【リリアン女学園高等部】



 窓からさし込む五月終わりの陽光はとても暖かくて、昨日の雨を何処かに置き忘れたみたいな機嫌の良い陽気の昼休み。
 薔薇の館に集まった山百合会のメンバーは、マリア祭と新入生歓迎式というイベントを無事に終えたせいか、お弁当を頂きながらのおしゃべりもかなりハイテンションだ。
 
「M駅の西口の前に新しいケーキ屋さんができたの、知ってる?」
「あーそれウチの後輩にも同じこと聞かされたわ。なんでもカボチャのケーキが美味しいとか」
「え、あれってモンブランじゃないの?」
 
 薔薇さま方とはいえ中身は平成の女子高生である。平素の喋り方なんてこんなものだ。
 傍らで同じくお弁当に箸を伸ばしている薔薇のつぼみたちもお姉さまの話題を耳に入れつつ、こそこそと別な話をしていたりする。
 
「ね、江利子。聖はまたあの娘のところに行ってるの?」
「あの娘?」

 誰のこと、って考え込んだ江利子はでもすぐ思い浮かんだらしい。
 
「ああ、久保栞か」
「どうなの?」
「行ってるんじゃないの。ここのところ毎日みたいだし」

 そう答えて江利子はブロッコリーを囓る。

「――ていうかさ、久保栞のことだったら祥子の方が詳しいんじゃない。おんなじクラスなんだから」
「私が気にしてるのは聖の方なの。栞さんは別に良いのよ。悪い子って訳じゃないんだから」
「ふーん」
 
 江利子の返事は淡泊だ。
 彼女と聖との諍いは過去のこととはいえ、お互いあまり関わろうとしないのはやはりそれなりに尾を引いているということなのだろうか。先のことを思い遣ると頭の痛くなる蓉子である。
 祥子は口に運んでいた箸を置くと蓉子に視線を向ける。
 
「新入生歓迎式が終わってすぐ、白薔薇のつぼみが久保栞さんを訪ねてきたことはありますけど、それからはお見かけしたことはありません」

 お役に立てなくて、と謝る祥子に「いいのよ」と声を掛けて、蓉子は考えに沈んだ。
 
 
 聖が蓉子の前で「久保栞」という名前を洩らしたのはおおよそ一ヶ月ほど前のことになる。
 彼女と出逢って、聖はまさしく「ひと」が変わってしまった。それまでもあまり付き合いの良い方ではなかったけれど、その変化はあまりに急で、そして排他的すぎた。それはまさに「うつつを抜かす」という表現そのものだった。
 
 近頃は時間があれば彼女のところに通い詰め、この頃は授業にも身が入っていないと聞く。蓉子も再三、注意を喚起してみたが一向に効果はあがらなかった。馬の耳に念仏と言うところだろうか。
 白薔薇さまはご存じなのかしら、と横目で窺ってみるが、そもそも放任主義の彼女なだけに聖がなにをしていようと気にもしていないように思える。

(まあね)

 確かに今のところなにか問題があるというわけじゃない。ただ坂道を転がり落ちるような聖の行動はあまりに危うくみえて、蓉子の危機感を刺激するのもまた事実だった。

(とはいえ、性急に言い過ぎるとまた喧嘩になるだろうし――)

 蓉子とて、久保栞と触れあうことが聖にとって必ずしも悪いことばかりではないと分かってはいるのだ。久保栞は確かに良い娘のように思えるし、聖のことを信用していないわけでもない。
 でも…。
 
 考え込む蓉子を可笑しそうにみて、江利子が茶化した。
 
「なあに。また心配性の始まりなの?」
「そう言わないでよ。ちょっと気になっただけよ。心配なんて…」
「蓉子の“気になる”は、ねぇ」
 
 江利子のその言い方の方こそ気になるじゃない。蓉子は口には出さずに呟いて、お箸で摘んだミートボールをパクリとやった。あ、これって昨日の残り物じゃない。お母さん手を抜いたな。
 
「久保栞――そんなに気になる?」
「彼女がどうこうというわけではないわ。ただ、聖がなにを考えているのかわからなくて…」
「あ、そうだ」

 江利子はなにかを思いついた様子で、隣で静かに箸を動かしていた支倉令に話しかける。いまの話に関係があるのかと身構えた蓉子だったが、それがなにも関係ない世間話だったから拍子抜けした。
 
(まあそんなものなんだろうけどね)
 
 もともと江利子には多大の期待はしていない。興味がないことにまで首を突っ込む彼女ではないのだ。
 
(――?)
 
 ふと、蓉子は視界の隅で祥子がなにやら奇妙な動きをしているのに気付いた。
 さり気ない動きではあったが、なにやら弁当の中身を選り分けているように見える。いくつかに仕切された弁当箱の中には彩りも鮮やかなおかずが所狭しと並んでいる。ぱっと見てもそのほとんどは冷凍食品なんかではなく手作りされた品であるのがわかる。祥子のお弁当は、毎朝、小笠原家のお手伝いさんが作ってくれていると聞いたことがあったが、なにか問題でもあったのだろうか。

「――祥子、なにをしているの?」

 しばらくの観察ののち、とうとう堪りかねて蓉子は聞いてしまった。気になったものをそのまま放っておけるような彼女ではない。弁当箱の中身に集中していた祥子は、突然呼ばれて「あ、はい」と驚いたように顔を上げた。彼女には珍しく飾られていない素の表情。そこに後ろめたさそうな翳りが一瞬だけ走り抜けたことに蓉子は気付いてしまった。

「なんでしょうか?」
「……もういいわ。だいたいわかったから」

 蓉子の呆れたような物言いに、祥子は慌てて弁明をはじめる。

「あの、これはちょっと食べ切れそうになかったので――」
「嘘ね」

 蓉子は祥子の言葉を遮るように言った。
 ぴしゃりとしたその言い方に、祥子お肩がピクリと震える。

「アスパラガスに……ピーマン? 人参は大丈夫そうだけど、まるで子供ね」
「――っ」

 なにか言い返そうとして、でも敗北を悟ったかのように祥子は口を噤む。
 そんな反応もまた子供っぽいと蓉子は思う。

「たとえダイエットなのだとしても、野菜は食べて、糖質でコントロールなさい」
「……」
「低血圧なのもそのせいじゃないの?」
「……」
「作って下さった方もあなたのことを気遣っているんだから」
「……」
「せっかく作って頂いたのだから、ちゃんと食べないとダメよ?」
「…わかってますっ!」

 とうとうヒステリックに叫んで、祥子は蓉子を睨み付ける。
 
「お姉さまの意地悪っ」
 
 目に涙を浮かべ、祥子はぷいっと横を向いてしまった。
 それでもちゃんと言われた通り、選り分けたほうのおかずにも箸を伸ばしていくあたり律儀といえば律儀である。
 やれやれ、と思いながら周りを見回すと、薔薇さまを含めたみんなが息を潜めてふたりを見守っていた。
 
「…なにか?」
「あ、いや。なんでも――」
「そうそうなんでもないのよ。気にしないで」
「ねえ、令。あの竹刀って何県産なのかしらね。やっぱり竹というからには宮崎かしら」
「え? え? え?」

 わたわた。

(やれやれ…)

 もう一度、嘆息する。きっと奇妙な姉妹だと思われているに違いない。もしかしたら単純に楽しまれているのだろうか。
 お姉さまたちも、江利子や聖も、蓉子が祥子を妹にした理由ついてひと言も聞くことはなかった。それはそれで信頼されているということなのだろうが、遠巻きに眺められているとなんだかんだと深読みしたくもなる。
 
(――やめやめ)
 
 考えても仕方がない。姉妹の有り様なんて姉妹の数だけあるのだから。
 弁当箱の上でいまだ臆したように箸を彷徨わせる祥子をちらりと見て、蓉子は最後に残っていたプチトマトを口の中に放り込んだ。









←BACK〕 〔↑INDEX〕 〔NEXT→