擬態のパラドックス

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左はシャクトリムシ、右はバッタ

子供の頃、木の葉にそっくりのチョウの写真があって、だんだん木の葉に似るように進化した、と習ったような気がします。

ある日タテハチョウの先祖の仲間に、少し木の葉に似たチョウが生まれ、よく似たチョウほど食べられる機会が少なかったので、淘汰により次第に似るようになったのだそうです。

ということは、鳥は「木の葉に似ているけどあまり似てないチョウ」だけを選んで食べたことになるでしょう。 木の葉に全く似なかった他のタテハチョウは生き残り、木の葉に似始めたチョウだけが食べられた。つまり木の葉に似たことはタテハチョウにとって不利になったのでは?

結果としてチョウが全部木の葉に似るようになったのなら納得できますが、何故このチョウだけが「木の葉によほど似てないと食べられる」という、意地悪をされたのでしょうか?


木の葉に似始めたチョウは、たまたま他の仲間より逃げ足が遅く食べられやすい性質も持っていたので、その中でもより良く木の葉に似たチョウだけが生き残った? 似てないチョウは敏捷に逃げたので、多少似てるかどうかは関係なかった?

鳥に食べられないようにするためには、逃げるか、木の葉に似せてのんびりするかの二通りの道があり、これが種の分岐を生じたのかもしれません。このような分岐は、走って逃げるか武器を持って戦うか、針で武装するか鎧で武装するか、など様々な種の分岐を生んだハプニングのひとつなのでしょう。

この件、次へ続きます。

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