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7.



 少しの間二人とも黙っていたが、突然ロイドが思い出し笑いを始めた。
「何?」
 結衣が訝しげにロイドを見つめると、彼は笑いをこらえながら結衣に言う。
「おまえ、よっぽど背が高い事を気にしているんだな」
 結衣はふてくされたように顔を背けた。
「だって昔から、からかわれてうんざりなんだもん」
「オレも言われてうんざりしている事はある」
「え? そうなの?」
 自信満々のロイドにコンプレックスがあるのが意外で、結衣は思わず目を見張った。
「学者のくせに無駄にいい身体をしていると、よく言われる」
 しれっとして言い放つロイドに、結衣はうんざりしたようにため息をついた。誰がそんな事を言っているのか、あえて追及したくもない。
「なんなら脱いで見せようか? 向こうのベッドルームで」
 首を傾げて、羽織った白衣を広げてみせるロイドに、結衣は目を細くして追い払うように手を振った。
「抱き心地の悪い女にそんなサービスいらないわよ。ひとりでベッドルームに行って」
「おまえ、根に持つ奴だな」
 ロイドは拒否された事など気にも留めず、おもしろそうにクスクス笑う。
「じゃあ、根に持たれたら困るし、忘れる前に帳消しにしとくか」
 そうつぶやきながらロイドは、メガネを外すと胸ポケットに収めた。メガネを外したロイドは学者っぽい冷たさが消えて、随分と甘い風貌になる。
 蜂蜜色の髪と濃い緑の瞳。ヨーロッパ人のような容姿が、見慣れない結衣には会社の男たちと比べてかなり男前に見えていた。ただし、黙っていればの話だが。
 ロイドは結衣の真正面に立つと、淡く微笑んで見下ろした。
 思わず見とれてしまう甘い笑顔に、ほんの少し呆然として見上げた後、結衣はハッとして問いかけた。
「メガネなくて見えるの?」
「近付けば問題ない」
 言ったと同時にロイドは、結衣の腰に左腕を回し、強引に引き寄せた。
 突然の事によろけて、結衣はロイドの胸に両手をついた。服越しに伝わる硬い筋肉の感触に、いい身体をしているって本当なのかも、とちょっと思った。
 しかし、どうしてこんな体勢になっているのかはわからない。結衣は逃れようと両手を突っ張りながらロイドを睨み上げた。
「ちょっと! 何?」
 抵抗する結衣をロイドはさらにきつく抱き寄せ、意味不明な事を言う。
「やはり、ちょうどいいな」
 密着した身体から伝わるぬくもりと、目の前に迫った甘い笑顔に鼓動が高鳴り、顔が熱くなってきた。自分がドキドキしている事は、きっとロイドに伝わっている。
「……やっ……!」
 恥ずかしくて顔を背けようとした結衣の後頭部に、ロイドの右手が添えられ頭を動かせなくなった。
「黙ってろ」
 囁くように命令するとロイドは少し目を細めて結衣を見下ろした。
 非難するようにロイドを睨んで、開きかけた結衣の唇をロイドの唇が塞いだ。
 気持ちは逃れようとするが、心臓が爆発しそうなほど鼓動が暴れて呼吸が乱れ、腕に力が入らない。唇から伝わる熱が結衣の全身を熱くする。
 ほんの数秒の出来事が、結衣には永遠とも思えるほど長く感じられた。
 きつく抱きしめていたロイドの腕の力が、一瞬緩んだ隙を突いて、結衣は思い切り手を伸ばしてロイドを突き放した。
 乱れた息を整える間もなく、右手でロイドに平手を振り下ろした。しかし、すんでのところで手首を掴まれ不発に終わる。今度はすかさず左手も振り下ろしたが、やはり失敗した。
「何をする」
 結衣の両手首を掴んだまま、ロイドは不思議そうに尋ねる。
 悪びれた様子もなく、平然としているロイドが小憎たらしくて、結衣はヒステリックに怒鳴った。
「こっちのセリフよ! 帳消しって何? 意味わかんない!」
「オレの方こそ意味がわからない。オレとキスしたいと言ったのはおまえじゃないか」
 そんな事を言った覚えはない。結衣はロイドから視線を外し、クランベールに来てから今までの記憶をめまぐるしいスピードでたどり始めた。結衣が考え込んだのを見て、ロイドが種明かしをした。
「マイクロマシンを飲ませた時、吐き出したものを飲むより口移しの方がいいって言っただろう」
 血管が千切れたかと思うほど頭がクラクラした。”いい”とは言っていない。”マシだ”と言ったのだ。
 ”オレとキスしたかったのか”って、冗談で言っているのだと思っていた。
 常人とは違う思考の流れに呆れて、結衣は再び怒鳴った。
「学者のくせに、頭悪いんじゃないの?! どうしてくれるのよ! 初めてのキスなのに!」
「え?」
 意外にもロイドが困惑したような表情で、結衣の両手を離した。
 殴るなら今がチャンスのような気もするが、思いも寄らないロイドの反応に、結衣は一気に力が抜けて思わずクスリと笑った。
「ウソよ。あなたでもうろたえる事あるのね」
 ロイドは少し眉を寄せると、メガネをかけ直した。
「……からかったのか?」
「からかわれてばかりじゃ、シャクだもの」
 結衣はクルリとロイドに背を向けた。自分が泣きそうな顔になっているのがわかっているから。
 突然、後ろからロイドが両肩を掴み、耳元で囁いた。
「オレをからかうとは、いい度胸だ」
 肩に乗ったロイドの手の重みに、意思に反して身体が怯える。震えるな! 感付かれる!
 小刻みに震えそうになる身体に必死で言い聞かせていると、ロイドが肩から手を離し、頭をひと撫でした。
「悪かったな」
 感付かれた? 恐る恐る振り返ると、ロイドは手すりにもたれて空を見上げていた。
「これでも責任は感じているんだ。うちの子が迷惑をかけて」
 うちの子って、人捜しマシンの事だろうか。どうやら感付かれてないらしい。
 ホッとした途端、全身から力が抜けそうになり、結衣は手すりにしがみついた。
 ロイドは星空から視線を戻すと、自信に満ちた瞳で結衣を見据えた。
「今はまだ見当も付かないが、必ずおまえをニッポンに帰してやるからな。オレのプライドにかけて」
「うん……」
 結衣が抑揚のない声で返事をすると、ロイドはポケットから何かを取り出して結衣に差し出した。差し出された手の平には黄色い小鳥が乗っていた。だが、ピクリとも動かない。ポケットから無造作に取り出したところを見るとロボットなのだろうか。
 結衣がぼんやり眺めていると、ロイドは小鳥の腹部を探りスイッチを押した。途端に小鳥は目を開き、何度か首を傾げた後、軽く羽を震わせて結衣の肩に飛び移った。
「おまえにやろう。エサはスキンシップだ」
「スキンシップ?」
「足の裏に熱センサが付いている。熱エネルギーを動力に変換して内臓バッテリに蓄積し、動く仕組みになっている。動いている時にバッテリが切れかかると、手や頭に乗りたがる。うっとうしいと思うならマメに手の平に乗せてやってくれ。まぁ、腹にある電源を切るという手もあるけどな。おまえ、鳥は平気か?」
「うん。好き」
 肩に留まった小鳥をチラリと見て答えると、ロイドが少年のように嬉しそうな笑顔を見せた。
「そうか。昔、殿下に昆虫のロボットを差し上げた事があるんだが、女には虫より小動物がいいかと思って」
”うちの子”が迷惑かけたからお詫びなんだろうか? 
”我が子”が気に入られた事に気をよくして、ロイドはさらに小鳥ロボットの特徴を教えてくれた。
「そいつは一度だけ名前を登録する事ができるんだ。背中にあるボタンを押しながら名前を呼べば登録できる。以降、登録した声の主が名前を呼べば返事をするし、人工知能を搭載しているから声の主の命令を聞くようになる。話しかけていれば言葉も覚えるぞ」
「うん」
 結衣は相変わらず感情のない返事をする。
 興奮したように小鳥ロボットをアピールしていたロイドが黙って結衣を見つめた。
 結衣は俯いてロイドから目を逸らした。早く行って欲しい。もうそろそろ限界だ。
 結衣の心を見透かしたように、ロイドは背を向けた。
「じゃあな。おやすみ」
「おやすみ」
 ロイドが隣の部屋に姿を消すのを見届けて、結衣はゆっくりと手すりを離し、フラフラと王子の部屋の中に戻った。
 お風呂に入ろうと思っていたが、そんな気力がなくなった。さっさと寝てしまおうと寝室に入り、ベッドの側まで歩み寄った時、とうとう気力が途切れて、結衣は崩れるようにその場に座り込んだ。
 肩に留まった小鳥が飛び立って、ベッドの上に舞い降りた。
 ずっと我慢していた涙が溢れ出した。結衣は座り込んだまま背中を丸め、項垂れて嗚咽する。
「……ひどい、あんなキス……」
 背の高さがコンプレックスとなって、恋愛に消極的な結衣は男性と一対一で付き合った事がない。キスはおろか、抱きしめられたのも初めてだった。
 恋愛に夢を見すぎるなと友人にいつも言われていた。白馬に乗った王子様を夢見るほどの少女ではないが、恋愛に少なからず夢を抱いていた事は事実だ。
 告白をして互いの気持ちを確かめ合い、何度かデートを重ねた後、初めてのキスは軽く唇を触れあわせるだけ。それから徐々にステップアップしていきたいと、相手も当てもないのに勝手に計画を立てていた。
 ところが、告白もデートもすっ飛ばした上に、いきなり上級者向けの大人のキスを体験するとは夢にも思っていなかった。
 初めてだと告げた時、ロイドが困惑と共に申し訳なさそうな顔をした。それがイヤで咄嗟にウソだとウソをついた。とても少女には見えない結衣が、キスさえ未経験だとは思ってもみなかったのだろう。
 ロイドにしてみれば、ちょっとからかってみただけなのだ。でなければ、あんな顔をするわけがない。
 初めてのキスの相手が、自分の事を何とも思っていない。それが悲しかった。
 なのに心が揺れている。ロイドの甘い笑顔を思い出すと、あのキスを思い出すと、自然に鼓動が早くなる。
「……絶対違う……あんな奴、好きじゃない……」
 きっと心が騙されている。初めてのキスにドキドキしたのを恋だと勘違いしている。
 言い聞かせるほどに、胸の鼓動は激しさを増す。
 もう、何が原因で涙が出るのかわからなくなってきた。
「……バカ……もう、帰りたい……」
 ベッドに縋って顔を伏せると、小鳥が近寄ってきて結衣の手を軽くつついた。顔を上げて見つめると、小鳥も首を傾げて結衣を見つめた。
 慰めてくれているような気がして、結衣は小鳥の背中をなでた。
「ロイド……」
 なんとなく名前を呼んでみると、胸の奥がキューッとなった。
 側で小鳥がピッと一声鳴いた。




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