供養の方法は 人によって違うと思います。
我が家に来るお坊さんは「墓も仏壇もいらない、一番大事なのは手を合わせてあげる事です」といいます。
年に数回しか行かない墓よりも 庭や植木に骨をまいて その木を見るたびに思い出すほうがいい。
仏壇は手入れが大変だ 子供(生きている)に世話が大変な物を残す必要がない。
という理由らしい。(もちろん もうあるならば使いなさい だけど坊主と仏壇屋を儲けさせるために無理して購入しなくても良いとのこと)
で、我が家は仏壇がありません。最近は遺影と位牌も埃がかぶっている状態です。
最初のうちは とても大事だったんですね。
でも今は 胸の中に賢信がとても感じられるようになりました。
墓や仏壇はあった方がいい人もいると思うんです。
その前に行くと話しかけられるとか いろんな理由があると思います。
私の場合はそれがHPになってるのかもしれないです。
あと、悩んだときは「生きていればしたこと」を考えます。
例えば 服や玩具なんかは生きていたらお下がりを使ったので 次男にも着せます。
それ以外の 賢信しか使わない物(ランドセルとか)は使わせないです。
あと、位牌の前にお供えするのも よく「仏さんに一番に」と言いますが うちは適当にです。一番幼い 次男が最初になることが多いかな。生きていれば賢信が常に一番なんてならないと思うからです。
かなり独特の供養かもしれませんが どんな供養をしようとも それはみんな 子供のことを思ってやっていることなので それで良いと私は思います。
とても悲しんでいたり 供養の仕方が違うと
「そんなんじゃ成仏できない」と言われることがありますよね。
仏教では四十九日をすぎればちゃんと仏様になっているわけですからその言い回しはおかしいと私は思うんです。
私も時々言われるのですが「四十九日過ぎたからちゃんと成仏してるわい。」と心の中でアッカンベーしています。(無神論者のくせに都合のいいときだけ宗教を引っぱり出す私)
遺骨もまだ置いてあります。
私か主人が入るときに一緒に入れようと思っています。
「魂が大事なのであって 土に返さなきゃ成仏できないとかはないですよ、誰かが墓にはいるときに一緒に入れればいいですよ」 とお坊さんにも言われましたので 安心して置いてます。
なによりも手を合わせることが一番大事
こう言われたことは私は一番嬉しかったです。
賢信のことなら絶対 思い出しますから・・・
それが一番の供養なのだそうです。
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