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7. 夕食後、ローザンが持ってきてくれた化膿止めの薬を飲んだ後、結衣は小鳥の電源を切った。 ゆうべは星空しか見てなかったので、クランベールの夜景を見てみたくなったのだ。 夜に小鳥を連れ出して、うっかりどこかへ飛んで行ってしまったら、捜すのが大変そうだ。大声で呼んで、隣からロイド本人が出てきても困る。 結衣は、部屋の隅にある机の上に小鳥を置いてテラスに出た。 外に出ると、なんだか甘い香りが鼻をついた。ふと、視界の端に小さな灯りが見えて、そちらに視線を向けると、自室前の手すりにもたれて、ロイドが紫煙をくゆらせていた。 ガラス戸の開く音に気付いたのか、ロイドもこちらに視線を向けた。 目が合うと、ロイドは早速いつものように、本気なのか冗談なのかわからない軽口を叩く。 「何だ? オレの部屋に忍んで来るつもりだったのか?」 「違うわよ。あなた、タバコ吸うの?」 「たまにな」 たまになら、いっそ吸わない方がいいんじゃないかとも思うが、タバコを吸わない結衣にはわからない、たまに吸いたくなる何かがあるのかもしれない。 先ほどからしていた甘い香りは、どうやらタバコの煙の匂いだったようだ。日本のタバコは苦いようなイヤな臭いしかしないが、この香りなら結構好きだと結衣は思った。葉っぱが違うのかもしれない。 そんな事を考えていると、突然ロイドが思い出したように、結衣を手招いた。 「あ、そうだ。おまえ、ちょっと来い」 言われた通り、結衣が側までやって来ると、ロイドは自室前に置かれた机の上の灰皿にタバコをもみ消して、結衣の額を強めに叩いた。 「誰が、エロ学者だ。変な言葉を教えるな」 結衣は額を押さえながら、目を見開いた。 「あの子、しゃべったの?!」 「エロ学者って、呼ばれたぞ」 「ずるい! 私はしゃべったの聞いた事ないのに!」 小鳥がしゃべったのを、ロイドの方が先に聞いた事が、なんだか無性に悔しかった。 「おまえ、昨日からずっと電源入れっぱなしだろう。あいつは眠らないからな。おまえが眠っている間も、勝手にいろんな事を学習している。しゃべるようになったから、おまえの寝言を復唱するかもしれないぞ」 おもしろそうに笑うロイドに、結衣は頭をかかえて叫んだ。 「そんなの、困る――っ!」 「だったら、夜は電源切っとけ」 「あ、今は切ってる」 結衣は小鳥の電源を切って、外に出てきた理由をロイドに話した。 「夜景か。運がよければ、おもしろいものが見られるぞ」 そう言ってロイドは手すりに縋ると、王宮の外に視線を移した。 結衣もその横で、両手を手すりにかけて、眼下に広がるラフルールの街並みを眺めた。 淡い光に彩られたラフルールの街は、さながらおとぎの国のようだ。だが、ロイドの言う”おもしろいもの”が何かはわからない。 一生懸命捜していると、ロイドが指摘した。 「街の中じゃない。外だ」 言われて結衣が街の外の暗闇に視線を移した時、ラフルールの南東にある、こんもりとした森から、天に向かって青白い光が放たれた。 「今の何?」 結衣が興奮して尋ねると、ロイドは笑って答えた。 「運がよかったな。朝話した遺跡だ。時々ああやって光を放つ。昼間に光る事もあるが、夜の方がわかりやすいな。ちなみに今のは、オレが拾われた遺跡だ」 「え? そうなの? また光らないかな」 結衣が再び遺跡の方を向くと、側でロイドが声を上げ笑った。 「一度光ったら、しばらくは光らない」 「しばらくって、どれくらい?」 「数時間か、長ければ数日だ」 「じゃあ、本当に運がよかったんだ。もっと、しっかり見とけばよかった」 結衣は手すりに縋って項垂れると、ため息をついた。すると、隣でロイドがクスクス笑った。 「何?」 結衣が訝しげに見つめると、ロイドは笑顔のままで、よくわからない事を言う。 「やっぱりおまえ、おもしろい奴だな。予想通りかと思えば、予想外だし、オレのいう事はちっとも聞かないし。おまえほど逆らう奴は他にいないぞ」 「……え……」 結衣は思わず苦笑する。そういえば、ローザンにも強者だと言われた。 「足の傷は大したことなかったらしいな」 「うん」 ロイドは真顔になると、眉間にしわを寄せて結衣を睨んだ。 「余計な事はするなと言っただろう」 「え? 何の事?」 「ラクロットさんから聞いた。おまえ、殿下の行動を探っていたらしいな」 ヤバイ。誘拐犯でなければ、かまわないかと思ったが、ケガをした事で”余計な事”に分類されてしまったらしい。 「でも、今回はたまたま……」 結衣が言い訳をしようとすると、ロイドはそれを遮った。 「たまたまじゃない。あの後、調べに行ってみたら、細工の跡があった」 「え?」 背筋に冷たいものを感じて、結衣は絶句する。ロイドは不愉快そうに続ける。 「オレは地質学には詳しくないが、穴自体はかなり古いものだった。自然に浸食されてできたものかもしれない。だが、おまえの落ちた階段だけ、石が後から嵌め込まれた形跡があった。穴の深さは大したことなかったが、石と一緒に転落したら、下手すりゃ命に関わる」 「それって……」 「殿下が東屋によくお行きになる事は、王宮内では周知の事実だ。誰かが殿下を穴に落とそうとしていた可能性がある」 結衣は黙ってロイドを見つめた。王子を取り巻く環境は思っていた以上に、ヘヴィなもののようだ。 「王宮内の探検はもういい。明日からはなるべくひとりになるな。オレの目の届く場所、研究室にいろ。いいな」 いつものごとく、有無を言わさぬ命令に、今回ばかりは結衣も素直に返事をした。 「わかった」 結衣がケガをした事で、行方不明の王子の身が、危険に晒されている可能性が色濃くなってきた。捜索を任されているロイドはそれで苛立っているのだろう。 そう考えていると、さらに苛立たせそうな事を、ふと思い出した。黙っているわけにもいかないので、結衣は恐る恐る告白した。 「あの……。ジレットに正体ばれちゃったんだけど……」 すると、意外にもロイドは平然と受け流した。 「あぁ、それもラクロットさんから聞いた。あの方は大丈夫だろう」 あまりにあっさりと返されて、結衣は拍子抜けする。 「え? それだけ?」 結衣が呆けたようにつぶやくと、ロイドは不思議そうに問いかけた。 「何だ?」 「だって、誰にもばれないようにしろって言ってたから、ばれたらお仕置きでもあるのかと……」 結衣がそう言って苦笑すると、ロイドはニヤリと笑い、手すりから離れ、結衣の方に一歩踏み出した。 「お仕置きを期待してたのか?」 「期待してないから。ないなら、なくていいのよ」 結衣も手すりを離れて、ロイドが近付いた分だけ後退する。 なんとか話をはぐらかそうと、頭の中を探り、王子の秘密について話してみた。 「ジレットから聞いたの。王子様の秘密って、目に見えるもので、見たら驚くものなんだって」 「まるで謎々だな。漠然としすぎている。お仕置きを帳消しにできるほどの情報じゃないぞ」 そう言ってロイドは、素早く腕を掴んで引き寄せ、倒れ込んできた結衣を抱きしめた。 「放して!」 結衣が抵抗すると、ロイドはさらにきつく抱きしめ、耳元で囁いた。 「放さない。お仕置きだからな。おまえ、オレに触られるのがイヤなんだろう?」 「イヤよ」 (だって、自分だけドキドキするんだもの) 即答すると、ロイドが耳元でフッと笑った。 「はっきりと言うんだな。じゃあ、イヤな事されたくなかったら、今度こそはオレのいう事を聞けよ。明日からはオレの側にいろ。側にいれば、必ず守ってやるから」 ロイドは腕の力を少し緩め、顔を上げると結衣を見つめた。 最後の一言に、心臓を射貫かれたような気がして、結衣は確信した。 (ダメだ。やっぱり好き) 穏やかな笑顔で見つめるロイドを、結衣は黙って見上げた。 ずるいと思う。いつもは意地悪で横柄で強引なのに、時々優しく気遣ってくれる。 ローザンはロイドを面倒見のいい人だと言っていた。その優しさを勘違いして、好きの気持ちが溢れて、こんなにも自分はドキドキしている。 抱きしめるその腕は、とても温かいのに、伝わる鼓動は、やけに静かで落ち着いている。それが切ない。 結衣の視界の中で、ロイドの笑顔が滲んでいく。 「泣くほどイヤなのか?」 ロイドはさらに腕の力を緩めると、親指の腹で結衣の頬をそっと拭った。 「……違う。なんでもない……」 「なんでもないのに泣くのか。やはり変わった奴だな、おまえ」 そう言いながら、ロイドは結衣の頭を撫でた。イヤだと言ったのに、完全に無視している。 「オレが嫌いなら、それでかまわない。だが、今度だけはオレのいう事を聞いてくれ。いいな」 責任感からだとしても、そう何度も念を押して心配されると、やはりちょっと嬉しくて、結衣は少し笑って答えた。 「何度も言わなくてもわかってるわよ。それに、あなたの事、嫌いじゃないわ」 ロイドは驚いたように少し目を見開くと、続いて安心したように微笑んだ。 「そうか」 安堵のため息と共に、ロイドは涙に濡れた結衣のまぶたに軽く口づけた。 結衣が咄嗟に目を閉じ、ゆっくりと目を開くと、ロイドがメガネを外していた。次の行動は容易に想像がつく。 近付いてくる顔をぼんやり見つめていると、唇が触れあいそうになる間際、ロイドが動きを止めた。 「逃げないのか?」 静かに問いかけるロイドに、結衣はキッパリと答えた。 「逃げても無駄だから」 (だって、心はすでに捕まってる) 「だったら、目を閉じろ」 ロイドの静かな命令に、結衣は素直に従う。その直後、唇にロイドを感じた。 あのタバコ、香りは甘いけど味はやっぱりタバコなんだ、と妙に冷静に考えていた。 抱きしめるロイドの腕に、少し力が加わった。 二度目のキスは、少し苦くて、そして優しかった。 (第2話 完) |
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