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4.



 ロイドがやって来るまでには、少し時間があるはずだ。それまでなんとか適当にごまかさなければならない。
「あ、あぁ、秘密ね。それなんだけど、ここで教えるのは無理なんだ。……その、準備とか必要だし……」
「準備、ですか?」
 ジレットがキョトンとして首を傾げる。
 我ながら、かなり苦しい言い訳だと思う。いったいどんな準備をすればいいんだか。
 苦笑を湛えてジレットを見つめていると、頭の上からロイドの声がした。
「殿下――っ!」
 ジレットが結衣の頭上を見上げて、口を押さえ小さな悲鳴を上げた。
 頭の上に影が差し、振り向きざまに見上げると、日の光を背にした巨大な影が目の前に降ってくるところだった。
 結衣が声も出ないほど驚いていると、目の前にフワリと降り立ったロイドは、ジレットに向かって恭しく頭を下げた。
「ジレット様、お久しぶりです。お邪魔して申し訳ありません」
 挨拶をするロイドを見て、ふと、我に返った結衣は、
「ジレット、ちょっとごめん」
そう言って断ると、ロイドの腕を掴んでジレットの元から遠ざかった。
 声が聞こえない所まで充分に遠ざかると、結衣はロイドの手を離し小声で怒鳴った。
「びっくりするじゃない! どこから飛んできたの?!」
「二階のテラスだ。ちょうど用があって部屋に戻っていた」
 見るとロイドは、背中に銀色のランドセルのようなものを背負っている。
「何? それ」
「反重力飛行装置の試作品だ。今のところオレの体重じゃ、このくらい浮くのが限度だが」
 そう言ってロイドは両ひざを曲げて見せた。確かに身体が沈むことなく宙に浮いている。
「高い所から低い所への滑空や、着地時の衝撃を緩和するくらいの役には立つ。おまえならもう少し浮くかもな」
 また、何の役に立つのか微妙なマシンのようだ。”空が飛べたらおもしろい”という発想のような気がする。
 結衣はロイドの腕に手をついて、思い切りため息を漏らした。
「我が子自慢は後でいいから」
 結衣の言葉にロイドはムッとした表情で問いかけた。
「何の用だ」
「王子様がジレットに秘密を教える約束をしていたらしいのよ。知らない?」
「秘密? 知らないな」
 ロイドは少し首を傾げた後、あっさりと答えた。
「お友達なんでしょ? 何か聞いてないの?」
「知らないものは、知らない」
 相変わらず淡々としているロイドに苛々しながら、ふと閃いた。
「もしかして、その秘密が行方不明の原因じゃないの?」
 それまで興味なさそうだったロイドが途端に食いついた。
「なるほど。一理あるな。よし、おまえはジレット様から秘密についての情報を聞き出せ」
「えぇ?!」
 驚く結衣の肩を叩くと、ロイドは大声でジレットに声をかける。
「ジレット様、私はこれで失礼します」
 そして、背中の装置を作動させると、超低空飛行でその場を立ち去った。
「ちょっと、ロイド!」
 結衣は慌てて捕まえようとしたが、案外早くてあっさり逃げられてしまった。
 呆然と見送る結衣の側に、クスクス笑いながらジレットがやって来た。
「相変わらず楽しい方ですね」
「ごめんね、騒々しくて」
 ジレットの可憐な笑顔を見つめて、結衣は思わず苦笑する。
 弱った。教えると言った本人が、まだ教えてもらっていない人から、どうやって聞き出せと言うのだろう。
 とりあえず秘密を教える事は先送りにしなければならない。そこはロイドに責任をなすりつけてやろう。
「あの……秘密なんだけど、やっぱり準備が整わなくて……。ロイドに手伝ってもらおうと思ったんだけど、彼が忙しいみたいで、当分無理なんだ。またの機会でいいかな?」
 ジレットは少し黙った後、すぐに笑顔で答えた。
「わかりましたわ。突然お邪魔した、わたくしもいけないんですもの。次の機会を楽しみにしておきます」
 結衣はホッと胸をなで下ろした。とりあえずの問題は何とか回避できた。後は世間話でもしながら、秘密の一端でも聞き出せれば、ロイドに怒られる事もないだろう。
 結衣は微笑んでジレットを誘う。
「せっかくだから、中でお茶でもどう? 少し話をしようよ」
「ええ、よろこんで」
 結衣は軽く手を取り、ジレットを王宮までエスコートした。
 王宮の入口にはラクロット氏が待っていた。彼に案内され、二人は貴賓室のひとつに入る。向かい合わせでテーブルに着くと、ほどなく女の子がお茶とお菓子を運んできた。女の子が部屋を出て行くと、ラクロット氏も挨拶をして、控えの間に下がった。
 結衣が勧めると、ジレットはお茶を一口飲んで、静かに微笑み問いかけてきた。
「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
 何の名前だろう。秘密に関係ある事だろうか。結衣が黙って考えていると、ジレットはさらに問いかけた。
「あなたのお名前ですわ。レフォール殿下によく似た方」
 一瞬にして全身が硬直した。ばれた? そう思った途端にロイドの不機嫌そうな顔が頭に浮かんだ。
 妄想の中のロイドが鬼のように怒って結衣を怒鳴る。

――この大根役者め! お仕置きだ!――

 そう言ってロイドは、ひざの上に横たわる結衣の尻をバシバシ叩いた。
(そんなのイヤだ! 第一、元々役者じゃないし!)
 何とか上手く取り繕う方法はないものかと思考を巡らせるが、考えれば考えるほど何も思い浮かばない。
 ジレットは結衣が硬直しているのを気にした風でもなく、落ち着いた様子で語り始めた。
「わたくし、レフォール殿下とは一度しかお会いした事がありませんが、その時殿下のお人柄に触れて大好きになりましたの。この方が婚約者で本当によかったと思えました。ですから、あなたがレフォール殿下でない事は、すぐにわかりましたわ。それにあなたは女性ですよね」
 ジレットの透き通る青い瞳に見据えられ、とてもごまかしきれないと観念した結衣は深く項垂れた。
「……ごめん、ジレット。あなたを騙すつもりで、王子様のフリをしているわけじゃないの」
「ええ。何か事情がおありなのは、お察しいたしますわ。でも、お名前を教えていただけませんか?」
 結衣が顔を上げると、ジレットは静かに微笑んだ。決してイヤミでもなく、自分を騙した結衣を怒っている風でもない。結衣はホッとして名を告げた。
 安心したと同時に、不安に駆られる。ジレットはすぐに別人だとわかったと言った。
 一度しか会った事のないジレットに、こうもあっさり見破られてしまうという事は、毎日のように顔を合わせている使用人たちにはバレバレだったのではないだろうか。
 何もそんな素振りは見られなかったが、影で噂が広まっているのではないかと気が気ではない。なので、ジレットに確認してみた。
「私って、一目でわかるほど王子様と違うの?」
 ジレットはにっこり笑うと、愛らしく首を傾げた。
「いいえ。お顔も声も話し方もそっくりですわ。他の方にはわからないと思います」
 それを聞いて結衣は一応ホッとした。なにしろ話し方に関しては、少しでも違うと厳しくダメ出しされるほどラクロット氏に特訓を受けたのだ。
「レフォール殿下はご病気なのですか?」
 少し不安げな表情でジレットが尋ねた。
「ううん。そうじゃないの。ただ事情があって人前に出られないだけなの。誰にも内緒だから、お願い! あなたも秘密にしておいて」
 結衣が拝むように両手を合わせて懇願すると、ジレットはにっこり微笑んだ。
「わかりましたわ。誰にも内緒にしておきます。ラクロット様とヒューパック様はご存じなんですよね?」
「うん。見た目が似てるってだけで、ロイドに身代わりを押しつけられたの。ヒドイと思わない?」
 結衣が思わず愚痴ると、ジレットは楽しそうにクスクス笑う。
「でも、ユイはヒューパック様が好きなんでしょ?」
「えぇ?!」
 どこがそんな風に見えたのか、断固否定もできないので、正体を見破られた時よりも結衣は動揺した。
「け、決してそんな事は……だって、あんな奴……」
 しどろもどろに否定しようとするが、益々心に動揺が広がり、なんだか顔が熱くなってきた。それをすかさずジレットが指摘する。
「お顔が真っ赤ですわ」
 にこにこと微笑むジレットを見て、結衣はガックリと項垂れた。侮れない。この少女は鋭すぎる。またしても敗北を喫した結衣は再び懇願する。
「お願い! それも内緒にしておいて。特にロイドには」
「そんな無粋な事はいたしません。ヒューパック様はいい方だとレフォール殿下から伺っております。影ながら応援させていただきますわ」
 結衣は思わず苦笑を漏らす。やはりみんなロイドの二重人格ぶりに騙されている。そう考えた途端、ふと思った。
(もしかして、本当のロイドを知っているのって私だけ?)
 少しドキリとして、心が弾んだが、すぐに否定する。そんなわけはない。今までロイドをいい人呼ばわりしたのは、彼より年や身分が上の人ばかりだ。そういう人たちに対して、いい大人が横柄な態度をとるわけはない。
 あまりにもギャップがありすぎるだけで、厳密に言えば二重人格ではないのかもしれない。自分だけ特別だと変な期待をするのはやめよう。
 ジレットには申し訳ないが、応援してもらったところで、自分はともかくロイドはからかって遊んでいるだけだと思う。
 とりあえずは尻叩きの刑を免れるためにも、本来の目的を果たさなければならない。正体がばれているのだから、かえって訊きやすい。
「ジレットは、王子様が教えてくれるって言った秘密って、何だと思う?」
 結衣が尋ねると、ジレットは少し首を傾げた。
「わかりませんわ。ただ、目に見えるものだと思います。見たら驚くよって、おっしゃってましたから」
「目に見えるもの?」
 王子はロイドのマシンがお気に入りだと聞いた。昔もらったという機械のおもちゃだろうか。しかし、その場で見せずに”次に会った時”に教えると言った理由がわからない。
「それって、その場で見せるわけには、いかなかったのかしら」
「帰り間際でしたから、時間がなかったのかもしれません」
「そっかぁ」
 時間がなくて見せられなかっただけで、それがロイドのくれた機械のおもちゃだったとしたら、行方不明の原因とはあまり関係がないような気がする。
 少し沈黙が続いた時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。ラクロット氏が応対に出て、すぐにジレットの所にやってきた。
「失礼します。ジレット様、ラスカーズ公爵がお帰りになるそうです」
「わかりました。すぐにまいります」
 そういってジレットは立ち上がった。結衣も続いて立ち上がり、一緒に入口に向かう。入口で立ち止まると、ジレットは微笑んで結衣に挨拶をした。
「今日は突然お邪魔して申し訳ありませんでした。お話しできで楽しかったです」
「ボクも楽しかったよ。また、いつでも気軽に遊びにきてね」
「ええ、そうさせていただきますわ。それでは今日はこれで失礼します」
 ジレットは笑顔で会釈すると、迎えに来た侍女と共に貴賓室を後にした。
 後ろ姿を見つめたまま、結衣はラクロット氏に正体がばれた事を告げた。ラクロット氏はひどく動揺したが、結衣には妙な確信があった。
「大丈夫。あの子は約束を守る。誰にも言わないと思うよ」
 結衣が自信に満ちた笑顔でそう告げると、ラクロット氏も納得して頷いた。
 心に引っかかるのは、やはり王子の秘密。目に見えるもので、見たら驚くもの。
 誘拐犯については、探るなと言われたが、こっちについては調べてみてもいいかもしれない。
 結衣は行方不明当日の、王子の足取りを追ってみる事にした。




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