賢信の戦った日々

入院中のことを日記のようにしてつづっています。
この中のことはあくまでも私の記憶です。
かけられた言葉などはあやふやです。
相手はそんな意味で言ったのではないかもしれませんが、
私はそう感じたというのもあります
2003/08/18    最終宣告
17日の夜中から胸の辺りをマッサージするが昨日とは違い、逆に酸素の数字が悪くなる。
 朝、3週間持った血液検査をするためのAラインという管がとうとうはずれる。
 普通はもって2週間らしい。よく頑張った。新たにルートをもうけるため先生達が一生懸命している。通すのが動脈なので血が止まりにくい賢信は大丈夫だろうか 血管が細くなっている賢信に管が通るだろうか?ハラハラしながら見ていると通った!良かった。血もちゃんと止まったようだ。
 13時頃、先生がレントゲンの写真を持ってやってくる。
 3日前の写真。肺は白い。2日前ますます白い。そして、今日の写真。なんだ良くなっているのか?と思いつつ見ると、私が見ても白く、心臓が肥大しているのがわかる。
 肺は水が溜まり、長い間人工呼吸器をしていたため 肺自体が硬くなり、機能しなくなっている。
 肺に圧迫されて空気を一生懸命送りだそうとし、心臓が頑張りすぎて大きくなっている。
「会わせたい人に会わせて下さい。」体の力が抜ける。先生が出ていくと同時に 主人が「子供達を連れてくる」と家に帰りました。
 その後しばらくしてから先生が入ってくる。
 賢信の右手に座り、うつむいて座っている。宣告したときとは全く違う。何を話すわけでもなくしばらくうつむいて手を取っていてくれました。一緒に悲しんでくれることに感謝しました。
 その後、部長の先生と一緒に小児科の先生が全員やってきました。
 部長の先生は賢信を診察して、「よく頑張った」と挨拶をして帰っていきました。
 他の先生達は入り口付近に立ったまま 部長の先生と共に出ていきました。
何しに来た!賢信はみせもんじゃない!その時は悔しかったです。
 今にして思えば それも仕方ないだろう。こんな場面にどうしていいかわからない方が当たり前だと思う。今はそう思える。でも その時はやはりショックでした。主人がいなくて良かった。
 ただ一人の新生児担当の先生だけが、賢信の側に来て、じーっと賢信を見つめた後、私に会釈をして返っていきました。私は心の中で「ありがとうございます。」と思いながら涙が出てきました。せめて他の人も 賢信の側に来て欲しかった。
賢信 どうして?パパやお姉ちゃんと同じ日に産まれて、
しかもパパにいい名前をつけてもらって、
みんなに愛されているのにどうして?
賢信の鯉のぼりどうするの?
服は?沢山貰ったんだよ。
玩具も沢山貰ったよ。誰が遊ぶの?
どうするの?どうして・・・なんで・・・
 子供達がやってくる。賢信が大好きだった婆ちゃんもやってきた。
 長女は賢信に一生懸命本を読んであげていました。何冊も何冊も・・・
 シーツに血が付いている。人工呼吸をつけているので シーツを買えるのも大変なのだが、替えて貰いました。
 シーツ交換の時に賢信を抱っこさせてもらった。
 しかし、抱っこした喜びもつかの間、賢信は浮腫のせいでとても重く、ぶよぶよになった体は頭から肩に掛けて私の腕の形にへこんでしまったのです。へこんだまま戻らない。私は怖くなりました。
 その時に、「ああ、賢信はこんなにひどかったんだ。この子はこんな状態で生きている方が不思議だったんだ。よく今まで生きていた。賢信頑張ったなあ。もういいよ」そう思いました。
 治療も全て拒否したかったけれど、賢信を抱っこしていない主人にはあきらめがつきません。辞めて欲しかったけど、主人が納得しなければと思い続けて貰うことにしました。
 主人はあきらめません。先生にくいさがっています。「蛋白漏れるのさえとまれば まだなんとかなるんじゃないか、頭の腫れもひいてるのではないか」食い下がります。「脳の腫れも引いているように感じる」そう言っています。だけれども先生に「脳はかなりダメージを受けて脳細胞が壊れているからひいたように見えると思います」と言われました。
 その後 沢山友人が会いに来てくれました。私は話せない。
 黙って賢信の横に座っている人、賢信にさよならを告げていく人。みんな ありがとう さようなら。私は 涙も出ない。
ただ、ただ、「よく頑張った」その思いでした。
 頭の中で「ああ 明け方やろうなあ」とおもう。
 看護師さんが「みんなとまってもいいよ」と言ってくれたので子供達も泊まり込む。
 この日、泊まれたことは本当に良かったです。病院の対応に本当に感謝しています。家族全員でお別れが出来たことは大きな大きな意味を持ちました。
 興奮した子供達はなかなか寝ない。さすがに10時になると騒いでいたら他の病室に迷惑だ。添い寝をして寝かすのだが、ねない。狭いだの痛いだのと喧嘩している。
 早く賢信の所に行きたいのに寝てくれ!とイライラする。
 68あった脈拍が 子供達が寝た途端 一気に10下がる。「賢信聞いてたんや」とみんなで話す。
 誰も泣いていませんでした。不思議な感情でした。温かく見守っているという感じでした。
 私が子供達に添い寝している間、主人は賢信に添い寝していました。
 賢信の左手は 少し前から自由になっていました。
 主人が起きてから いつも私が握っていた 賢信の左手を見ると なんと浮腫んでぱんぱんになっていた賢信の手が もとの小さな手に戻っているではありませんか。
「パパ踏んだんちゃうか」みんなで笑いました。浮腫んでいて皮が伸びていたのかその手は皺だらけでしたが、唯一元に戻ったその小さな手は賢信からのメッセージのような気がしました。
なんだか嬉しくて、看護士さんにも「みて、ここだけ手が戻っている!」と言っていました。
 賢信がどのようにして亡くなるのかが怖かった私は「どうやって心臓は止まるのですか?」とききました。徐々に脈が亡くなっていく場合もあればいきなり止まることもあるという。いきなり止まるのだけは辞めて欲しい。それは怖かった。
 夜中先生に「最後ですけど、薬で心臓を動かすことが出来るのですが、どうしますか?人工マッサージは骨が折れる可能性があるので、出来るだけ綺麗な形にしてあげたいのですが」と聞かれました。私はもう良いと思ったのですが、主人が「1回だけ」と薬での延命を希望しました。
こればかりは 主人も納得しないと と思い 私は何も言いませんでした。
 数日前に主人が「俺はまた もういいです といわなアカンのか」そういった言葉が思い出します。
薬も 体の腫れを少しでもマシにするため 辞めたかったのだけれど 主人が希望しましたので 続けて貰うことにしました。
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Last updated: 2008/3/16