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3.


 研究室の扉を開くと、先ほどと同じ場所にロイドはいた。
 コンピュータの画面を見つめ、キーボードを操作している。相変わらず声をかけても気付いていない。
 ふと、イタズラ心が芽生えて、結衣は途中から足音を忍ばせて近付いた。
 脅かしてやろうと手を伸ばした時、突然ロイドが椅子を反転させて、その手を掴んだ。掴んだ手を引かれ、結衣はそのままロイドのひざの上に倒れ込む。
 肩に留まった小鳥が飛び立って、机の上に舞い降りた。
「何の真似だ」
 憮然とした表情でそう言うと、ロイドは結衣の尻をピシャリと叩いた。
 小さな悲鳴を上げて、結衣は尻を押さえると慌ててロイドのひざの上から起き上がった。
「変なとこ叩かないでよ、エロ学者! 気付いてたんなら返事くらいしたら?」
「オレはヒマじゃないと言っただろう。殿下の件に関しては極秘だから、助手が使えない。データの分析から全部ひとりでしなければならないんだ。おまえの悪ふざけに付き合っているヒマはない」
 返事さえしていれば、悪ふざけはしなかったはずなんだが……。と思ったが、何を言っても無駄な気がしてやめておいた。
「お昼ご飯まで、ここにいていい?」
「邪魔するなよ」
 そう言うとロイドは、再び画面に向かいキーボードを叩き始めた。結衣は後ろからその画面を覗いて見たが、何の事やらさっぱりわからないので、すぐにその場を離れた。結衣の後を追うように小鳥が飛んできて肩に留まった。
 部屋の中には人捜しマシンの他にもいろんな機械が置いてある。それらを眺めていると、ロイドが作業の手を止めることなく注意した。
「触るなよ」
「わかってるわよ」
 うかつに触って壊そうものなら、どういうセクハラなお仕置きが待っているか、考えたくもないので端から触るつもりはない。
 一通り見て回った後、結衣は窓辺に縋った。肩に留まった小鳥を手の平に乗せて、指先で頭を撫でながら窓の外に視線を移す。庭師が庭園の花壇に水をまいている姿が見えた。
 静まりかえった室内には、ロイドが叩くキーボードの音がカタカタと不規則に響いていた。
 少しの間、ぼんやり外を眺めていると、ふと、キーボードの音が消えている事に気付いた。
 振り返るとすぐ後ろで、ロイドがカップに入った熱い茶をすすりながら、同じものを結衣の前に差し出した。結衣は手の平の小鳥を肩に乗せると、両手でそれを受け取る。
「ありがとう。もう、すんだの?」
「いや、キリが悪くなるから休憩。もうすぐ昼だしな。探検はすんだのか?」
「うん、だいたい。午後は外に出てみるつもり」
「そうか」
 そう言ってロイドは再び茶をすすった。
 ラクロット氏は根拠のない噂だと言ったが、気になったので客室の幽霊についてロイドに訊いてみた。ロイドはそれについて肯定も否定もしない。
「幽霊っていると思う?」
「だから、それについては議論しない事にしている」
「なんで? 学者だから自分の目で見たものしか信用しないってこと?」
 結衣がからかうように指摘すると、ロイドは意味ありげに笑う。
「目で見たものほど信用できないものはないぞ」
「へ?」
 何を言っているのか意味がわからず、結衣は間抜けな声を出す。
 ロイドは得意げな表情で、我が意を得たりとばかりに説明を始めた。
「たとえば、その小鳥。オレが見ているものと、おまえが見ているものは全く同じじゃない」
 指差されて結衣は思わず肩の小鳥を見つめた。
「視力が違うから?」
 間抜けな事を問いかけたが、ロイドはかまわず続ける。
「そうじゃない。おまえは目でものを見ていると思っているだろうが、実際に見ているのは脳だ。目は映像を取り込んでいるに過ぎない。目から取り込まれた映像は脳で処理判断される。臓器の中で脳ほど主観や感情に機能が左右されやすいものはない。その脳が映像を処理判断する時、主観や感情を差し挟まないわけがないだろう? だから、おまえが見ているものと全く同じものをオレが見る事はできない」
 結衣は益々眉間にしわを寄せる。ようするに幽霊を見たというのは気のせいだと言いたいのだろうか。
「結局、幽霊っているの? いないの?」
「幽霊を確かに見たと言う者にとっては、確かに見たんだろう。だが、幽霊に限らず、全く同じものをオレに見る事ができない以上、いるともいないとも判断できない」
「はぁ……」
 なんだか煙に巻かれたような気がする。気を取り直して提案してみた。
「じゃあ、全く同じものが見えるようになる機械を作ったら? 直接脳に映像を送るとか」
 名案のような気がしたのに、ロイドはあっさり却下した。
「そんなものは永遠に作れないだろうな。脳に直接映像を送る事は可能だが、それを判断するのは脳だ。人から主観や感情がなくならない限り無理だな」
 あっさり却下されたのが、なんだか悔しいのでちょっとイヤミを言ってみた。
「ふーん。あなたにも作れない機械があるのね。エロエロマシーンならお手の物なんでしょうけど」
 するとロイドは涼しい顔で切り返した。
「エロエロマシーンなんか作った事も考えた事もない。オレは道具を使わない主義だ」
 結衣は思わずガックリと肩を落とす。
「いったい何の話よ」
 ロイドはニヤリと笑うと結衣の耳元で囁いた。
「知りたければ、今夜オレの部屋に来い」
「絶対、行かない!」
 茶を飲み終わったカップをロイドに突きつけると、結衣は出口に向かった。
 エロネタなんか振るんじゃなかったと、後悔しながら扉を開けようとした時、後ろでまたロイドのかみ殺したような笑い声が聞こえた。



 昼食後、結衣は予定通り庭に出た。
 庭園の真ん中には大きな噴水があり、水を勢いよく噴き上げている。水しぶきに日の光が反射して小さな虹が見えていた。
 噴水を取り囲むように、広い花壇が作られ色とりどりの花が咲き乱れている。結衣は時々身を屈めては花を眺めながら、花壇の間をゆっくりと歩いた。
 ふと、視界の端に人影が映った。そちらへ視線を向けると、噴水の向こう側に淡いピンク色のドレスを着て、同じ色の日傘を差した少女が立っていた。
 少女は結衣の視線に気付くと、花がほころぶように可憐な笑顔を見せて、ドレスの裾を軽く持ち上げ会釈した。
 結衣も笑顔で会釈したものの、内心ひどく緊張していた。この少女は昨日ラクロット氏に教わった、レフォール王子の婚約者、ジレット=ドゥ=ラスカーズ嬢だ。
 緩くウェーブの掛かったクリーム色の長い髪をそよ風に揺らしながら、ジレットはゆっくりとこちらに近付いて来た。正面まで来るとジレットは日傘を傾けて、結衣を見上げた。
 見上げる瞳は大粒のサファイアのように澄んだ青。白磁のごとき、なめらかな白い肌は頬だけほんのりとバラ色に染まり、ジレットはお姫様という形容がぴったりの美少女だ。
 結衣を見上げてにっこり笑うとジレットは口を開いた。
「またお会いできて光栄ですわ、レフォール殿下。今日は突然お邪魔してしまって申し訳ございません」
「かまわないよ。ボクも会えて嬉しい」
 緊張しながらも、結衣は笑顔で答えた。
 ラクロット氏によれば、婚約者とはいえ、ジレットと王子は一度しか会見した事がないと言う。特別な態度をとる必要はないと言われたが、やはり他の人を相手にするよりは緊張する。
「今日はどうしたの?」
 結衣が問いかけると、ジレットは日傘を肩に担いで、愛らしく首を傾げた。
「レフォール殿下にお会いしたくて、お父様の用事に無理を言ってついて参りましたの。ラクロット様にお庭にいらっしゃるとお伺いして捜しに参りました。だって、お父様の用事が済む前にどうしても教えていただきたかったんですもの」
 結衣はギクリとして思わず笑顔が引きつった。努めて平静を装いつつ問いかける。
「え、何を?」
「いやですわ。今度お会いしたら、秘密を教えて下さるとおっしゃったではないですか」
 一瞬にして血の気が引いた。
(バカ王子――――っ! 何、謎めいた事言ってんのよ!)
 当然ながら、ラクロット氏からそんな話は聞いていない。自分が知っている王子の情報から推理してみるが、さっぱり見当もつかない。
 結衣はパンツのポケットにそっと手を突っ込むと、ロイドのくれた通信機のボタンを押した。




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