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5. ラクロット氏によれば、行方不明当日、王子は午前中の半分をロイドの研究室で過ごし、残り半分は本を持って東屋に行っていたようだ。そして昼食を終えて少し後、忽然と姿を消したらしい。 ラクロット氏が探し回った時、使用人たちの目撃情報によると、昼食後に自室に入るのを見たというのが最後だ。 王子の部屋の中には特に変わったものはない。その昔、ロイドにもらったと思われる昆虫型ロボットは机の上に置かれていたが、電源が入っていないため動かない。 もっとも、私物に触るなと言われているので、机の中や戸棚の奥に何かが隠されていたとしても、結衣にはわからないのだが。 その可能性は大いにあるが、とりあえず午前中話題に上った事でもあるし、まだ行ってみてないので、結衣は王子のお気に入りの場所、東屋に行ってみる事にした。 庭園に出て、噴水の横の花壇を通り抜けると、芝生の上に敷石の道が造られていた。道の上を覆うように白い花を付けた蔓植物のアーチがトンネルのように延びている。その先に東屋があると聞いた。 敷石の道は右に緩くカーブしていて、先にあるという東屋は見えない。たしかに一人きりの時間に浸れる隠れ処としては、もってこいだろう。 結衣は緑のトンネルの中を進み、東屋の前に出た。 丸いドーム状の屋根を四本の柱が支える、白い石でできた東屋は、結衣が想像していたよりも少し大きかった。壁はなく、周囲を丸く取り囲むように緩やかな階段が数段あり、屋根の真下に丸い机と椅子が二脚置かれていた。王子はそこで本を読んでいたのだろう。 結衣は東屋の周りをぐるりと一周してみた。特に変わった所は何もない。 机の側まで行ってみようと、階段を三段ほど上った時、突然足元が傾いた。 結衣が足を乗せた途端に階段の下の地面が陥没し、人ひとりがすっぽりと収まるほどの穴が空いたのだ。結衣の身体は重力に従い、その穴に吸い込まれていく。 悲鳴を上げながら、結衣は目の前の階段にしがみついた。幸いしがみついた上の段は大丈夫だったようだ。 一応ホッとしたものの、この状況はあまり安心できるものではない。なにしろ足が宙に浮いている。いずれ力尽きて穴の中に転落してしまうだろう。 少し足を伸ばしてみたが、底に足が届かない。どのくらい深い穴なのか判別不能だ。 しがみついた上の段を支える地面は、結衣の太もも辺りで途切れていた。 今度は足を横に動かしてみた。ふと、右足の甲が土の出っ張りに触れた。恐る恐るその上に右足を乗せてみる。少し体重をかけてみたが、大丈夫そうなので左足も乗せてみた。その途端に左足の下が崩れた。全体重を支えられるほどの強度はないようだ。 だんだんと腕が痛くなってきた。 こんな奥まった場所に人がやってくるのを待っていても絶望的だ。自力で抜け出せない以上、助けを呼ぶしかない。 通信機はポケットの中。とても片手で体重を支えられるとは思えない。試しに少し右手を浮かせてみただけで、左腕がぶるぶると震えた。 ボタンだけでも押せないものかと、身体をよじってみたがうまくいかない。こんなことなら、少しくらい筋トレでもしておくんだったと後悔した。 聞こえるわけもないのに、結衣は大声で叫んだ。 「ロイド――ッ! 助けて――っ!」 すると、黄色い小鳥が目の前に舞い降りて、ピッと返事をした。結衣が穴に落ちた時、肩から飛び立ってその辺にいたのだろう。 結衣は、わらにも縋る思いで小鳥に頼んだ。 「お願い、ロイドを呼んできて」 だが、小鳥は返事をするだけで動こうとはしない。 それもそのはず、小鳥は”ロイド”を自分の名前だと認識しているのだ。 「あなたの生みの親よ。わからないの?」 苛々しながら訴えかける結衣を小鳥は首を傾げて見つめるばかり。 ふと、小鳥に初めて命令した時のことを思い出した。結衣はロイドを指差して命令した。あの後も何度か小鳥の前でロイドをそう呼んだ。 あの言葉を小鳥がロイドの事だと認識しているなら、きっと通じるはず。 「ロイド、エロ学者をここに連れてきて」 小鳥はピッと返事をして飛び立つと、緑のトンネルを飛び越えて姿を消した。 後は小鳥が、ロイドを連れてきてくれる事を信じて待つしかない。 少しホッとしてひと息ついた後、結衣は思わず苦笑した。 (ロイドが知ったら、変な言葉を教えるなって怒るだろうな) どれだけ時間が経ったのか、待つ時間はやけに長く感じられる。 そろそろ腕も限界に近い。助かったら、明日は間違いなく筋肉痛だろう。 結衣が荒い息を吐き始めた時、緑のトンネルの方から走る足音が聞こえてきた。結衣は弾かれたように、そちらへ顔を向けると大声で名を呼んだ。 「ロイド!」 その直後、緑のトンネルから、小鳥の後を追うようにロイドが駆け出してきた。 先に小鳥が返事をして、結衣の側に舞い降りた。 「ユイ! どうした?」 ロイドは結衣の姿を認めると、東屋の側まで駆け寄った。そして、結衣の嵌った穴を少し眺めると、裏側に回って頭の上から姿を現した。 案外冷静だ。確かにこちら側から階段を上がると、更に崩れて二人とも穴の中に転落しかねない。 それよりも、先ほど駆け寄ってきた時の必死な表情と、名前を呼ばれた事が意外で、結衣は呆然としてロイドを見つめた。その様子を怪訝そうにロイドが尋ねる。 「なんだ?」 「初めて名前を呼ばれたような気がする」 結衣がポツリとつぶやくと、ロイドは意地悪な笑みを浮かべた。 「余裕じゃないか。もうしばらく、そうしているか?」 途端に現実を思い出して、結衣は泣きそうな顔で訴えた。 「足場が崩れそうなの。お願い、すぐに助けて」 ロイドは真顔になると、結衣の両腕の根元を掴んだ。 「首に掴まれ」 結衣は言われた通りロイドの首に腕を回した。腕に力が入らないので、首の後ろで両手の指を組み合わせる。 ロイドは結衣の背中に両腕を回すと、抱きかかえるようにして一気に穴から引き抜いた。二人は同時に安堵の息を吐いた。 安心した途端、結衣は掴まったロイドの首が、うっすらと汗をかいている事に気がついた。研究室からずっと走ってきたのだろうか。 すっぽりと包み込まれた暖かさに、すっかり安心しきって、そんな事をぼんやり考えていると、突然耳元で声が聞こえた。 「ケガは?」 顔を上げると、息が掛かるほどの至近距離にロイドの顔があり、結衣は思い切り驚いた。 そして、ふと我に返り、自分の置かれている状況に再び驚いた。 首に腕を回して、ロイドのひざの上に座り、抱きかかえられている。まるで、イチャイチャカップルのようではないか。 慌ててロイドから離れようとすると、足に痛みが走った。 「いたっ……!」 結衣が思わず声を上げると、ロイドが上から覗き込んだ。紺色のパンツのひざから下が黒く変色している。 「なんか派手に血が出ているみたいだな。医者に診せた方がいい」 そう言ってロイドは軽々と結衣を抱き上げ、立ち上がった。そのまま平然と歩き始めたロイドに結衣は思わず抵抗する。 「降ろして。自分で歩くから」 「歩かない方がいい。骨に異常があるかもしれない」 ロイドはそう言って歩き続ける。なおも結衣は食い下がる。 「医者に診せたら、私が女だってばれるんじゃないの?」 「大丈夫だ。いう事を聞く医者がひとりいる」 「……え……」 やはり自分以外にもロイドの本性を知る者がいるようだ。なんだかガッカリしている自分に少し苛立って、結衣はそのまま黙って俯いた。 いわゆる、これって”お姫様だっこ”だ。それが照れくさくて抵抗したが、ロイドにしてみれば荷物を運んでいるのと同じなのだろう。自分だけドキドキしているのが、ちょっと悔しかった。 考えないようにしようと思っていたのに、ジレットに指摘されて、余計に意識してしまい、ロイドの顔を見ただけでドキリとしてしまう。 東屋を離れ、緑のトンネルに差し掛かった時、黙り込んだ結衣を不審に思ったのか、ロイドが立ち止まって顔を覗き込んだ。 「おまえ、顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」 そんな事は言われなくても自分でわかっている。だから黙って俯いていたのに、いちいち指摘しないで欲しい。 ロイドの無神経さに、無性に腹が立ち結衣はついつい声を荒げた。 「なんでもないわよ。放っといて!」 「何を怒っているんだ」 呆れたようにそう言うと、ロイドは再び歩こうとして、すぐに立ち止まった。 「あ、そうか。そういう事か」 頭の上でつぶやく声にギクリとして、結衣は思わずロイドを見上げた。 また学者の脳が、勝手に思考の飛躍をしているに違いない。ここは是非とも確かめておく必要がある。 「何?」 結衣が尋ねると、ロイドはニヤリと笑った。 「せっかく人気のない場所に呼び出したのに、さっさと帰ろうとするから怒ってるんだろう? おまえがケガをしてなければ、もう少し付き合ってやるんだが、今日の所は諦めろ」 結衣は愕然とする。やはり、確認してよかった。とんでもない勘違いだ。今度はキッパリ否定しなければ! 「違うわよ! もう、降ろして!」 結衣が手足をばたつかせて、降りようとすると 「暴れるな。落とすぞ」 そう言ってロイドは腕の力を一瞬緩めた。 「イヤッ……!」 身体が滑り落ちそうになり、結衣は思わずロイドにしがみつく。 「ったく。ケガを増やしたくなければ、おとなしく掴まってろ」 吐き捨てるようにそう言って、しっかりと結衣を抱え直すと、ロイドは再び歩き始めた。結衣はまた黙って俯いた。 緑のトンネルに入り少し歩いた時、ロイドが頭の上でポツリとつぶやいた。 「そんなにイヤなのか」 何の事だろう? 結衣がゆっくりと顔を上げると、ロイドが見下ろしていた。目があった途端、ロイドはふてくされたような表情で顔を背けた。 「いや、いい」 ひと息嘆息すると、ロイドはそれきり口を閉ざし、黙々と歩き続けた。 ロイドにしては歯切れが悪い。きっと呆れているのだろう。訳もなく怒っている結衣に。 結衣が苛立っている理由などロイドにはわかるはずがない。元々身勝手な理由だ。自分だけドキドキしているのが悔しくても、それについてロイドに責任はない。 わざわざ走って助けに来てくれたのに、礼も言ってなかった事に気がついた。 「ロイド、助けに来てくれて、ありがとう」 「あぁ」 短く返事をしただけで、ロイドはまた、黙々と歩き続けた。 |
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