多様性と進化

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遺伝子の指示で様々なパターンを産むチョウの翅と、必ず三つに分かれるミツマタ

ドーキンスは「生物の変異は、その生物の胚の発生過程の変更で可能なものに限られており、完全にランダムに生ずるのではない」としています。これには反論の余地は少ないでしょう。

また同じ疑問です。「胚の発生過程で可能なもの」を決めているルールとは何なのでしょう? 音や光を使った観測装置、超音波や光の発射装置、毒物や化学反応による小爆発などを発達させた生物は、何故淘汰上は有利であるはずの強力な尾を持つチンパンジーや、機能的な馬ケンタウロスを進化させなかったのでしょう? 

ステルレルニーは「ドーキンスVS.グールド」で、一見存在可能に見えながら何故そのほとんどが実在したことがないのかついては、「未だにその答が出されていない」と言います。

進化の方向に従って制約がかかっている、というだけでは、進化は神の導きによるものだとするインテリジェントデザイン説と大差ないでしょう。カウフマンはこれを分子原子の持つ特性から必然的に生ずるものだとし、熱力学第四法則を持ち込もうとしているのでしょうか?


関村利朗他の「生物の形の多様性と進化」では、チョウの翅、樹木の枝、巻貝等の生物の多様な構造がどのように作り上げられてゆくかを、遺伝子レベル、分子レベルで解明する研究論文が紹介されています。ショーン・B・キャロルの「シマウマの縞、蝶の模様」では、遺伝子が生物の身体の複雑な構造を造り上げてゆく仕組みが詳細に説明されています。

これらの研究が進むことで、将来は雪の結晶と酸素水素の結合の関係のように、生物の構造と進化の原理は物質の基本特性へ還元されてゆくかもしれません。ダーウィンが予言したように、果てしない研究の分野が広がっているのだと思います。


ここまでお読みいただいて、どれかの理論を信じておられる方はご不満があるかもしれません。又は、なんだ、何も判っていないじゃないか、と失望されたかもしれません。しかし、生命の誕生と進化の神秘についてはまだ知り尽くされてはいない、ということは何か安心を与えてくれます。こちらでも紹介した「辿りつくことより希望を抱いて旅を続けている方が幸せなのだ」ということにも繋がるのでしょう。

「進化論のパラドックス」は、進化の仕組みはまだ完全に解明されていない、ということで一山越したような感じですが、 あてのない野狐禅、子ギツネの旅はまだ続きます。「辿りつくことより〜」の精神を活かし、 次も生命と自然の不思議を、順不同に考えますので、もう少しお付き合いをお願いいたします。

北海道の自然のページ、山と海の辺 から、ご好意により使わせていただきました。


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