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6. 王との謁見から戻ると、ロイドは結衣をラクロット氏に任せて研究室に戻っていった。その後結衣は、王子の部屋でラクロット氏にレクチャーを受けた。 王子の性格や趣味嗜好、言葉遣いに普段の行動、テーブルマナーから果ては世継ぎとしての心得、いわゆる帝王学まで学ばされた。 ラフィット殿下によれば、本人は疎かになっているらしい帝王学を、何故身代わりの自分が学ばなければならないのか疑問に思いつつも、ラクロット氏の講義は夕食を挟んで夜遅くまで行われた。 人の良さそうな笑顔に騙された気がした。ラクロット氏はなかなか厳しい。解放された時にはぐったりと疲れ果てていた。 王子が客間に寝泊まりするわけにはいかないので、結衣はそのまま王子の部屋に泊まる事となった。 私物には触らないように言われたが、部屋中私物である。ようは、引き出しの中を探ったり、手帳を開いて覗いたりしなければいいのだろうと解釈した。 部屋といっても実家の家より広い。浴室だけでも結衣の部屋全体の二倍はあった。 結衣は結んだ髪をほどいてリビングに置かれたソファに背中を預け、深く腰掛けた。体中の力を抜いて目を閉じると長かった一日を思い返す。 ただ昼寝をしていただけなのに、思いも寄らない事になった。ちゃんと日本に帰れるんだろうか。 できれば盆までに帰りたい。何の連絡もせず実家に帰らなかったら捜索願が出かねない。 実家に帰ればどこからともなく見合い話が来てたりするし、親戚がやってきて自分には記憶のない子供の頃の話を繰り返されてうっとうしい。 だが、その間の食費、光熱費が浮くのは捨てがたい。夏場の電気代はバカにならない。――と、考えて結衣はふと思い出し叫んだ。 「あ――っ! エアコンと扇風機つけっぱなし――っ!」 扇風機は二時間したら切れるようにタイマー設定しておいたが、エアコンはタイマーを設定していない。 結衣は思わずソファの上に横倒しになって突っ伏した。 「あぁ、せめてエアコンだけ切りに帰りたい……」 何日もエアコンをつけっぱなしにしたら、いったいどれだけ電気代がかかるんだろうと途方に暮れていると、部屋の中でロイドの声がした。 「鍵が開いてたぞ。物騒だな」 リビング前のテラスに抜けるガラス戸が開き、側にロイドが立っていた。 結衣は身体を起こし、ロイドを睨んだ。 「だからって勝手に入ってこないでよ。私が裸だったらどうするの?」 「おまえの裸……?」 ロイドは眉をひそめてそう言ったきり黙り込んだ。その表情と沈黙が、何を言いたいのかかえって饒舌に物語り、結衣は立ち上がるとロイドに詰め寄った。 「なんで黙るのよ! どうせ胸小さいし、背高いし、男の王子様と同じ体型だし、小骨は刺さるし……!」 「わかった、わかった。おまえの裸を想像すると貧血になるほど鼻血吹きそうだ」 「バカにして……!」 投げやりに言うロイドにムカついて、叩こうと振り上げた右の手首を掴まれた。多分、左手を挙げても同じ事になるだろう。叩く事は諦めて追い出す事にする。 「とにかく出てって。これからお風呂に入って寝るんだから。あなたが見たくもない裸になるわよ」 「あぁ。オレは出て行こう。かわりにおまえが出て来い。用がある」 そう言ってロイドは掴んだ結衣の手を引いて、テラスに連れ出した。 外に出ると壁にある照明が自動で点灯し、テラスを淡く照らし出す。ロイドは中央くらいまで来ると結衣の手を離した。 広いテラスは隣の部屋の前まで続いている。ロイドはそちらから来たのだろう。――え? ってことは……。 「あなた隣に住んでるの?」 「あぁ。オレは殿下の”お友達”だからな。いつでも行き来できるようにとの殿下のご配慮だ」 ロイドに言われるまでもなく、施錠の重要性をひしひしと感じた。気を取り直して尋ねる。 「何の用?」 「喉のマイクロマシンを機能停止させてやろうと思って。朝起動すれば今頃は停止してるはずなんだが、今日は午後からだったからな。寝てる間に声を変える必要はないし、強制終了させてやろう。少し上を向け」 結衣はロイドの方を向くと首を伸ばして上向いた。 ロイドの金髪の向こうに満天の星空が見える。こんな見事な星空、日本では山奥にでも行かなければ見えない。クランベールは高い科学技術力を持ちながら、自然にも恵まれた国のようだ。 初めて外の景色を見た。好きにしていいと言われたので、明日は外に出てみよう。 ロイドは結衣の首に百円ライターくらいの大きさの細長い板を近づけ、そこに付いたボタンを押した。ピッと小さな音がした。 「もういいぞ。ちょっと喉に違和感を感じるだろうけどな」 そう言うとロイドは、リモコンをポケットにしまい、結衣の元を離れると手すりにもたれて腕を組んだ。 少ししてロイドの言った通り、喉の奥がいがらっぽくなって空咳が出た。 結衣は喉を撫でながらロイドに尋ねた。 「何? これ……。あ、声が戻ってる」 「マイクロマシンが食道に移動してるんだ。終了時間が来るか、停止命令を受け取ったら食道に移動するようになってる。おまえが便秘じゃなかったら、明日体外に排出されるはずだ。その違和感は改良の余地があるけどな」 「だったら、一年かけてテストしてる時に改良すればよかったのに」 結衣も手すりにもたれて星空を見上げながらつぶやいた。 「ほんの数秒の事だし、まさかオレ以外の人間が常用するとは思わなかったしな」 「やっぱ使う当てのない、おもちゃだったんだ」 結衣はロイドを横目で見つめて、大きくため息をついた。気を取り直してロイドに尋ねる。 「そんな事より王子様の方は? 身代金の要求とかないの?」 「ない」 「誘拐じゃないのかな?」 「殿下の身柄そのものが目的なら、身代金の要求はないぞ」 それを聞くと結衣は髪を翻して、ロイドの方を向いた。 「やっぱ、あの叔父さんが怪しいんじゃない?」 「めったな事を口にするなと言っただろう。その可能性はない」 自分の名案をあっさり否定されて、結衣は口をとがらせた。 「なんで?」 「おまえを見ても特に変わった様子がなかったからだ。自分の攫った人間が目の前に現れたら、よっぽどの役者でない限り、少なからず動揺するだろう」 「そっか、平然とイヤミ言ってたもんね。私を王子様だと思い込んでたし。でも、あの人は関係なくても、あの人の支持者は怪しいかもしれないわ」 結衣はラクロット氏から王室を取り巻くお家事情を大まかに聞かされていた。今は王が健在なので表立って騒がれてはいないが、次期国王の座を巡って王族や貴族たちが睨み合っているらしい。 大きく分けると、第一王位継承権を持つ王子を推す一派と第二王位継承権を持つラフィット殿下を推す一派の二つだ。継承権の順位を重視するなら王子が王位に就くのが順当だが、王子が頼りない上に本人にその気があるように見えないので、たとえ王に指名されても辞退するのではないかとラフィット殿下支持者は甘い期待と共に野心を燃やしている。 ラフィット殿下支持者の中には極端な考えを持った者もいるという事で、保身のために王子は気のないフリを演じているらしい。 「まぁ、可能性として、ないとは言えないが、今のところ検索の網にかかっていない」 「私も調べてみようかな」 結衣が腕を組んで星空を見上げながら軽くつぶやくと、ロイドが額を叩いた。 「余計な事をするな。おまえは殿下の身代わりに徹していろ。だいたい誘拐と決まったわけじゃない」 結衣は額を押さえてロイドの方を向く。 「誘拐じゃないなら何?」 「ご自身でどこかにお隠れになったか、何らかの理由で帰れなくなっているかだ」 「それって私みたいにどこか異世界に飛ばされてるって事?」 「それは一番あって欲しくないケースだな。そうじゃなくても、怪我をして動けないとか。どっちにしろあまりよくない。陛下も気丈に振る舞っておいでだか、大層ご心配なさってるはずだ」 「でしょうね。あの溺愛ぶりじゃ。あの機械が壊れた原因はわかったの?」 「それも調査中だ」 「なんにも進展してないじゃない……」 結衣は大きくため息をついて、身体を反転させると手すりに縋って項垂れた。 |
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