最近 賢信の祭壇(仏壇?写真飾ってるところ)は放っておかれることが多くなりました。
時々お菓子などはおいてあるのですが 埃がかぶりっぱなしだったりします。
昔はこの写真のお世話をすることで なんというか・・・賢信にできなくなったことを代わりにしていたのかな。そして この写真をお世話することが供養だったのですが、最近は変わりました。
この写真をお世話しなくても賢信を忘れることがない、毎日賢信を思い出すと言うことがわかったし、 いなくなったことに慣れたのかもしれません。
自分でもよくわかりませんが 写真(仏壇)=賢信 にならなくなったのです。
お世話をしなくなったことを罪悪と考えることもなくなりました。
でも やっぱり写真の前にたつと涙が出ます。写真を必要としている面もあって、多分やめてしまうことはないと思います。
私の家にくるお坊さんは変わっていて、仏壇もお墓も作るなと言います。今の写真だけでいいと言われました。
仏壇やお墓を作ることによって 子供に迷惑がかかるというのです。
最初は意味がわからなかったけれど最近 わかるような気がします。
私が亡くなったら 写真を一緒にいれてもらおう。その後、新たに写真を飾るかどうかは子供が決めるでしょう。
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