昨日 母と賢信が亡くなったときの話をした。
すると母は「あなたは賢信を一人失っただけだけど 私は賢信とあなたを二人失ったように思った。その2倍の悲しみわからないでしょ」と言われた。「あなたは賢信一人分の悲しみやけど、私は賢信とあんたの2人分よ」と数回言われました。ようは私が死んだも同然のような物だった。 私は賢信が死んだ悲しみだけだけれど 母は孫と娘が死んだ悲しみだと言うことである。
返す言葉もなかった・・・相当頭に来たからです。
そんなものわかるわけがない。
私は自分のことも、自分の子供のことも 何もかも考える余裕がなかった。
賢信のことだけで精一杯だったのである。
母には自分の娘のことを考える余裕があるじゃない。
「あんたは一人しか失っていないけれど 私は2人失った その気持ちわからないでしょ」と言われて 「そんなにかなしかったんやね」といえるほど 私は人間できていない。
私は賢信に関わった人がすべて悲しかったと思っている。
誰が一番悲しいとか比べる物でなく お互いにお互いの気持ちはわからないと思い、「私の悲しみはわからないでしょう」「私の苦しみをわかって」という言葉は私は使ったことがないし、相手につらさを理解してもらおうとも思っていない。
それを堂々と言ってきたわけである。
賢信が亡くなったとき 母に申し訳ないことをした 母から孫を奪ってしまったと
そう思ったんです。
子供を失った気持ちが分からないのと同じで 孫を失い子供を心配した気持ちは私にはわからない だけれども気持ちという物は 押しつける物ではない。
もしもこれが「2人失ったようで悲しかった」その言葉だけならそうも腹が立たなかったであろう。
だけれども 「あんたは賢信一人だけど 私は2人分や」と言われた言葉に
「あなたより辛かったのよ」と押しつけているのである。(本人にそんなつもりはなくても受け手はそうなるのである)
辛かったという表現をしたかったのだろうが 大きな間違いである。
孫を亡くした気持ちが分からないと同時に 子供を亡くした気持ちはわからないであろう。
・・・言葉とは怖い物である。
自分の気持ちをわかってもらおうとするが上に 相手を傷つけてしまうことが時としてある事を 覚えておかなければいけないと思いました。
あああ、この言葉で当分 胃が痛くなることでしょう。
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