
ある科学理論が完全でないことは、その理論が間違っている証明にはならないでしょう。
進化論だけでは生物の進化が説明しきれないとしても、だから進化そのものが存在しないとか、
進化論が誤りであるということにはなりません。「ダーウィンは間違っている」の類の本はこれが主です。
ダーウィンは、突然変異と自然選択が進化の全てではない、と繰り返していました。
物理の大先生ファインマンが言うように、科学は常に不確かなのです。
だからといって宗教が完全なものであり、科学は宗教に従わねばならないということはないでしょう。
他方「利己的な遺伝子」のドーキンスは、宗教を軽視し、
その弊害を憂えています。確かに人類のトラブルは、イラク問題に限らず宗教に起因するものが多いようです。
しかし、広くモンゴルからアフリカまで、「信ずる」ということで人間に安心を与え、
社会のルールを教えてきた宗教の役割を、科学は取って代わることが出来たでしょうか。
僕は遠い将来には出来ると信じています。科学と哲学と宗教は一体となり、生命とは何か、
人間とは、心とは何かということを、より深く極めてゆけると思います。
それまでは、科学と哲学と宗教は互いに尊重し、協力してゆくべきだと思います。そのためには、
確立されつつある科学を否定する「創造科学」も進化してほしいです。
左は衛星写真で確認されたという箱舟の遺跡。(x.51orgからお許しを得て引用)
右はGoogle Earthで見たアララト山。拡大しても箱舟は見えません。
最新の創造科学では、神は全てを「6日間」で創造されたが、この1日は現在の1日とは異なるし、
神の「6000年」の1年も地上の時間で考えると数十万年になっていたと言います。
また神は全ての生物を一度に造られたのではなく、その後適切に進化するよう定められ、
様々な生物が分化してきた、とするようです。
但し、人間は最初から人間だったのです。
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