残された家族

私の気持ちや家族の様子を書いています
2005-03-03 Thursday
頭にきたこと
昨日 母と賢信が亡くなったときの話をした。
すると母は「あなたは賢信を一人失っただけだけど 私は賢信とあなたを二人失ったように思った。その2倍の悲しみわからないでしょ」と言われた。「あなたは賢信一人分の悲しみやけど、私は賢信とあんたの2人分よ」と数回言われました。ようは私が死んだも同然のような物だった。 私は賢信が死んだ悲しみだけだけれど 母は孫と娘が死んだ悲しみだと言うことである。
 返す言葉もなかった・・・相当頭に来たからです。
 そんなものわかるわけがない。
私は自分のことも、自分の子供のことも 何もかも考える余裕がなかった。
賢信のことだけで精一杯だったのである。
母には自分の娘のことを考える余裕があるじゃない。
「あんたは一人しか失っていないけれど 私は2人失った その気持ちわからないでしょ」と言われて 「そんなにかなしかったんやね」といえるほど 私は人間できていない。
私は賢信に関わった人がすべて悲しかったと思っている。
誰が一番悲しいとか比べる物でなく お互いにお互いの気持ちはわからないと思い、「私の悲しみはわからないでしょう」「私の苦しみをわかって」という言葉は私は使ったことがないし、相手につらさを理解してもらおうとも思っていない。
 それを堂々と言ってきたわけである。
 
 賢信が亡くなったとき 母に申し訳ないことをした 母から孫を奪ってしまったと
そう思ったんです。
 子供を失った気持ちが分からないのと同じで 孫を失い子供を心配した気持ちは私にはわからない だけれども気持ちという物は 押しつける物ではない。
 もしもこれが「2人失ったようで悲しかった」その言葉だけならそうも腹が立たなかったであろう。
だけれども 「あんたは賢信一人だけど 私は2人分や」と言われた言葉に
「あなたより辛かったのよ」と押しつけているのである。(本人にそんなつもりはなくても受け手はそうなるのである)
辛かったという表現をしたかったのだろうが 大きな間違いである。
 孫を亡くした気持ちが分からないと同時に 子供を亡くした気持ちはわからないであろう。
・・・言葉とは怖い物である。
自分の気持ちをわかってもらおうとするが上に 相手を傷つけてしまうことが時としてある事を 覚えておかなければいけないと思いました。
 あああ、この言葉で当分 胃が痛くなることでしょう。
2005-03-04 Friday
子どものすばらしさ
前回の母の言葉を思い出すのと同時に
子供のすばらしさを再確認しました。
 子供達は賢信が亡くなった後、本当に辛かったと思います。
入院中も お婆ちゃんお家に預けられ それでも愚痴一つ言いませんでした。
 それどころか、自分も辛いのに 必死で私を元気つけようとしてくれたのです。
 そこには「私も辛かったのよ」なんて言葉はみじんもみられません。
そんな姿勢に 「みんなで頑張って生きていこうね」そう教えられました。
お互いに 相手のつらさを思いやって支え合ってきたのです。
主人もそうでした。私が泣くと一緒に泣いてくれたのでした。
 
賢信が亡くなった3日目くらいの朝
次女「お腹空いた」
3女「ママ起こそうか」
長女「ママ 賢信の看病でずっと寝てないんだから おこしたりなや」
3女「おなかすいた〜」
長女「じゃあ作ったるわ」
うちの食パンは スライスしていないので自分で切らなければいけません。結構難しいのです。起きようと思いましたが 私を起こさないようにと一生懸命やってくれている 子供の気持ちに甘えて しばらく聞いてました。
長女「うわ〜 がたがたになった。うまいことできなくてごめん」
次女「きれた〜 すごいやん〜 ありがとう」
3女「おいしいでえ すごいな」
といいながら食べているのです。
できあがったようなので起きあがってみました。
子供達は長女の作ったパンを見せてくれました。
たしかにガタガタなのですが そのガタガタに長女が必死で切っていた姿が浮かび、長女の心を思い、感謝いたしました。
 思い・思いやるという気持ちを 子供から私は教わりました。
2005-03-06 Sunday
立ち直ることはあり得ない
前に母の事を書きましたが
母は私が立ち直ったと思っているのだろうか?としたら 大間違い。
確実にいえるのですが、悲しみが和らぐことがあっても、一生立ち直ることなんてあり得ないし、立ち直らなければいけない事とも私は思わない。
ずうーっと賢信のことを思って生きていくのだと思う。
子を亡くして20年以上たった人の話を聴いて 何年経っても気持ちは同じということを知りました。
 私の母は子を亡くした親でも立ち直る事ができると思っているし すでに私も立ち直ってると思っているようです。
そして自分(母)も立ち直ったと言うことだろうか・・・
母に言われた言葉は 非常に重くのしかかっています。
 入院時にも「おまえだけが悲劇のヒロインと思っているやろ」「賢信にしたことを絶対に許さないからな」と言うようなことを怒鳴られたのですが 数人のかたと話をして、身内に一番傷ついたという人が多いことに驚きました。
 一時は「母も悲しかったんだ 許さなければ」と思い 許せないのに 許さないと と思うことで頭が混乱したことがありました。
カウンセリングに行き混乱はとけましたが・・・
 もしも 私が立ち直れるとしたら 賢信が生きて帰ってきてくれたとき
 それがかなわないなら 記憶を失なうしかないでしょう。
でも どんなに辛くても賢信の記憶を失うのだけはしたくない。
辛くても 賢信の母という事実は忘れたくない。
立ち直れなくてもいい。
そんな私でも 家族は待っていてくれる。
だから子供は素晴らしいとおもう。
「ママが一番大好きなのは賢信やで」子供達はそういってくれる。
本当は自分が一番好きになって欲しいでしょう。
でも、子供達は本気で言っている。
私を支えてくれる。だから 私も子供を守りたいと思うのです。
2005-03-17 Thursday
卒園式
今日は次女の 卒園式がありました。
我が家は5人とも2年おきに生まれているので、2年ごとに入園・入学がやってきます。
でも、2年後は入園がやってきません。
ぽっかりと 幼稚園に行かない年ができてしまいます。
だから、春になると「賢信はいないんだよ」と再確認させられるような気がします。
 そして、次女の卒園式に感動するよりも 次男がこうやって卒園式を迎えられるんだろうか・・・と不安になる方が大きいです。
 桜は賢信に似ていると私は思います。
華やかに咲きみだれます。が、儚い命です。
でも木は生き続け、人々の心にいろいろな物を残します。
 だから、花びらが散る桜の木の下で たっていると 賢信に抱かれているような気がします。

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Last updated: 2008/7/3