【リリアン女学園高等部】



 結局、祥子のサボりについては大袈裟になることはなかった。
 体調が良くなかった、という言い訳を先生方が無条件に信じたということもある。日頃における行いの良さの賜物だっただろうか。祥子本人はいたく反省していて、蓉子にも何度も頭を下げたものだが「どうして居眠りなどしてしまったのか」と聞くと、彼女は口を閉ざして理由を話そうとはしなかった。


 季節は初夏を迎えようとしていた。

 
 
 §



 二限目が終わり、蓉子は祥子に今日の予定を伝えようと一年松組へ向かった。
 このところ山百合会の仕事は増える一方だった。昼休みや放課後の時間を総動員してもまだ手に余る。一番の原因は昨年度末に作成していた予算編成書に不備があった所為で、クラブごとの予算配分が上手く行かなくなったからだった。
 単純な計算ミスがここまでまで祟るとは薔薇さま方も考えていなかっただろう。あちこちのクラブからそろそろ不満の声も聞こえてきていた。マズイなぁ、と蓉子も思う。
 紅薔薇さまはクラブ間の折衝に飛び回っているし、学校との調整は白薔薇さまが行っているが、手が回らないのは如何ともしようがなかった。黄薔薇さまはやはり体調の問題で休みがちだったし。
 
「これはやっぱ私が頑張らないとね」
 
 蓉子はひとり気合いを入れる。お姉さまを支えるのが妹の努めだ。
 
 蓉子が一年松組につくとそこには二十人くらいの人だかりができていた。
 なにごとかと思って彼女たちの後ろからつま先立ちして覗いてみたがたくさんの頭たちに遮られてなにも視界に入らない。諦めて最後尾らしき女生徒の肩を叩いて尋ねてみた。

「ねえ、なにがあったの?」
「え、あ、紅薔薇のつぼみ! ご、ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。――それで、なにがあったの?」
「ええと…」

 その女生徒はなにやら言いあぐねたように視線を逸らした。言えないというよりどう言ったらいいのか判らないという雰囲気。これはもう見た方が早いと蓉子は判断した。

「ちょっと、通して下さる?」
「あ、紅薔薇のつぼみっ」

 生徒の山を掻き分け、蓉子は教室へ足を踏み入れた。教室の中は意外と静かだった。――かなり静かだった。そういえばこれだけひとが集まっているのに全然騒々しくない。これはかなり奇異なことではないだろうか。
 教室の中にいる生徒たちはみんなして窓際のほうを向いていた。椅子に座ったままのひとはほとんどいない。蓉子はまったく状況を理解できないまま、さらに先へと進んだ。

「ねえ、なにがあって?」
「わわっ、紅薔薇のつぼみ!」
「ええーーっ」
「げっ」

(げっ、てなんだ、げって)

 それにしても聞くひと聞くひとなぜこうも驚くのか。
 訝しく思いながら、蓉子はじわじわと前進する。――じわじわ?
 なんだか先ほどより歩きにくいというか。蓉子のまえにいるひとがなかなか先を譲ってくれてないような気がしてきた。なんかおかしい。

「みんなして邪魔してない?」
「してませんしてません」

 ぱたぱたと手を振る眼鏡の女生徒D。そう答えられるとよけい怪しくなる。
 どうにかこうにか万難を排して、結構な時間をかけて、みんなお注目の的に近寄れた。もうすぐ予鈴がなりそうな時間だったがこのまま帰るのはあまりに惜しい。というか見ないと帰れない。いったいなにがあるってんだ。

「あーーー見たらダメですっっ」
「紅薔薇のつぼみっ、だめーーーっ」
「あー、もう。やかましい。どれ」

 ひょい、と最後の壁(これも女生徒なんだけど)を脇に追いやり、蓉子はそのさきにあるエアポケットに視線を落として――息を呑んだ。
 周囲の生徒たちが、あーあという顔でオーマイガッ。

「すぅぅ――」

 なんとそこでは我が妹たる祥子が、これ以上ないというぐらい緩んだ顔でご就寝あそばしていたのだ。



§



「ご、ごめんなさい」

 おどおどと話す祥子の姿というのは、まあ珍しいと言っても良いだろう。肩身狭そうに椅子に腰掛け、傍らから睨め付ける蓉子を上目遣いに伺っている。しかし、いくら珍しいといっても、まさか教室でうたた寝するというのはあんまりではないだろうか。このあいだみたいに薔薇の館というのであればまだマシだった。ここなら少なくともひと目というものがないから。しかし教室でとなるともう隠しようがない。

「一度といわず二度までも。いったいなにを考えているの」
「…ごめんなさい」
「あのね。謝るのはいいけど、それで物事が解決するってわけではないのよ。わかってるでしょう?」
「…はい」

 祥子は殊勝に頷く。腕組みをして見下ろしていた蓉子に後ろから笑いの混じった声が掛けられた。

「まあ、それぐらいで許してあげなさいな」
「でもお姉さま!」

 振り返って蓉子は紅薔薇さまに言い募った。祥子の行為はいくらなんでもちょっとだらしなさ過ぎる。少しぐらいお灸を据えた方がいいのではないか。
 紅薔薇さまは「まあまあ」と蓉子を宥めると、手元にある原稿用紙をぱん、と手の甲で叩いた。

「こうやってリリアンかわら版に載る前に押さえられたんだし、すぐ忘れられるわよ。それに授業中に寝ていたわけではないでしょう」
「それはそうかもしれませんけど…」
「いいじゃない。祥子ちゃんももう懲りてるみたいだしさ」

 椅子のうえで祥子がはたかれたように身動ぎした。紅薔薇さまも一応釘を刺したものらしい。その様子を横目で見て蓉子はいくぶん矛を収める。

「お姉さまは祥子に甘すぎます」
「そりゃ、私はお祖母ちゃんだからね。祥子を躾るのはあなたの役目でしょう?」
「だからこうやって言い聞かせてるんじゃないですかっ」
「仲裁するのは私の役目よ」

 呵々と笑って紅薔薇さまはビスケット扉に向かった。

「あとはあなた達で話し合いなさい。他の薔薇さまたちには私から上手く言っておくから」
「――はい」

 外のことは任せなさいとお姉さまはいってくれている。蓉子はそっと出て行くお姉さまの後ろ姿に感謝した。
 さて――。

 蓉子は祥子に向き直った。その気配を感じたか祥子が身を竦ませる。蓉子はいろいろなものを込めたため息を吐くと祥子と向かい合う位置に腰掛け、声音をちょっと和らげて、まだ身を固くしている祥子に語りかける。

「理由は察しているつもりなんだけどね」
「……」

 祥子はなにも言わない。

「ありがたいのよ。家にまで持ち帰って山百合会の仕事をしてくれるのは。でも――」
「宿題はちゃんとしてきています」
「そういうことじゃなくてね……」
「もうすぐ学園祭の準備もはじまります。このままだらだらと仕事がさばけないままだとお姉さま方はお困りになるはずです」

 確かに。
 今日だって祥子の一件がなければこの薔薇の館には山百合会の人間が集まって黙々と作業をしていたに違いない。みんな先行きの見えない不安に苛まれているのを蓉子は感じていた。

「私では手に余るかも知れませんけど、それでもお姉さまのお役に立てるなら少しぐらい無理もできます」
「でもね。あなたが倒れでもしたら本末転倒なのよ?」
「大丈夫です」
「祥子――」
「大丈夫です。それに私これぐらいしないと……。このままだとお姉さまの負担になってしまうから」

 祥子は山百合会に関わりながら、自らのお稽古ごとも手を抜いてはいなかった。確かなスケジュールは把握していないもののそれはまるで人気タレントでも真っ青なほどギッシリ詰まっているはずだった。
 このままだといずれ祥子はオーバーヒートしてしまいかねない。
 
 でもじゃあどうすればいいのだろう。
 
 蓉子にはその解決方法が見つけられないでいた。このままではいけないのだと判っていて手を付けかねているのは本当に自分らしくない。

「お姉さまこそ、お疲れではなのですか?」
「私は別に疲れてなんかいないわよ」

 肩の重さは拭いようがなかったがそう答える。祥子に無用な心配までさせるわけにはいかない。それに蓉子の疲れは精神的なものだ。世話好きな自分には慢性的なものだったから処し方ぐらい心得ていた。――心得ているはずなのだ。
 蓉子は心配事の最上位にあげられる妹をじっと見つめてから言った。

「約束して、無理はしないって」
「――はい」

 祥子の頷きはでも蓉子の心を軽くはしてくれなかった。









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